つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

入梅前の津幡町。

2024年06月17日 09時33分33秒 | 自然
                           
現在(2024/06/17)列島の梅雨入りは、沖縄・奄美・九州南部・四国止まり。
太平洋高気圧の北への張り出しが弱く、梅雨前線がなかなか本州付近まで北上しない。
その為、入梅のタイミングがかなり遅れているとの事。
よく知られているとおり梅雨の定義は「晩春から夏にかけて雨や曇りの日が多く現れる期間」。
一昔前は、始まりと終わりに明確な「宣言」を出していたが、
実情は、長期間続く気象現象のため区切りの特定は難しく「~したとみられる」と表されるようになって久しい。

わが北陸は、平年のスケジュールから1週間あまり経つものの、
まだ梅雨入りしたとみられて「いない」のだ。
気温は高いが、湿度は低くカラッとした体感。
辺りは夏の装いである。



本津幡駅近くに湧く泉「しょうず(清水)」が流れ込む「蓮田」。
踏切越しに走るのは「JR七尾線」の下り列車。
金沢~津幡町~能登・羽咋(はくい)~七尾を結ぶローカル線だ。
その手前、数カ月前まで泥の水辺だったところに蓮の葉が伸び、次第に緑が拡がっている。
やがて、雨雲からしとしとと雨が落ちてくる頃、大ぶりの花が咲くだろう。



「しょうず」から少し奥に行くと小さな棚田がある。
画像には写っていないが、向かって右側の砂利道には「雉(キジ)」が歩き回っていた。
また、草の中から、山の木立から、姿は見えずとも野鳥の囀り(さえずり)が交錯。
彼らが鳴く理由は主に2つ考えられるだろう。
1つは「異性への求愛」。
囀りを担うのは大半がオス。
オスからメスへ鳴き声でアピールしているのだ。
美声は求愛の成功率を高め、子孫を残す確率が高まる。
もう1つは「縄張りの主張」。
繁殖行動をするための拠点がここにあるんだとライバルたちに知らせ、無用な衝突を避ける。
囀りは、野鳥たちが生きる為の戦術と言えるかもしれない。



棚田の畔には、野花が風に揺れていた。
筒状花の黄色、舌状花の白、コントラストが鮮やか。
精一杯マーガレットに似た小さな花を広げ、触媒となる虫を誘う。
ほんの短時間、歩いて出会えた身近な自然は逞しく実に美しいのだ。
                              
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小品、冬鷺。

2024年01月13日 11時11分11秒 | 自然
                                 
冷たい雨が降る昨日(2024/01/12)の午後、
金沢へ向かい車を走らせていたところ助手席に置いたスマホが鳴った。
電話をかけ直すため、一旦バイパス下の運動公園を目指す。
そこは冬季閉鎖されていて駐車場には入れない。
側道に車を停めようとすると路面を歩く白い鳥を発見。
大鷺(ダイサギ)である。



体長は 1m近く。
羽毛は白一色で、脚と首、嘴(くちばし)が長い。
かなり近づいても道の真ん中を悠然と闊歩している。
彼は解っているのだ。
人っ子一人いない冬は、ここが害のない「楽園」だということを。

大鷺は、アジア南部~オーストラリア~南北アメリカなどに広く分布。
日本には夏鳥として渡来する個体もいて夏の季語の1つだが、
季節的な移動をせず、同じ地域に一年中生息し繁殖をする「留鳥」も少なくない。
これを「冬鷺」とか「残り鷺」と呼ぶとか。

鷺の食物は、魚類、ザリガニ、カエルなど水辺の小動物。
近くの水田や川が、いい餌場になっているのだろう。
雪が積もれば辺りに溶け込んでしまうかもしれないが、
曇天の下、枯野に囲まれていれば実によく目立つ。
観察しながらシャッターを切るうち、能登のいで湯のエピソードを思い出した。

<時代を遡ることおよそ1200年、薬師嶽の西側で温泉が湧き出しました。
 これが和倉温泉の開湯となります。
 しかし、それから250年程が経った永承年間(1046年~1053年)に地殻変動が起こり、
 湧き口が沖合60メートルの海中に移動し、湯の谷の温泉は枯れてしまいました。
 ところがある日、和倉に暮らしていた漁師夫婦が、ぶくぶくと泡立っている海に、
 傷ついたシラサギが身を癒しているのを見つけます。
 不思議に思って近づき海に手を入れると、熱い温泉だということがわかりました。
 これが“湯の湧き出づる浦(涌浦)”ということで、
 和倉の海で温泉を発見した最初といわれています。>

(※和倉温泉観光協会・和倉温泉旅館協同組合HPより抜粋/引用)

全国各地の温泉場では、しばしば白鷺が源泉の発見に寄与した故事を耳にするが、
「地殻変動」が関わるそれは、あまり見かけた記憶がない。
そんな伝説を持つ石川県七尾市の和倉温泉は、
現在(2024/01/13)すべての温泉旅館が休業に追い込まれている。
「令和6年能登半島地震」の影響だ。



不意に鳥が大地を離れた。
僕との距離が危険レベルに達し、逃げ去ったのである。
あっという間に舞い上がり遠ざかってゆく。
その飛翔を見送りながら、下手な歌を詠んでみた。

冬鷺や 揺れ来りなば 翼持ち
空へはばたく 君を羨む

                           
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止まない心の震え。

2024年01月03日 21時34分34秒 | 自然
                    
令和6年能登半島地震の発生から、現時点(2024/01/03)で丸2日が経った。
大きな悩みだった「断水」は、少なくとも僕の住む地域一帯は概ね復旧(したと思う)。
一方、まだ充分に解消していない所もあるようだ。



ご近所のコインランドリーでは洗濯ができなかった(今朝段階)。
乾燥機は動いていた。
溜まった自分の洗濯物を乾かしに出向いた時、仕上がりを待つ間に、
何人もの方が汚れ物を抱えて訪れ、張り紙を見て肩を落とし帰って行った。



町役場周辺には給水車が待機。
豊田市、豊橋市、岡崎市など愛知県から駆けつけてくれたようだ。
水道局、県内外自治体、関係各位のご尽力のお陰で、
わが津幡町は徐々に平穏を取り戻しつつある。
心から御礼申し上げます。

しかし、120km以上離れた震源地~能登半島一帯は、まだ渦中の只中。
群発地震は続いていて、ライフラインも途絶えたまま。
安否不明、救助を待つ方もいらっしゃるという。
冷たい雨も降り始めた。
土砂災害の広がりも心配だ。



現地の様子を伝える報道に接する度、
取り分け奥能登の中心地「輪島市」のそれには、心痛を覚える。
火災で焼け野原になった朝市通りをはじめ、
記憶に残る街並みの余りの変貌ぶりに悄然とする。

--- というのも、僕はかつて輪島へ足しげく通った時期があった。
ある企画に携わり、事務所の開設、スタッフの採用、仕事の運営、イベントなど、
数年間に亘り、輪島の土地と人に関り濃密な時間を過ごした。
その役目が終わり疎遠になって久しいが、
震災のニュースを見聞きすると心が震えて仕方がないのだ。

そして「後遺症」とでも呼びたくなる心のザワつきもある。
実際には揺れていないのに、座っていても寝ていても
『地震じゃないか?!』と不安に苛まれる時がある。
緊急地震速報が流れ揺れを体感すると、心は大きく震える。

「怖い」。
要するに怖くて仕方がないのだ。
                        
コメント (3)
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震えは止まない。

2024年01月02日 12時15分15秒 | 自然
                      
大地の震えは続いている。
きのう(2024年元日)夕方に発生したマグニチュード7.6の「令和6年能登半島地震」は、
今現在(2024年1月2日)鎮まる気配を見せていない。
過去24時間に観測された最大震度5弱以上の地震は10回を数えている。

震源地から距離のある津幡町でも、かなりものだった。
度重なる緊急地震速報。
何度も襲い掛かってくる震え。
柱や壁がミシミシと音を立てる。
ラジオから聞こえる津波への強い警告が切迫感を煽る。
『東日本大震災を思い出してください!』
『ためらわず今すぐ避難!』
『少しでも高い所へ避難!』

時間を追うごとに陽が翳り、周囲は闇に消えて行く。
ただ身を固くして耐えるしかない。
怖ろしい夜だった。



今朝早く、夜明けを待って周辺を散策してみた。
所々、地面の液状化と思われる陥没が見受けられた。
また、瓦屋根やブロック塀、石灯籠の崩落もあった。







昨年7月豪雨の土砂崩れ現場では、ブルーシートがずり落ちていた。
今日は好天だが、明日からの降水確率は高い。
二次災害~三次災害にならないことを祈るばかり。
とにかく積雪がないのは不幸中の幸いである。



電気、通信はある。
ないのは「水」だ。
地震の影響で町内各所において漏水が多数発生し、全域において断水。
調理の煮炊き、トイレ、洗濯、入浴ができない。
復旧の目途は立っていない。

そして中能登~奥能登の被害は、ここの比ではない。
各地の様子は、報道などで伝えられているとおりだ。
人的・物的な損害は増えていくだろう。
残念ながら。



2~3年前から能登半島では地震活動が続いている。
地下深部のマントルから高温の流体が上昇し、岩盤が滑りやすくなって、
一連の地震を起こしているとの事。
震度1以上の地震は2021年は70回、2022年は195回に上っている。
一度大きな地震が発生した後、時間が経過するにつれて
余震の回数が少なくなっていく「本震―余震型」ではない。
明確に本震と呼べる大きな地震がなく、
長期間に亘って震えが繰り返す「群発地震」。
まだ終わりは見えない。
                           
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震える幕明け。

2024年01月01日 18時15分15秒 | 自然



突然、大地が震えた。
震えは断続。
今のところ無事。
津幡町に津波は心配ない(多分)。

不安に苛まれる夜が来る。
数日は要警戒。
--- また揺れた。
もう勘弁して欲しい。
コメント (6)
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