「今日の一枚」は、民家の前庭の枇杷の木。
最近は、散歩中にこうした光景をよく見かける。
津幡町内も枇杷の旬なのである。
“桃栗三年 柿八年 枇杷は早くて十三年。”と言われ、
成長が遅い事の例えとして用いられる果実…「枇杷」。
その実りは短く、5月から7月中旬にかけて。
かなり季節性の強いフルーツであり、長期保存が難しいため、
希少価値は高い。
淡い橙色した果実の表面には細かな産毛が生え、皮は固め。
上品な甘みが何とも美味い。
ちなみに命名の由来は、形状が楽器の「琵琶」と似ているから。
そして「琵琶」と聞くと、個人的には、中学校の古文の授業で習った
「平家物語」が脳裏に浮かぶ。
『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。
奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。』
このリズミカルな文体を琵琶の調べにのせて語った
盲目僧体の芸人が「琵琶法師」。
後に鎌倉時代と呼ばれる事になる当時、諸国を巡りながら、
辻々で平家物語を奏で、民草の耳を楽しませたのだという。
一方、中世のヨーロッパにも「吟遊詩人」という職業があった。
彼等はハープ片手に諸国を巡り、行き着く先々で歌を披露し糧を得る。
ある時は涙を誘うラブソングが、
ある時は心が浮き立つ冒険物語が題材になった。
…洋の東西で旋律や音階に違いはあれど、
いずれも今とは比べ物にならないほど、音楽に接する機会が少なかった頃、
きっと、その歌声は、聞き手の心の奥深くに染みいっていっただろう。
さて、前述の「平家物語」、りくすけ的現代語訳を掲載する
“お釈迦様が説法をした天竺の祇園寺の鐘の音は、
全ては流転する理を説いている。
つまり「諸行無常」だ。
お釈迦様がお亡くなりになる時に枯れたという沙羅双樹の花の色は、
どれだけ栄えたとしても、いつかは必ず滅びる定めを表す。
つまり「盛者必衰」だ。
わがままは長く続かず、春の夜の夢のように儚い。
勢いにまかせ、いかに隆盛しようと永遠などない。
時の流れの前では、風に吹かれて消えてゆく塵のようなものだ。”
※筆者注:タイトルのベベン!ベン!ベン!は、琵琶の音の擬音です(笑)
最近は、散歩中にこうした光景をよく見かける。
津幡町内も枇杷の旬なのである。
“桃栗三年 柿八年 枇杷は早くて十三年。”と言われ、
成長が遅い事の例えとして用いられる果実…「枇杷」。
その実りは短く、5月から7月中旬にかけて。
かなり季節性の強いフルーツであり、長期保存が難しいため、
希少価値は高い。
淡い橙色した果実の表面には細かな産毛が生え、皮は固め。
上品な甘みが何とも美味い。
ちなみに命名の由来は、形状が楽器の「琵琶」と似ているから。
そして「琵琶」と聞くと、個人的には、中学校の古文の授業で習った
「平家物語」が脳裏に浮かぶ。
『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。
奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。』
このリズミカルな文体を琵琶の調べにのせて語った
盲目僧体の芸人が「琵琶法師」。
後に鎌倉時代と呼ばれる事になる当時、諸国を巡りながら、
辻々で平家物語を奏で、民草の耳を楽しませたのだという。
一方、中世のヨーロッパにも「吟遊詩人」という職業があった。
彼等はハープ片手に諸国を巡り、行き着く先々で歌を披露し糧を得る。
ある時は涙を誘うラブソングが、
ある時は心が浮き立つ冒険物語が題材になった。
…洋の東西で旋律や音階に違いはあれど、
いずれも今とは比べ物にならないほど、音楽に接する機会が少なかった頃、
きっと、その歌声は、聞き手の心の奥深くに染みいっていっただろう。
さて、前述の「平家物語」、りくすけ的現代語訳を掲載する
“お釈迦様が説法をした天竺の祇園寺の鐘の音は、
全ては流転する理を説いている。
つまり「諸行無常」だ。
お釈迦様がお亡くなりになる時に枯れたという沙羅双樹の花の色は、
どれだけ栄えたとしても、いつかは必ず滅びる定めを表す。
つまり「盛者必衰」だ。
わがままは長く続かず、春の夜の夢のように儚い。
勢いにまかせ、いかに隆盛しようと永遠などない。
時の流れの前では、風に吹かれて消えてゆく塵のようなものだ。”
※筆者注:タイトルのベベン!ベン!ベン!は、琵琶の音の擬音です(笑)