今夏の「東京2020オリンピック競技大会」開幕に歩調を合わせ、
「
津幡町ふるさと歴史館 れきしる」にて企画展「津幡町のオリンピック」がスタート。
お誘いをいただき本日お邪魔してきた。
館内の企画展示室に入ると、まず目が行くのは、わが町ゆかりのオリンピアンに関する品々。
正直、僕が知る該当選手は、前回「リオ大会」の女子レスリング金メダリストのみ。
この観覧を機に初めて「齊藤 和夫(さいとう・かずお)」氏の功績に接する。
画像向かって右端、赤いブレザーと白いパンツ・紅白キャップが、
「齊藤」氏より町に寄贈されたオリンピック公式ユニフォーム。
その足元のパネルには経歴、活躍の様子が記されている。 一部抜粋要約して紹介したい。
【津幡町 字 潟端(かたばた)出身
齊藤和夫氏は、オリンピックに昭和39年(1964)東京大会、
昭和43年(1968)メキシコ大会に2大会連続50km競歩
五輪代表として出場。 東京大会では土砂降りの雨に体力を奪われながらも、
自己ベストに9分遅れ4時間43分1秒、25位でゴール。
続くメキシコでは暑さと高地の悪条件の中、17位と健闘した。】
代わっては「東京2020」の代表選手「川井姉妹」に関する展示の数々。
57キロ級「川井 梨紗子(かわい・りさこ)」選手(姉)。
62キロ級「川井 友香子(かわい・ゆかこ)」選手(妹)。
ご両名は津幡町・緑が丘出身である。
ご本人の望みでもあると思うが、メダルに手が届けば嬉しい限り。
しかし、体重管理がつきまとう階級制競技は維持管理も大変だろう。
加えて、新型コロナ感染拡大(爆発の方が正しいか)のさ中であり、
運営面も人事で何やらバタバタしていて不穏な雰囲気が漂っている。
まずは、ケガなく、罹患なくを最優先して欲しいと思う。
「れきしる」では、入場者各位に特製缶バッジを進呈している。
一人1個でお願いします。
---さて、今回の企画展では「東京大会1964」にまつわる資料も少なくない。
僕にとっては生まれる前年の事であり、リアルタイムではないが、
だからこそ「歴史的イベント」として、それを味わうのはなかなか楽しい。
昭和38年(1963年)リリース「東京五輪音頭」 のドーナツ盤。
作詞「宮田隆」。作曲「古賀政男」。
公式テーマソングで、多くの競演作(三橋美智也、橋幸夫、坂本九など)だが、
知名度の高さは「三波春夫」版に軍配が上がるのではないだろうか。
昭和39年10月10日発行の「公民官報つばた」には聖火が駆け抜けた模様を掲載。
一部抜粋、こちらは原文ママ紹介したい。
【ギリシャのオリンピアを出発した聖火は、十月一日、午前九時四十分三十秒、
絶好の秋晴れの日和に恵まれ、金沢市から本町第一中継地点、
八幡バス停留所手前十メートルのところで、久世町長、酒井議長ら、本町有志数百名。
更に“この日のために”をかなでる津幡中学校ブラスバンドに迎えられて、
上杉正走者(輪島出身)に引き継がれた。<中略>
小中学生、高校生、一般合わせて約八千人、
すき間なく埋められた歓迎の小旗に迎えられ<中略> 県境の天田峠で無事引き継がれた。
この聖火に、斉藤君ガンバレの願をこめた人も何人かあっただろう。】
「この日のために」は、国主導で制作された東京オリンピック国民歌。
斉藤君は、前述の競歩代表「齊藤選手」のこと。
いやはや、熱烈歓迎とはこの事だ。
聖火到着時間を秒単位まで計測するあたり、前のめりの意気込みが窺える。
時代が違うからとも言えるが、やはり時代が「健全」じゃないとこうはいかない。
果たして聖火リレーを封印せざるを得なかった「2020」の行方は?
大会後の日本があらぬ方向へ向かわないことを願うばかりである。
もちろん企画展はそんな憂慮とは無関係だ。
他にも色んな展示がある。
都合と時間が許す方は「れきしる」へ出かけてみてはいかがだろうか。
もう一つ「れきしる」ロビー受付前のスペースでは、
津幡町の夏の風物詩についての展示も行われている。
「全国選抜社会人相撲選手権大会」は、日本相撲連盟公認のタイトル戦で、
安土・桃山時代に起源を持つ「八朔(はっさく)大相撲」を
昭和45年(1970年)に改めたとされる。
令和元年・五十回記念大会以降、去年、今年と2年続けてコロナ禍の影響で中止になった。
撮影角度を変えて上掲した2枚の画像は、
昭和29年(1954年)の「八朔大相撲」の様子。
最後列まで鈴なりの人だかりが分かるだろうか。
目の前で写真をじっくり眺めて欲しい。
土俵を囲む熱気や現場の空気、観客の風体などから時代を読み解き追体験するのは、
大いに価値ありとお伝えしておきたい。