つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

<追記アリ>賭けたり、競ったり、夢見たり。

2021年05月31日 23時05分00秒 | 賭けたり競ったり
             
ゆうべ「ミニボートピア津幡」で、競艇レースを観戦した。
ここは、ウチから車で5分。
大変アクセスのいい場外舟券売場だ。
入場直後、粗品を頂戴する。



「ハンドソープ」と「除菌ウェットティッシュ」。
やはり時節柄か清潔を保つアイテムを受け取る。

ハンドソープのメーカーを見て合点がいく。
「シャボン玉石けん株式会社」の本社住所は、福岡県北九州市若松区。
SG「第48回 オールスター(旧:笹川賞)」大会の開催地、
「若松競艇場」のお膝元だ。

きっと日本全国で配布しているのだろう。
費用を出しているのが競走会なのか競艇場なのか内情は分からないが、
何にせよ地元還元は、いいことである。



ゆうべ、準優勝戦3レースが行われ、
今夜の最終決戦メンバーが決定。

12R優勝戦
①峰 竜太(佐賀)
②白井英治(山口)
③菊地孝平(静岡)
④佐藤 翼(埼玉)
⑤桐生順平(埼玉)
⑥秋山直之(群馬)

個人的にエールを送った「西山」は、生き残れなかった。
「もう二度と優勝乗れんでいいけん、ここだけは乗せてほしい」
戦前、本人はそう呟いていたそうだ。
それだけ地元開催に賭ける思いは強かったが、結果は非情。
福岡支部のいない優勝戦となった。

大方の予想通り「白と赤の戦い」になるだろう。
即ち、最も有利な枠番の1号艇「峰」と、
最も機力充実の3号艇「菊地」の一騎打ち。
とは言え、2人のどちらかが栄冠に輝くと約束されたわけではない。
ただハッキリしているのは、1と3がスタートラインを越えた時、ドラマが生まれる。
そのシナリオは、波乱かもしれないし、順当かもしれない。
まだ、誰にも分からないのである。

さて、上記優勝戦の中で、僕が投票(※)した選手は2人いる。
「菊地」と「秋山」。
3-6、6-3になったりしたら、さぞ高配当だろう。
少額で狙ってみるか?!

(※オールスターは事前のファン投票が出場基準)

<追記:夢破れて山河あり>

優勝戦が終わった。
栄冠に輝いたのは「峰 竜太」だった。

もしかしたら3が後ろに引くかもしれないと思ったが、
本番の陣形は123/456の枠なり。
果たして真っ先にスタートラインを越えたのは、やはり「菊地」。
SG優勝戦のコンマ06は最速の部類と言っていい。
しかし、内2艇も07と08。
ドラマの幕が開き、すぐにエンディングが訪れた。
 
「菊地」の攻勢を受け止めた「白井」に護られ「峰」が独走。
隙を突いた「佐藤」が食い込み、1-4-2でゴール。



淡い僕の夢は、ものの見事に砕け散ったのである。
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賭けたり、競ったり、選ばれたり。

2021年05月30日 16時50分00秒 | 賭けたり競ったり
           
競艇の大会は6日間開催が多い。

初日~4日目は「予選」。
期間中、主宰者が定めた番組に従って参加レーサーが着順を競い合う。
1着~6着までそれぞれ「点数」が与えられていて、
獲得点数上位18名が次のステージ---
5日目の「準優勝戦」へ進むことができる。

勝ち上がる過程では、様々な要素が絡んで綾を成す。
あの時、他艇に邪魔されなければ。
あの時、急に風が吹かなければ。
あの時--- 。

“運も実力のうち”とはよく言われるが、
展開に恵まれず、不運にも勝利が零れ落ちるケースはままある。
そんな「惜敗」してしまったレーサーがいる一方、
「惨敗」としか言い難い成績・内容の選手もいる。
今節の「毒島 誠」がそれだ。

確かにモーター(※)は、出ていなかった。
回れない、押さない、伸びない。
上位者と比べて「別の乗り物か?」と疑いたくなるほど、
ないない尽くしのお粗末な機力。
「毒島」も精いっぱい立て直しを図って戦ったが、
満足な仕上がりには程遠く、予選敗退が決まった。

(※すべてのモーターは同一メーカー、同一排気量。
  カタログ上は同じものだが、レースの出来不出来が現れる。
  主宰者所有で、各節毎に抽選で割当。)



さて、今年2つ目のSG(スペシャルグレード)競走。
ファン投票で選ばれた人気レーサーたちが一堂に会する
「第48回 ボートレースオールスター(笹川賞競走)」は、
今夜が準優勝戦である。



9R
①馬場貴也(滋賀)
②菊地孝平(静岡)
③上田龍星(大阪)
④徳増秀樹(静岡)
⑤秋山直之(群馬)
⑥西島義則(広島)

10R
①白井英治(山口)
②興津 藍(徳島)
③佐藤 翼(埼玉)
④濱野谷憲吾(東京)
⑤上野真之介(佐賀)
⑥原田幸哉(長崎)

11R
①峰 竜太(佐賀)
②西山貴浩(福岡)
③瓜生正義(福岡)
④桐生順平(埼玉)
⑤松井 繁(大阪)
⑥深川真二(佐賀)

明日、最後の6ピットへ舳先を進めるのは誰か?!
今から僕は「ミニボートピア津幡」へ投票に向かう。
力と技、幸運と不運が交錯するどんなドラマが待っているのか!?
楽しみにしている。

個人的には、11R2号艇に乗艇する「西山」にエールを送りたい。
相棒のモーター55号機は、前述の「毒島」と同じく機力は頼りない。
活を入れ、鞭を入れ、連日整備をしながら、
スタートを張り込む気合で、生き残った。
厳しい戦いになるのは間違いないが、何とかもう一つ勝ち上がって欲しい。
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ボレロ誕生。~ イダ・ルビンシュタイン。

2021年05月29日 22時33分33秒 | 手すさびにて候。
            
「英語は世界共通語」だと言われる。
英語を母国語とする人、または、英語を第二言語とする人は5億人に達する。
--- 確かに多い。
しかし、僕のように不得手な人からすると「共通」の現実感は乏しい。

言葉の通じない者同士が、何らかの意思疎通する方法の1つは、
やはり音楽ではないだろうか。
たとえ日本語が理解できなくても、津軽三味線の哀切、祭囃子が持つ楽しさは伝わる。
たとえロシア語が分からなくても、ロシア民謡の叙情性は感じられるし、
はじめて英語に接したとしても、ブルースが秘めた悲哀は窺い知れる。

もう一つ、舞踊(ダンス)も然り。
そもそも肉体で喜怒哀楽を表現するため、言語を必要としない。
ベリーダンス、フラメンコ、タンゴ、ケチャ、ハカ、神楽舞、阿波踊り 等々--- 。
それらは、必ずと言っていいほど音楽と共にある。
音楽とダンスは、人種の別なく、有史以前から受け継がれてきた共通の要素だ。

前々回は、バレエ音楽「ボレロ」から着想を得て昭和の事件を取り上げたが、
今回はその曲の誕生に目を向け、耳を傾けてみたい。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百七十三弾は「イダ・ルビンシュタイン」。



同じリズムとメロディを繰り返しながら、楽器がバトンを渡すように旋律を受け継いでゆき、
やがて重なり合って高揚し、全てが一体となり、まるで爆発するかのように終曲。
構成は単純明快ながら、聴感は極めて豊かな作品--- 「ボレロ」。

スコアを書いたのは「モーリス・ラヴェル」。
“オーケストレーションの天才” あるいは“管弦楽の魔術師”と呼ばれる作曲家の故郷は、
イベリア半島の付け根・バスク地方。
スペインとフランスの国境をまたぐ一帯は、両者の影響を受けつつ育んだ独自の文化を持つ。
1875年、フランス・バスクに生まれた「ラヴェル」もまた、
スペインの香りを愛し、自らの作品に取り込む。
その白眉が「ボレロ」。
3拍子のリズムで叩くカスタネットとギターによる民族舞曲を、
オーケストラで演奏しようという野心作だ。

彼に曲の制作を依頼した人物は、「イダ・ルビンシュタイン」という。

1885年、ロシア・サンクトペテルブルクのユダヤ系の家庭に生まれ、
ダンスをやり始めたのは20歳の時。
テクニックは稚拙だったが、美しさと天性の演技力を持ち合わせていたお陰で、
バレエ史に名を残す劇団に採用された。
同団、初のパリ公演最終日の演目『クレオパトラ』で主役を張り、
薄物(ベール)を1枚ずつ脱いでゆき、一糸まとわぬ姿になるパフォーマンスを披露。
パリにセンセーションを巻き起こした。

客席に陣取るのは、詩人「ジャン・コクトー」、デザイナー「ココ・シャネル」、
小説家「プルースト」、天才「パブロ・ピカソ」ら著名人たち。
皆スポットライトの下のプリマドンナが、いかに艶っぽかったかを語りあったという。

痩身にして長身、スラリと伸びた手足。
引き締まった身体は、贅肉がなく、厚みと曲線美には欠ける。
大きな瞳も、ウェーブがかかった髪も、濡れたような黒で、肌の白さを引きたてた。
性別不詳のようにも見える印象そのまま、私生活ではバイセクシャルだったという。
ミステリアスで、どこか倒錯的な美女を称える者は後を絶たず、
多くの画家からモデルの依頼が舞い込み、社交界の名士たちから声がかかった。
--- 文字通り時代の寵児になった「イダ・ルビンシュタイン」は、自身のバレエ団を設立。
「ラヴェル」に制作を依頼したのは、このころである。

1928年、「ボレロ」はパリ・オペラ座にて初演を迎えた。
作品の舞台はスペインの小さな酒場。
その片隅で「イダ」扮する一人の踊り子がゆっくりと躍り始める。
曲の盛り上がりに合わせ、次第に熱を帯びるダンス。
酒場に居合わせた人々も引き込まれ、クライマックスは全員の群舞へと発展。
そして、訪れる突然の幕切れ。
観客は拍手喝采を惜しまなかった。

Boléro- Ravel/Béjart- Maïa Plissetskaïa /1974 (Complet 20 min)

     
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若葉のころ。

2021年05月23日 19時35分35秒 | 自然
             
例年よりずいぶん早く梅雨入りした地域もあるが、
5月も後半に差し掛かり初夏の趣が強くなってきた。
少し前、5月5日は「立夏(りっか)」、夏の扉が開いた。
おととい5月21日は「小満(しょうまん)」。
万物が次第に成長し天地に満ち始める頃とされる。

最近、散歩中に目を引くのは、やはり若葉。
中でも2つの木の葉の鮮やかさが気に入っている。



冬の間、曲がりくねった枝だけになっていた柿の木。
暖かくなると芽が膨らみ始め、梢が伸び、葉も広がる。
そのスピードはなかなかのもので、力強さを感じるのだ。
やがて花が咲く。
開花を迎えた柿の木は、根の活動が本格化。
新たな養分を吸収する。
来る夏の暑熱に耐え、秋の実りを目指す。
柿若葉の表面は艶々していて、鮮やかな萌黄色が特徴だ。



銀杏は、秋の色づきも見頃だが、若葉もまたいいものだ。
木は必要のなくなった葉を落とす際、
光合成を行う葉緑体を分解してミネラルなどの栄養分にして、枝や幹へと戻す。
新しい葉をつける際は、逆に枝や幹から葉に栄養分が供給され葉緑体が形成される。
若い葉は緑の色素---クロロフィルの量が少なく、色が薄いので透明感があり鮮やか。
程なく緑は濃くなり「青葉」に。
景色は季節に応じて移り変わってゆく。
若葉を楽しめる時期は案外短い。
 


さて、結びには花の写真を掲載したい。
マーガレット・サンデーリップル。
原産地は、遥かアフリカ大陸沖、大西洋上に浮かぶカナリア諸島だ。
或る意味「花の代表種」かもしれない。
子供に花の絵を描いてみてと言うと、こんなデザインになりそうだ。
また、「スキ・キライ・スキ・キライ・スキ・キライ」
--- 「花占い」をするなら、やはり、マーガレットではないだろうか。
昭和はそうだったが、令和の今は?
どうなのだろう?
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愛と哀しみのボレロ。~ 阿部 定。

2021年05月22日 22時00分00秒 | 手すさびにて候。
             
貴方はフランス生まれの作曲家「モーリス・ラヴェル」によるバレエ音楽、
「ボレロ」をご存じだろうか?

Ravel "Bolero" Bernstein ラヴェル「ボレロ」バーンスタイン


同じメロディと同じリズムが繰り返されるため、構成は単純明快。
しかし、音色と音量が常に変化し続けるため、聴感は極めて豊か。
フルート→クラリネット→ファゴット→サックス---。
受け継がれた旋律は、やがて重なり合って高揚してゆき、
全ての楽器が一体になって、まるで爆発するかのように終曲。

トータル10数分の作品を聞く度、僕は一つの劇を観た気分になる。
思い描く演目は、どちらかというとハッピーエンドではない。
破滅的なストーリーの何か --- 例えば、こんな昭和の猟奇事件が当て嵌まるかもしれない。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百七十二弾は「阿部 定(あべ・さだ)」。



明治38年(1905年)、「定」は、まだ江戸の香りが残る東京・神田に生まれた。
生家は、下働きも使う裕福な畳屋。
末娘で甘やかされて育ち、容色に優れ、人目を惹く少女だったという。
ところが15歳の時、友人の家で大学生に手込めにされ、人生が狂い始める。
自暴自棄になり、複数の男と関係を持ち遊び暮らすようになった。

見兼ねた父親は「定」を女衒(ぜげん/売春斡旋業者)に預ける。
以降、横浜~富山~長野~大阪~名古屋~京都~神戸~東京と各地を転々。
芸者、娼妓、カフェーの女給、妾などのサービス業に従事し、オンナを売った。

現代の感覚からすれば、悲惨な生き方に映るだろうが、
当時の感覚からすると、少々異なっているかもしれない。
娼館で寝起きするのは、床の間が付いた個室。
鏡台、箪笥、座卓、寝具は自分専用。
賄い(まかない)付きで飢える心配はなく、お客にねだればご馳走にもありつける。
袖を通すのは、仕立ててもらった絹の着物。
たとえそれが、かりそめ、偽り、刹那であったとしても、
多くの庶民に比べ、かなりゴージャスな暮らしぶりだった。
今とは、あまりにも「時代が違う」のである。

さて、恵まれた少女時代に始まり、過ち(あやまち)から道を踏み外し、
様々な男という楽器に奏でられてきた「定」のボレロは、いよいよクライマックスへ。
彼女はタクトを振り下ろす。
破滅に向かって。

仲居として働きはじめた、東京・中野の料亭の主人と恋仲になり、
不倫関係を結んで2人は出奔。
府内(当時/東京府)の待合宿(まちあい/ラブホに類似)を渡り歩き、愛欲に溺れる。
その行為は一種異様な段階に踏み込み、
お互い合意の上、性交中に男の首を紐で絞めて楽しんでいたという。

そして、昭和11年(1936年)5月18日未明。
「定」は愛人を絞殺。
牛刀で切り取った男の局部を紙に包み、懐に忍ばせ逃走した。
発生から2日後、捕縛された「定」は凶行の動機や顛末を次のように語っている。

『私はあの人が好きでたまらず、自分で独占したいと思いつめた末、
 あの人は私と夫婦でないから、あの人が生きていれば、他の女に触れることになるでしょう。
 殺してしまえば、他の女が指一本触れなくなりますから、殺してしまったのです。』

『それは一番可愛い大事なものだから、そのままにして置けば、
 湯棺でもする時、お内儀さんが触るに違いがないから、誰にも触らせたくないのと、
 どうせ死骸をそこに置いて逃げなければなりませぬが、
 それがあれば、一緒の様な気がして淋しくないと思ったからです。』

青年将校によるクーデーターから3ヶ月余り。
軍国主義の暗雲立ち込める中で起こった猟奇殺人事件は、世間の耳目を集める。
異常犯行と捉えられた反面、
抑圧された「性」を解き放ち、「愛」に殉じたとして彼女は人気者になった。

裁判の結果、下された判決は懲役6年。
恩赦を受け出所した後、名前を変え平穏な生活をしていたが失踪。
消息不明になった。
男の永代供養をしていた寺へ毎年命日に届く花の贈り主は「定」と言われるが、
昭和62年(1987年)に途絶えている。
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