金沢発 22:50。
梅田着 翌6:00。
現場入 15:00。
2024年12月22日・日曜日、旅打ちのためやって来た大阪。
「住之江競艇場」に向かうまで、9時間の猶予があった。
夜まで然したる当てもない。
何の下調べもしていない。
が---1つだけ知っていることがあった。
『谷町というところに「近松の墓」があるらしい』
「近松門左衛門(ちかまつ・もんざえもん)」は、江戸時代前期から中期に活躍した職業作家。
武士や貴族を主人公にした江戸期以前の物語---“時代物”。
町人を主人公に市井の義理人情を描いた物語---“世話物”。
幅広い作風で手がけた数は、浄瑠璃なら130作以上、歌舞伎狂言は30作あまり。
後に、多くの傑作を世に送り、時代の寵児となる彼は、
承応2年(1653年)、現:福井県・鯖江市に生まれた。
過去、拙ブログに投稿したとおり僕は生誕地へ足を運んだことがある。
(※リンク有/
A Day trip 鯖江)
また、代表作の一つ「曾根崎心中」についても絵と文を書いた。
(※リンク有/
虚と実の狭間に開く夢芝居)
せっかく近にいるから訪問したいと思い、地下鉄「谷町九丁目駅」で下車した。
グーグルマップに従い歩き始めるも、なかなか目的地が見つからない。
暫く彷徨った末に辿り着いてみて納得。
「国史跡」の墓所は、マンションとガソリンスタンドの間、隠れるように置かれていた。
分かりにくい訳だ。
かつては寺の境内だったが谷町筋の道路拡張のため寺院が移転。
墓だけが留まったとか。
「近松」が一世を風靡した元禄期(1688~1703年)は、
開幕以降続いた内乱が落ち着き、徳川体制が固まった頃。
国内開発に力が注がれ、人口が急増、農業・漁業、商工業が発達。
富を得た豪農や豪商が現れ、パトロンとなって文化振興に資金を投じた。
中心となったのは上方(かみがた)。
“天下の台所”は、先進的で自由な都市型町人文化が形成されてゆく。
また、学問が奨励され、各地に藩学や寺子屋などができ就学率・識字率がアップ。
浮世草子(小説)が刊行されるようになった。
その第一人者が大阪の豊かな商家に生まれた「井原西鶴(いはら・さいかく)」。
源氏物語のパロディ「好色一代男」、愛憎物語のオムニバス「好色五人女」など、
ヒットを連発した売れっ子作家の墓も、ごく近く谷町の誓願寺にある。
ちなみに過去投稿で「好色五人女」の1つ「八百屋お七」についても絵と文を書いた。
(※リンク有/
バブルファンタジー。~ 八百屋お七)
よろしかったら覗いてやってくださいませ。
---さて「近松」と「西鶴」、元禄時代の文豪2人の墓を詣でた後、僕は日本橋~難波をぶらついた。
道頓堀川、画像奥にはグリコイルミネーション輝く戎橋。
淀川河口地域を中心に発展し、水運輸が経済を支えてきた大阪には、数多くの橋がある。
街のスナップ数点。
きっと昼夜で随分雰囲気が変わるだろう。
どことなく「趣(おもむき)」を感じてしまうのは、
僕が通り過ぎるだけの異邦人だからかもしれない。
それぞれの場所に生々しい暮らしが息づいている。
それぞれの場所で人は歯を食いしばり生きている。
難波の食堂で「焼き魚定食(600円/税込)」を喰う。
実に美味かった。
接客してくれたのはミャンマーかベトナムの若者たち。
店内テレビではJRA競馬中継が映され、
日曜の昼前というのにオジサンたちがビールと新聞片手に刺身をつつき一喜一憂。
実に落ち着く空間だった。
ラストは「大阪中之島美術館」での「歌川国芳(うたがわ・くによし)展」。
偶然、駅構内でにポスターを見かけ足を延ばした。
<江戸末期の浮世絵師、歌川国芳(1797 – 1861)は、
それまでの浮世絵の歴史を塗りかえる斬新な作品の数々を世に生み出し、
国内外で高い人気を誇ります。
その奇抜なアイデアや、現代に通ずるデザインセンスとユーモアは、
浮世絵という枠や時代を超えて多くの人々を魅了しています。
本展は国芳展の決定版として、武者絵や戯画をはじめとした
幅広い画題の浮世絵版画や貴重な肉筆画など、約400点を展示する大規模な展覧会です。>
(※< >内、美術館公式HPより引用 原文ママ)
館内で撮影を許された作品は限られる。
その中でよく知られたものはコレだろうか。
《みかけハこハゐがとんだいゝ人だ》
(見かけは怖いが とんだいい人だ)
人体を寄せ集めて顔かたちを表現する寄せ絵。
裸の男性の背中から尻が鼻にしたり、大胆で独創的。
モチロン、絵師の画力が高いのは言わずもがな。
素晴らしい。
今回は
前回投稿の続篇にして番外篇。
旅も博打も普段の生活から離れた「非日常」。
ゆえに「旅打ち」は、二重の意味で楽しくて仕方がない。
やめられないのである。