つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

monotone Journey 10(+1).

2022年07月24日 16時16分16秒 | 白と黒の旅
                    
世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。

散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み。
不定期連載「monotone Journey」第十篇。
今回は最後に敢えてカラー画像を加え(+1)とした。


                 

今朝(2022/07/24)午前6時過ぎ、散歩を始めて程なく気が付いた。
「光の射し具合と、影の落ち具合がいいな---」
左程暑くなく湿度低めで、太陽の高度も低い。
写真撮影技術については素人を自認する僕に理屈は分からないものの、
いつもに比べ、何となく「いい感じ」。
モノクロで味わいが出るかもしれないと考え、幾つかシャッターを切った。


津幡中央銀座商店街のスナップ。
建物に遮られ日光は地表まで届いていないが、
一部、窓ガラスや壁面に反射し路面を照らす一角も見受けられる。
陰影が際立つと受ける印象が普段とはまるで違う。
時間まで超越したような、過去へスリップしたような錯覚を覚えるのだ。


「勝泉米穀店」店頭の幟は、女子レスリング五輪金メダルコンビ。
津幡町出身の「川井姉妹」だ。
暦の上では「大暑」ながら、ひたひたと、季節は歩みを進めている。
そう遠くない未来に控えるのは、実りの秋だ。




現在、津幡町に唯一残る造り酒屋「久世酒造」の板塀。
同社が創業した天明6年(1786年)は江戸時代後期。
もちろん、それ程の昔からではないが、
風雪を耐えてきた木材をモノトーンにすると枯淡の趣きが増す。
また、窓枠に腰かけコチラを凝視するブチネコ、店舗ショウウインドの達磨も同様だ。

                               


モノクロ画像の最後は「久世酒造」傍、
標高15メートルの小高い丘陵地・大西山への案内。
その坂を上った上には、看板の遺構・施設がある。
@津幡城跡--- 源平合戦の折、平家軍が津幡に陣を敷き、街道を見下すこの地に砦を築いた。
@れきしる--- 津幡町の遺物を集めた歴史館。
@為広塚--- 室町~戦国時代の公卿・歌人「冷泉為広」墓所。
そして、かつてはわが母校「津幡小学校」の校舎も建っていた。

先回投稿では、大西山の小学校について「司馬遼太郎」氏の名作を引き合いに出し、
丘の上の青天に輝く 時の雲を目指してと題した。
これが「丘の上の青天に輝く雲」である。


                      
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monotone Journey 9.

2022年05月14日 16時06分06秒 | 白と黒の旅
                    
世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。

散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み。
不定期連載「monotone Journey」第九篇。



光は、まっすぐに進む性質がある。
行く手の一部をさえぎると、光が進むところと届かないところができる。
光が届かずに黒くなったところ、それが影だ。



屋外での影の形は、時間によって変わる。
太陽の高度や方角が一定ではないからだ。
まるで光に引っ張られたような木陰は、朝の僅かな時間だけの景観。
シャッターを切った数分後には消えて無くなってしまうだろう。

写真は光がない世界では写らないのだが、
世界に光しかなかったら面白みに欠ける。
光の対極---影のお陰で二次元に立体感が生まれ、
ある種のドラマ性を醸し出してくれる気がする。
そんな錯覚を起こさせてくれるのは、
カラーよりもモノクロの方が顕著ではないだろうか。







そもそも写真や映画をとる「撮影」は「影を撮る」と書く。
美しい色を刻むのもいいが、美しい影を捉えることも重要。
カメラのド素人である僕は、そんな風に考えてしまうのである。
                 

                      
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monotone Journey 8. ~ 滅美のノクターン。

2021年09月18日 15時00分00秒 | 白と黒の旅
             
世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。

散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み。
不定期連載「monotone Journey」第八篇。
(※尚、今回はBGМを充ててみた。時間と都合が許せば聞きながらご一読を)





散歩中、住宅街のとある一角に残された空き家に出逢った。
構造や壁に目立った損傷はなさそうだが、
二階の窓にかかるカーテンの破れは、時の流れを物語る。
伸びるにまかせた雑草は、僕の背丈をゆうに超えていた。
覆い隠された一階部分は、容易に窺えない。



かつての駐車場らしき場所に横たわる廃車。
草の鎖で大地に繋ぎ止められた、鉄の虜囚。
おそらく、もうエンジンに火が入ることはないだろう。



僕は、人工物が朽ちてゆく様子に、ある種の美を見る。

それが打ち捨てられた当初は寂しさを覚えたとしても、
風雪に晒され、劣化が進む頃には、
対象の現役当時の面影や、係わった人影の輪郭は曖昧になってゆく。
やがて、自然に呑み込まれはじめると、そこには新しい空間が生まれる。

人は、発展し、進化してゆく姿に目を奪われがちだが、
退化し、衰退する様子にも目を向けてみたくなる。
見えない時が降り積もり成熟してゆくそれは、烈しく、切なく、美しい。
「滅美(ほろび)」とでも呼びたくなるのだ。



さて、最後にBGMの解説を少し。
有名な「ノクターン(夜想曲)第2番 変ホ長調」。
作曲は、ポーランドが生んだ“ピアノの詩人”「F.ショパン」。

作曲した当時、彼は故郷を離れ、独りウイーンの空の下。
思うように活躍ができず、失意の内にあった。
孤独にさいなまれ、望郷の念に駆られつつピアノと向き合い紡いだメロディは、
複雑な思いを込めた旋律は、今拙作の思考の旅に合うと考え、
輩(ともがら)としてみた次第である。
              
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monotone Journey 7.

2021年01月24日 11時24分53秒 | 白と黒の旅
        
世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。

散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み。
不定期連載「monotone Journey」第七篇。
最近、雪の話題ばかりになり心苦しいが、もう1回お付き合い願いたい。


きのう投稿したとおり、北陸・津幡町の雪は落ち着いているが融け残る量は多い。
重機によって道路脇に押しやられ、あちらこちらで山積みになっている。
子供の頃の記憶を辿ってみると、
こうした光景に接する機会は、今より少なかったかもしれない。
積雪量が少なかったからではない。
むしろコンスタントに多かった気がする。
にも拘わらず(かかわらず)印象が薄いのは、
やはり時代の違いなのかなと推察。

--- 除雪の機械化率が低かった。
--- 自動車の交通量が少なく、除雪の必要範囲が狭かった。
--- 職場や学校、商店は近隣にあり移動は徒歩でまかなえた。
などの事情から、側道は自然に無くなるまで放置するケースも珍しくなかった。


僕が撮影に使っているスマホカメラには「AIオート」なるモードがあり、
電脳が勝手に被写体を判別してくれる。
料理なら「ナイフフォークのアイコン」、花は「花アイコン」。
遠景なら「山アイコン」らが表示され、対象に相応しい処理をしてくれるらしい。

雨に洗われてできた雪の「突起」をAIは「人の顔」と認識した。


うず高い雪の山を眺めているうち、昔の記憶が甦ってきた。
それは「放射能」。
1960~70年代、中国、インドで行われた核実験の放射能が、
風に乗って日本へ運ばれ雨や雪に混ざって落ちてくると報道された。
僕たち昭和の子供は、ニュースを耳にして「ヤベえな」などと言いながら、
雪や氷柱(つらら)を平気で口にした。
無知だったのである。

ラストは上掲画像奥、雪山越しに写る神社の境内で見つけた早春の息吹。


雪の中で「日本水仙(ニホンズイセン)」が開きはじめていた。
ヒガンバナ科スイセン属の品種の一つ。
名前からすると日本在来種のような印象を受けるが、中近東から地中海沿岸の原産。
海のシルクロードを通って中国に至り、室町時代に渡来したという。
別名(和名)は「雪中花」「雅客」。
花は、長い旅路の果てに津幡町へやって来て、寒さに負けず可憐に咲いている。
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monotone Journey 6.

2020年07月05日 19時07分11秒 | 白と黒の旅

世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。

散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み。
不定期連載「monotone Journey」第六篇。


農道脇、打ち捨てられたリヤカー。
コイツはどのくらい風雪に耐えてきたのだろうか。
僕が町内散歩を始めた11年前からずっと、同じ場所に横たわったまま。
次第に、朽ちてゆき、錆びてゆくだろう。
傍に足を止め、暫しじっと観察してみる。
コイツが、現役だった頃を想像してみた。


数年前に醸造を止めてしまったしまった「舟田商店」。
およそ200年も続いた老舗だった。
僕は、ここの「マルフネ味噌」のファンだった。
立派な元店舗の前を通るたび、寂しい気持ちになる。
もう、実際にいただく機会はないかもしれないが、
少なくとも僕が生きている間は、あの味、あの香りの記憶はなくならない。
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