つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

ボートタウンのボートレース。

2015年09月27日 04時50分54秒 | 賭けたり競ったり
秋は夕暮。
夕日のさして山の端、いと近うなりたるに、
烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛びいそぐさへあはれなり。
まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。
日入りはてて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。
(秋は夕暮れがいい。
 夕日が山の稜線に重ならんばかりに近づく頃、
 褥(しとね)へ戻るカラスが、三羽四羽、二羽三羽と飛び急ぐ様子は情緒がある。
 ましてや連なって羽ばたく雁などを遠くに小さく観とめれば、実に趣深い。
 日が落ちた後、そよ風に乗る虫の声などに耳を傾けるのは、やはり言い知れぬよさがある。)


前々回の投稿に掲載した「枕草子」の第一段、
秋の件の抜粋と現代文である。(意訳:りくすけ)
さて、そんな先人の薦めに従って、きのうの夕暮れ時に出かけてみたところ、
河北潟の周辺で、はためく幟旗を発見。
理由を思い当たるのに、さしたる時間はかからなかった。


普段は閑散とした(失礼!)漕艇場のパーキングが満杯。
県外ナンバーの大型バスも並んでいる。
流石は全国大会だ!
また、普段は水鳥しかいない(失礼!!)湖面も小型艇が行き交い賑やか。


手前の舟の奥には、レース中の様子も写っている。
年代別のカテゴリーに分かれて予選競争の真っ最中だった。

水面は勿論、陸(おか)の上も活気が充満。
焼き鳥や倶利伽羅そばなど、飲食テントからの勧誘。
メガホン片手にチームを叱咤激励する声援に手拍子。
ラッパスピーカーからは大会の進行を伝えるアナウンス。
水に浮かび出番を待つ舟へ飛ぶ運営スタッフの指示等々。
更に、オールを掲げ出番を待つ選手たちは、
まるで合戦を前に長槍を構える武士(もののふ)の群れだ。(大げさ!)

大会は本日も開催。正午前から各クラスの優勝戦が予定されている。
僕は仕事のため叶わないが、お時間のある方は足を運んでみてはいかがだろうか。
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並行すれど交わらず。

2015年09月26日 11時02分09秒 | 不可思議な光景
今日はまず、この写真をご覧いただきたい。

春のある日、津幡川沿いで撮影した一枚。
やや薄雲がかかっているものの、青空も垣間見える。
さざ波も立たない川面には、岸に並んだ家々の姿がキレイに写り、
風がなく、穏やかな様子が窺えるのではないだろうか。

…だが、実はこれ「逆転世界」。
上下が入れ替わった視点が、本来の見方である。
正しいのはコチラ。

空に見えたのは、実は川だった。
空を背景に建っていると思えた家々は、水鏡に写った実体のない映像だった。
どちらが現実で、どちらが仮想なのか。
2つの写真をじっと見比べていると判然としない奇妙な気持ちになる。

少々趣は異なるが、こうした並行で交わらぬ2つの世界を表す概念が
「パラレルワールド」だ。
つまり、次元を超え、今いる世界とそっくりなもう一つの世界が、
時間的に並行して存在しているとする考え方である。
もしあの時、別の選択をしていたら、今どうなっていたのだろう?
人生でそう思う瞬間は、少なくない。
進路、就職、結婚、あるいは離婚などの大事から、
昼飯は牛丼じゃなくカレーにすればよかったとか、
12Rは1-5じゃなくて3-5にすればよかったなどの小事まで、
違う道を選んで入れば、異なる未来が開けていたはず。
結果と比較した良し悪しは別にして。

パラレルワールドは、フィクションにとって使い勝手がいい。
SF小説、架空戦記物、歴史改変ドラマなど、
多くの作品ジャンルが成り立つ。
「筒井 康隆」の筆による『時をかける少女』や
「半村 良」が著した『戦国自衛隊』は、多くの人が知る典型。
両者ともに面白い。

パラレルワールドを空想すれば、思いは膨らむばかりだが、
現実に選べる時間軸は1つだけだ。
たとえ辛くとも。たとえ哀しくとも。
浮き世は憂き世であり、憂き世もまた浮き世なのである。
お互い張り詰め過ぎずに生きていきましょう。

<追 記>
先回投稿したとおり、23日に、金沢競馬場での「サンクスホースデイズin金沢」へ行ってきた。

障害飛越競技のデモンストレーションあり。
金沢競馬所属騎手たちのトークショーあり。
ポニーの体験乗馬あり。
他にも「馬と触れ合う催し」が開かれ、普段の場とは違った雰囲気。
和やかなのである。
そして、昼食には場内食堂「たこ勝」の「肉ペア(大盛)」をいただいた。

大きな鉄板で焼いた「そば」と「お好み」のコンビネーション。
これぞ鉄板の組み合わせである。旨かった。
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銀週や実りの秋の津幡町。

2015年09月23日 09時41分43秒 | 自然
本日は、2015年のシルバーウィーク最終日。
連休中は好天に恵まれ、出歩くにはうってつけの日柄となった。
散歩をしていても、つい遠出したくなる。
一日の中でも、陽が落ち始める頃は特に風情がいい。
【春は曙 夏は夜 秋は夕暮 冬はつとめて】
「清少納言」の推薦文に、素直に頷けるのである。

また、秋は街中に「実り」を散見出来るのがいい。
太陽のエネルギーと、水と風によって育まれたそれらは、人の糧になるからだ。
秋分の日の今日は、散歩中に撮影した実りの画像に合わせ、
自然の恵みを題材に詠んだ歌を紹介したい。

【早稲の香や 分け入る右は 有磯海】(画像:稲架干しの稲束)

江戸時代の俳聖「松尾芭蕉」が、津幡町のお隣・富山で読んだ句。
奥の細道の途上、越中に入った時の安堵感を込めたと言われている。
有磯海は富山湾の歌枕。
親不知や市振など越後の難所を踏破して国境(くにざかい)を越え、
稲と潮の香りが入り混じった穏やかな風景に接した瞬間、さぞホッとしただろう。
海を右に見ているという事は、進路は西。
芭蕉一行は、この後、高岡~倶利伽羅を経て、金沢へ至るのである。

【柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺】(画像:色づく渋柿)

作者は「正岡子規」。
慶応3年(1867年)今の愛媛県・松山市に武士の子として生まれた。
本名は「正岡升(のぼる)」。俳号の「子規」はホトトギスの事。
鳴けば鳴くほど赤い口の中が露わになり
血を吐いている様に見える鳥・ホトトギスは、結核の隠語。
「子規」が不治の病を患っていた事は有名である。
『果たして俺は、来年の柿を口に出来るんだろうか?』
病魔と闘い、命を削って創作に打ち込む彼が、そう思ったとしても不思議ではない。
名句には、どこか悲哀の気配が漂う。

【いちじくの 衰えはげし 恋も棄て】(画像:熟した口割れの無花果)

詠み手は、大正14年(1925年)生まれの俳人「赤尾兜子(あかお・とうし)」。
大阪外語学校中国語学科に在学中、
同級の蒙古語科に「司馬遼太郎」が、一年上級のインド語科に「陳舜臣」がいた。
毎日新聞社に入社し学芸部記者、編集委員などを務めながら前衛的な俳句を発表。
中には前述のように、心の機微を詠った作品もある。
モチーフのイチジクは、1カ月で熟す「一熟」から来ているという。
短期間で熟れて衰えるのが早い果物に、恋も激しいほど早く冷める例えをかけた。
…うまいなぁ~。

さて、連休の最後にようやく休みが取れた。
これから「金沢競馬場」へ出かけようと考えている。
目的は「サンクスホースデイズin金沢」。
金沢出身の競争馬調教師「角居勝彦さん」が発起人のイベントである。
興味のある方は、是非、足を運んでみてはいかがだろうか。
「勝てない競走馬」はどうなるのか 日本一の調教師・角居師の「もう一つの挑戦」
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見えない危険の監視装置。

2015年09月22日 09時48分48秒 | 日記
今朝の散歩中、見慣れない機器を発見した。
 
設置場所は、津幡町・中橋の「石川県中央保健センター河北保健センター」裏庭。
数字と単位らしき電光掲示から、何かの計測をしているだろう事は想像できたが、
イマイチ正体が分からない。
…で、ネット検索してみたところ、どうやら「モニタリングポスト」らしい。
大気中の放射線量を継続的に測定する、据え置き型の装置だ。
電光掲示の「56nGy/h」は「56ナノグレイ毎時」と読む。

ナノグレイとは「日本原燃株式会社」のHPによると…
【いろいろな物質に放射線があたるとき、
 吸収される放射線量をはかるものさしがグレイ(Gy)です。
 1グレイの10億分の1を1ナノグレイ(nGy)といいます。】…と説明があった。
また、以下の記述も。
【放射線による人体への影響は、シーベルト(Sv)という単位で表します。
 1シーベルトの千分の1を1ミリシーベルト(mSv)といいます。
 ふだん私たちは1年間に平均して、宇宙から0.4mSv、大地から0.5mSv、
 食物から0.3mSv、呼吸によって1.2mSv、
 合計約2.4mSvの自然放射線を受けています。 】(※原文ママ)

なるほど。
ちなみに1Sv=1Gyである。

確か、200ミリシーベルト以上の放射線を短時間に受けると、
癌が発症しやすいと聞いた記憶がある。
それを基準にすれば「56ナノグレイ毎時」は、健康に悪影響を与えかねない量ではない。

2011年3月11日14時46分18秒以降、「放射能」への関心は高まった。
目に見えず、匂いも味もなく、身体に当たっても痛くもかゆくもない。
しかし、オソロシイものらしい。だって避難しているくらいなんだから。
ところが、役立つ面もあるらしい。医療現場でも使われているくらいなんだから。
しかも、自然界には放射線が飛び交い、自分も自然と被ばくしているようだ。
「う~ん、イマイチ正体が分かりにくい。」
僕も含めた多くの方が、そう思っているのではないだろうか。

4年余りが経過し、罹災地から離れた土地での放射能への警戒心は、
当時と比べて薄まったように思う。
緊張し、恐れ続けるのは大変だ。
環境適応能力に優れた種である人間は、やがて慣れてしまう。

だが、東北地方太平洋沖地震に端を発する福島第一原子力発電所事故は、
未だ終息を見ていないのである。
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2015秋、津幡に獅子が舞った。

2015年09月21日 21時24分52秒 | 賭けたり競ったり
シルバーウィーク。
秋の連休、いかがお過ごしでしょうか。
我が津幡町では、昨夜、恒例の「獅子舞頭合わせ」が行われた。
きのうの投稿で予告したとおり、
仕事の後、現地・四ツ角へ駆け付け、勇壮な催しに拍手を送った。

練習を重ねてきたであろう笛と太鼓のパフォーマンス。
赤い法被姿の小粋な女子も活躍。
いよっ!住吉会!!
見事な演奏に沿道からは拍手喝采。
獅子演武側も嬉しそうだ。
こうして徐々に気分が高揚し、クライマックスへと潮が満ち機が熟してゆく。さぁ、そろそろカチコミや!ついて来いよ!応っ!
…とばかりに気合が入る若衆連!!
彼方此方で一升瓶を回し飲み、準備万端整えて…
行ったれーっっっっっ!!!!!
おらぁぁぁぁっっ!!!
突撃じゃぁぁぁぁっ!!
こうして、熱気渦巻く四ツ角の夜は更けていったのである。

あれから丸一日。
現場を再訪してみると、当然ながら、そこは祭りの後。
一夜限りの夢は消え失せ、静かな平穏が戻っていた。

さて、きのうは群馬の水面でも大きなフェスティバルがあった。
獅子ならぬ雷神の祭典、優勝戦である。
【ボート】毒島誠が桐生周年を初制覇 今年G1V2で獲得賞金4位に浮上
 圧倒的な人気を背負った大本命。
コースは最も有利とされる最内。
声援と期待が後を押す地元水面。
大変なプレッシャーに打ち勝ち、4度目のG1制覇(地元では初)。
見事な走りだった。
おめでとう、ブス!
目指せ賞金王!
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