前回の投稿「津幡ふるさと歴史館 れきしる」で行われている企画展に足を運び、
津幡町に電話が開通したのは、明治42年(1909年)と知る。
遡る事110年前だ。
姿の見えない遠方の誰かと話ができるなんて、先人たちは、さぞ驚いただろう。
その“魔法の箱”は、高嶺の花。
黎明期の通話料は、年額40円あまり。
男性工員の月給の10倍以上というから、現在の価値は300万円にもなるだろうか。
おいそれと手に入れられるものではない。
そこで登場したのが、不特定の者が利用できるように道路や施設内に設置した電話機だ。

硬貨やテレホンカードを差し込んで電話をかける「公衆電話」。
今では、すっかり見かけなくなった。
この画像は、旧・電電公社(NTT)津幡支局前で撮影。
貴重な電話ボックスである。

内部には、緑の電話機。
昭和57年(1982年)に誕生した「テレホンカード」を利用できる「カード式」である。
公衆電話の歴史を紐解いてみると、普及は戦後。
電電公社が駅や商店などに管理を委託する「赤電話」。
電話ボックス用が「青電話」。
100円硬貨を利用できる「黄電話」。
携帯電話が普及する以前、悲喜こもごもの報せを伝えてきた公衆電話。
今は昔である。
津幡町に電話が開通したのは、明治42年(1909年)と知る。
遡る事110年前だ。
姿の見えない遠方の誰かと話ができるなんて、先人たちは、さぞ驚いただろう。
その“魔法の箱”は、高嶺の花。
黎明期の通話料は、年額40円あまり。
男性工員の月給の10倍以上というから、現在の価値は300万円にもなるだろうか。
おいそれと手に入れられるものではない。
そこで登場したのが、不特定の者が利用できるように道路や施設内に設置した電話機だ。

硬貨やテレホンカードを差し込んで電話をかける「公衆電話」。
今では、すっかり見かけなくなった。
この画像は、旧・電電公社(NTT)津幡支局前で撮影。
貴重な電話ボックスである。

内部には、緑の電話機。
昭和57年(1982年)に誕生した「テレホンカード」を利用できる「カード式」である。
公衆電話の歴史を紐解いてみると、普及は戦後。
電電公社が駅や商店などに管理を委託する「赤電話」。
電話ボックス用が「青電話」。
100円硬貨を利用できる「黄電話」。
携帯電話が普及する以前、悲喜こもごもの報せを伝えてきた公衆電話。
今は昔である。