つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町にて夏支度。

2016年06月26日 17時35分34秒 | 日記
本日はレイニーシーズンの小休止。
早朝に雨が上がり、午後からはスッキリとした空が広がり気持ちがいい。
晴れ間をぬって、夏の準備が行われた。

ちょうど1ヶ月後に開催が迫った「つばた町民八朔まつり」の幟が立つ。
地域住民のボランティアによる作業のようだ。
ご苦労様です<m(_ _)m>

すっかりお馴染みの夏祭り。
津幡町観光ガイドHPより引用して、その全体像を紹介したい。
『毎年7月下旬(または8月上旬)に、
 津幡町住吉公園で町最大の夏まつりが開催されます。
 この八朔(はっさく)まつりは、同町で安土桃山時代から続く
 新暦の八朔(9月1日)に行われていた「八朔相撲」に合わせて開催されたのが
 始まりです。
…中略…
 「みんなでつくるみんなの夏まつり」をコンセプトに、当日会場ステージでは、
 町民参加のアトラクションやパフォーマンス、町民踊り流しなどが披露され、
 迫力ある手筒花火・ステージ花火がまつりのフィナーレを飾ります。
 会場に添って流れる津幡川では、「和舟の会つばた」が
 地元スギ材で手作りした屋形船「ひふみ丸」が川面を運行し、
 無料体験乗船も楽しめます。』
(※掲載分は原文ママ、一部割愛)

今年は7月30日(土)。
13:00にオープニングセレモニーで幕を開け、
21:30に打ち上げ花火~フィナーレとなる。
一つの会場、一日限りの宴。
それは、管理しやすく、運営する上でもメリットが多い。
悪い事ではない。
しかし、自ずと混沌とは縁遠くなる。
昭和の姿を知る身としては少々寂しい。
(※かつての様子は、拙ブログ内キーワード検索で「津幡まつり」と入力を)
何はともあれ、無事と盛況を祈っています。

もう一つ、愛犬も夏支度。
サマーカットにしてみました。

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黒の横槍を入れろ!~毒島 誠。

2016年06月26日 08時45分51秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期…と言いつつ、最近連発しているが(笑)…
イラスト連載第七弾は、ボートレーサー「毒島 誠」。

本日20:39、愛知県蒲郡市の「蒲郡競艇場」において、
「第26回 グランドチャンピオン」の優勝決定戦が行われる。
「グラチャン」は、年間9回のSG(スペシャルグレード)競走の1つ。
前年のディフェンディングチャンピオン、グランプリ(賞金王決定戦)の優出者、
その年のボートレースオールスター優勝者、過去1年間のSG優勝戦の完走者、
SG予選での得点上位者らが出場。
格付け上位レースで結果を残してきた選手が対象となる事から、
俗に“SGの中のSG”と呼ばれている。

今節トップ6のメンバーは、以下の通り。
1号艇:魚谷智之(兵庫)。
2号艇:毒島 誠(群馬)。
3号艇:山崎智也(群馬)。
4号艇:瓜生正義(福岡)。
5号艇:重成一人(香川)。
6号艇:池田浩二(愛知)。
いずれ劣らぬ実力者ばかりが顔を揃えた。

拙ブログで度々書いてきた通り、僕は2号艇に乗艇する「毒島 誠」のファンだ。
彼の持ち味は「ターン」だと言われる。
直線の猛スピードを維持したままコーナーへ突入し、
マーク(旋回位置の基準になるブイ)ギリギリを舐めるように旋回。
そのままの勢いで突き抜けるスピードターンのスペシャリスト。
確かに、そんなシーンを何度も目撃してきた。
異論はない。
そして、もう一つ「諦めの悪さ」こそ、彼の真骨頂だと考えている。

他の後塵を拝する展開では、ゴールするまで、遮二無二、前を追いかけて、
貪欲にひたすら上を狙う。
トップを走ったなら、競争相手は後続と「時間」。 
より速く駆け抜けようとアクセルを握る。
ちなみに、きのうの準優勝戦9Rで叩き出した「1分47秒0」は、
今節の全選手・全レースの最速レコード。
不調のエンジンと向き合い、諦めずに整備して立て直し、
着を積み重ねて、優勝戦まで漕ぎ着けた。

ここまで、今年のSG戦線では不振が続いている「毒島 誠」。
さぁ、巻き返しだ!
絶品ターンを武器にした2コース差し、あるいは捲り差しで、
黒のカポックをブスリと突き立てて欲しい。
完全復活を期待している!
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イギリスの選択/Those were the days.~メリー・ホプキン。

2016年06月25日 16時57分32秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載第六弾は「メリー・ホプキン」。

Those were the days, my friend.
(あの頃はよかったわ、ねっ)
We thought they'd never end,
(終わりが来るなんて思っていなかった)
We'd sing and dance forever and a day,
(歌って踊る楽しい日々は永遠だと思っていた)
We'd live the life we choose,
(生き方は自分が決めるものと思っていた)
We'd fight and never lose,
(戦って負ける事など考えてもみなかった)
For we were young and sure to have our way.
(まだ若く怖いもの知らず、独りよがりでいられたわ)
(※原題:「Those were the days」。邦題:「悲しき天使」。意訳:りくすけ)

僕がこの曲に出逢ったのは、高校時代。
金沢で、中古のドーナツ盤を購入したのが最初だった。
手にするまで作品についての知識は皆無。
タイトルと女性シンガーが気に入っての、いわゆる「ジャケ買い」である。
レコード屋の店名は失念したが、ショップ近くの喫茶店に入り、
ウインナコーヒーを注文したのは、何故だかよく覚えている。 
また、蒸し暑く、薄暗かった印象があるから、
ちょうど今頃のような、梅雨時だったのかもしれない。

家に帰り、レコードに針を落とすと、
聞こえてきたのは、マイナー調のイントロ。
そこに「メリー・ホプキン」のボーカルが重なり、何とも物憂く美しい。
一聴して、スタンダードの風格があるなと思った。
事実、1968年に「ザ・ビートルズ」主催のレーベルからリリースされ、
洋の東西で大ヒットしている。
ご存知ない方は、是非、聞いてみて欲しい。

楽しかった昔を思い出し、今の境遇を憂う「悲しき天使」。
原曲はラブソングで、やはり、過去の思い出に狂おしく胸を焦がす構成。
オリジナル制作のタイミングが、20世紀初頭のロシアだったと聞けば、
成程、センチメンタルな歌の世界に合点がいく。

当時、彼の地では「社会主義革命」が胎動していた。
300年続いた「ロマノフ王朝」治世の転覆の瀬戸際である。
貴族社会の心境は、然もありなん。
歌そのものだっただろう。
そして、新政権も、言い知れぬ不安の中で舵を取ったに違いない。
踏み出した足は、前進なのか?はたまた後退なのか?
時代が大きく転換する時、未知への船出は戸惑うのが当たり前だ。

さて「メリー・ホプキン」の生まれ故郷…イギリスが大きく揺れ、戸惑っている。
2016年6月23日、EU(ヨーロッパ連合)残留か、離脱かを決める国民投票で、
離脱派が過半数を獲得した。
しかし、圧勝ではなく僅差の勝利。
もう一度行ったら、結果は逆転するかもしれない。
栄光ある孤立は、様々な意味で遺恨を遺すだろう。
個人的には、大衆に判断を委ねたのが間違いだったと思う。
数年後…「Those were the days.(あの頃はよかったわ)」と、
後悔や懐古に囚われかねないのではないだろうか。
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津幡町電柱広告コレクション。

2016年06月25日 10時25分47秒 | 日記
日本は、電柱大国である。
現在、その本数は3500万以上。
新しい住宅街や商店街などでは「電線類地中化」の工事も行われているが、
(2016年時点の津幡町の場合「井上の庄」や「おやど商店街」がそれ)
地中化と建立のスピード比べは後者の方が早く、右肩上がりで増えているらしい。

ちなみに「電柱」とは、電気を送るために道路上に設置されているもの。
正式名称は「電力柱」。
建てたのは電力会社である。
一方「電信柱(でんしんばしら)」は、電話回線や光ケーブルを届けるためのもの。
建てたのは通信会社である。
更に、電気&通信共用の「共用柱(きょうようちゅう)」もあるが、
この記事では、まとめて「電柱」として表現する。

…そんな電柱、最近は随分と問題視する議論が後を絶たない。
景観阻害、災害時の脆弱性などを考えると、
今後は削減・減少傾向に転じるのかもしれない。
それは同時に「電柱広告」も姿を消す事を意味する。
記録として、町内の様子を紹介しておこう。

<地元飲食関係>

<各種個店>

<医療関係>


@24時間・365日、昼夜を問わずアピールできる。
@道路沿いの電柱広告は、歩行者や車の運転手の目に付きやすい。
@およそ30メートル間隔で建っているから、矢印表示で目的地へ案内できる。
@料金が安い。
 石川県の相場⇒年間掲出料:5,400円。製作費:8,100円。
           道路占用料:1,540円。
その利点としては、こんなところだろう。

掲載した画像は、ほんの一例。
当然の事ながら、地域毎にニーズは変わり、沢山の種類がある。
注意喚起を促す<メッセージ広告>も珍しくない。

有料だからだろうか?
おバカでユニークなデザインが見当たらないのが残念だ。
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褪せない輝き。~夏目雅子。

2016年06月18日 18時01分28秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載第五弾は「夏目雅子」さん。

僕が、初めてその存在を知ったのは、
昭和52年(1977年)の「カネボウ化粧品」のCMだと思う。
同じカテゴリーの前回投稿で取り上げた通り、当時は小麦色が夏の代名詞。
彼女のビジュアルも、典型的なサーファースタイルだった。
よく焼けた肌、ブルーのアイシャドー、パールオレンジのリップ。
青い空と海を背景に、ビキニのブラを外して横たわり、
大きく両手を振って砂浜を走る。
“OH!クッキーフェイス!”のキャッチと共に、
大胆で、躍動的な印象を与えた。

ところが翌年、今度は「西遊記」の「玄奘三蔵」として、ブラウン管に登場!
全身をすっぽりと法衣に包み、白馬に跨って、
三人の弟子(三匹の妖怪?)を引き連れ、
「ゴダイゴ」の歌と共に砂漠を越え、唐の都から天竺へと向かうのである。

女優が男性を、しかも、僧侶を演じる配役に驚き、
更に、その可憐さ、美しさに2度ビックリ。
また、女性のスキンヘッドが意外にセクシーだと気付いて激しく狼狽。
『こんな坊さんいねーよ!…でも、いたらいいな。』
心を千々に乱しながら、毎回、片時も目を離す事が出来なかった。

「夏目雅子」の活躍は「西遊記」以降も続く。
@二百三高地(1980年公開)。
@鬼龍院花子の生涯(1982年公開)。
@時代屋の女房(1983年公開)。
@南極物語(1985年公開)。
@魚影の群れ(1983年公開)。
@瀬戸内少年野球団(1984年公開)。

数々の映画作品でスクリーンを彩ってきたが、幕引きは突然だった。
急性骨髄性白血病を発症し、昭和60年(1985年)9月11日、他界。
わずか27年の生涯、たった10年の女優生活だった。

闘病中、抗がん剤の副作用で抜ける髪を心配する母にこう言ったそうだ。
「私、西遊記で以前に坊主頭を演じたこともあるし、坊主頭はけっこう似合うの」。
美しい人の心は、やはり美しく、強く、優しかった。
彼女の姿は、作品の中に遺り、今も褪せない。
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