つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡短信vol.29

2017年02月26日 12時41分37秒 | 津幡短信。
自分の目で見た、津幡町に関するごく短いニュースの不定期通信。
今回は、改装にまつわる2篇。

【セブンイレブン、お色直しでいい気分。】

きのう「セブンイレブン津幡横浜店」が、リニューアルオープンした。
かなり大掛かりだったようで、昨年末から長期に亘る工事だった。

駐車場スペースが広くなって、道路からも入りやすくなった印象。
再開初日という事もあり、来客多し。
僕も店内のマルチコピーで競艇予想誌を買い求めた。
おめでたいタイミングにあやかり、こちらも幸運が訪れるといいな(笑)。

【板壁、三代。】
拙ブログにも度々登場している、津幡町の造り酒屋「久世酒造」。
その蔵を覆う板壁が、一部、新しくなっていた。

3つの色違いが分かるだろうか?
画像左が、最近のもの。
真ん中が、それ以前のもの。
画像右が、更に以前のもの。
斜めからも撮ってみた。

板壁の耐用年数はどの位なのか?
気象条件にもよるだろうし、木材の質にもよるが、
厚みのある板だから20年は固いだろう。
…とすると、古い壁は昭和から蔵を守ってきたのかもしれない。

<津幡短信vol.29>
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伝説の女(ひと)。~ブリジッド・バルドー。

2017年02月25日 11時20分40秒 | 手すさびにて候。
いつの世にも、セクシャルな魅力で人気を博し、
芸能や大衆に影響を及ぼした「セックス・シンボル」と呼ばれる人物がいる。
個人の好みや基準は様々だろうが、ここ20年の間を見渡すと、
「マドンナ」、「ビヨンセ」、「アンジェリーナ・ジョリー」らの名前が挙がるかもしれない。
時代を超越した真打は、やはり「マリリン・モンロー」だろう。

彼女の有名なエピソードの1つが、ナイトウエアについてのやり取り。
Q:「夜寝る時は、何を着ますか?」→A:「シャネルの5番よ。」
つまり香水だけ。 ウィットが効いた、妄想をたくましくさせる答えだ。

同じ問いに対し、より明け透けに力強く切り返した美女がいる。
Q:「夜寝る時は、何を着ますか?」→A:「恋人の腕ね。」

不定期イラスト連載第三十五弾は、恋多きフランス女優「ブリジッド・バルドー」。

1934年(昭和9年)、セーヌの流れとエッフェル塔を望むパリ15区生まれ。
1939年(昭和14年)、第二次世界大戦が勃発し、町はナチスの支配下に入る。
1945年(昭和20年)、終戦。
混乱はあったものの、ワルシャワやベルリンの二の舞を免れた花の都の映画界では、
ヌーベル・ヴァーグ(新しい波)と呼ばれる潮流が起こった。
若手監督と若手俳優による自由闊達な映像、(それまでの)タブーへの挑戦。
旧体制へ反旗を翻す勢力の中心にいた1人が「バルドー」だった。

最初は、モデルとして女性誌「ELLE(エル)」などで活躍。
次いで、スクリーンに進出。
太陽の下、一糸まとわぬ姿を晒し、ブロンドを風になびかせ、
素足で闊歩する天真爛漫な魅力は、演技派の伝統を覆す。
〈演技はしない、存在する〉と称えられ、“フランスのマリリン・モンロー”と評された
フランスのセックス・シンボル「B.B.(ベベ)」誕生。
当時は、大西洋を挟んで2つの輝きが世界を照らしていたのだから、
何とも羨ましいと思う。

さて、ご存知のとおり、「マリリン・モンロー」は36歳で夭折している。
誤解を恐れずに言うなら、死をもって、彼女の美貌は銀幕に凍結され伝説になった。
一方「バルドー」は、39歳で自らに引導を渡す。
老いが始まったのを見定めて、芸能活動に終止符を打ったのだ。
現在も存命だが、この潔い引き際は一種の伝説になっている。
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湖(うみ)を見に行った旅の記録。

2017年02月19日 13時58分07秒 | 旅行
PC内のデータ整理をしていたら、旅の記録が見つかった。
1つが、2012年の琵琶湖への日帰りドライブ。
この時は「滋賀県立 琵琶湖博物館」訪問をメインにしていたが、
拙ブログ内を検索してみたところ、関連する投稿はない。
このままお蔵入りもモッタイナイと思い、掲載に踏み切った次第である。
お時間が許せば、お付き合いください。

琵琶湖は滋賀県の面積6分の1を占める日本一大きな湖。
また、世界有数の古代湖で、生物多様性に優れた水辺だ。
昔から、周囲にはその恩恵に預かった人々が暮らし、独自の文化圏を築いてきた。
「琵琶湖博物館」は、湖と人との関係を研究・調査する研究施設・文化施設として
平成8年(1996年)に開設された。

設置場所は滋賀県南部・草津市の琵琶湖畔、烏丸(からすま)半島。
三方を水に囲まれた、城郭のような立地。
館内では…
@A展示室「琵琶湖のおいたち」
@B展示室「人と琵琶湖の歴史」
@C展示室「湖の環境と人びとのくらし」、水族展示室「淡水の生き物たち」
4つのエリアでテーマ別の常設展示が行われていた。

Aは、自然科学の視点。古代琵琶湖周辺の再現ジオラマが印象的。
Bは、人文科学の視点。古書や絵図などの資料展示が印象的。
Cは、民族学や自然環境の視点。
琵琶湖沿岸から館内に移設した本物の民家の展示が印象的。
間近を流れる水を屋内に引きこんで利用し、野山湖の幸に支えられた、
高度経済成長前の生活が窺えて興味深い。

また、琵琶湖関連とは少々趣が異なるが、暮らしの変遷を振り返る意味で、
昭和30年代から現在まで半世紀の風物も展示。
電化製品、食品、生活用品、おもちゃ、本、雑誌、レコードなど
往時の“昭和ノスタルジー”も楽しめた。

(左上:アグネス・ラム貯金箱) (左下:マジソンスクエア・バッグ)
(右上:怪獣ソフビ人形) (右下:観光ポスター、ハネムーン客狙い?)

そして、施設のクライマックス…C展示の水族たち。

ギンブナやタモロコ、ワタカやタナゴの仲間にアメリカザリガニ
ビワヒガイ、イワトコナマズ、ウツセミカジカなどの琵琶湖固有種。
特に、ビワコオオナマズは圧巻。
また、人の住む「沖島」の伝統食を紹介する展示も面白い。
塩ゆでしたコイの卵をバラシて洗いにまぶした、一種の親子刺身。
イサザと大豆を醤油と砂糖で炊いた煮物。
ナマズのすき焼きなどのサンプルが並んでいた。

見応えたっぷりの「琵琶湖博物館」。
現在、数年の期間をかけて、展示を行いながらリニューアル作業の最中。
機会を見つけて、再訪したいと思っている。
ファンになってから、2度3度と足を運んでいる「ボートレース琵琶湖」と合わせて。
ちなみに、琵琶湖競艇場のキャラクターは、前述ビワコオオナマズを題材にした、
「ビナちゃん」と「ビーナスちゃん」である。

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地蔵物語。

2017年02月18日 19時00分21秒 | 日記
津幡小学校や清水八幡神社(しみずはちまんじんじゃ)近く、
津幡町・清水(しみず)に小さな「地蔵堂」がある。
今朝、散歩中に立ち寄ってみたところ、正面が樹脂製の波板で覆われていた。

隙間からご尊顔を拝見。

素朴で優しい顔立ち。
石はキレイに保たれ、頭巾と涎掛けが整い、千羽鶴やお飾に囲まれるなど、
行き届いた手入れは、地域住民の方々の努力の賜物である。

ところで、このお地蔵様は変遷を経て現在の場所に落ち着いた。
「清水区瓦版」より引用して紹介したい。

『このお地蔵さんは、明治の初め頃まで、大西山の北のふもとにあった
 清水村の火葬場(サンマイ)の参拝像として「サンマイ地蔵」と呼ばれていた。』
※作注:サンマイとは「三昧」と書く。
     語源はサンスクリット語の「SAMADHI」。
     精神を集中し、雑念を捨て去る事を指す。
     サンマイは、主に西日本で墓所や葬場の呼び名として使われていた。

『明治二〇年 簡易科津幡小学校の建設に伴い、「しょうず」裏山(墓地)あたりに移転したが、
 その後 昭和三〇年頃、参拝の便宜を考え現在の地に移し、お堂を建て、今の姿になった。
 伝えられる話によると、当時地蔵の世話をしていた×××さんの夢枕にお地蔵さんが現れ
 「寒い、寒い。雪囲いをしてほしい」とお告げになった。
 そこで××さんは区長と相談し、自分の畑のあった今の場所に移し、お堂を建てたのだという。
 そんな由来があって、××さんの子息の××さんをはじめ、
 歴代の区の役員が、引き続きお世話にあたっている。
 真ん中の大きな仏様は阿弥陀如来で、高さ135センチ。
 左右の三体の六地蔵は64センチ。
 右わきの小さな一体は「水子地蔵」ではないかという。』
※作注:「しょうず」は清水に沸く泉の事。
     ××伏字は個人名。
     『  』内、清水区瓦版 ワクワクしみず第3号より引用、ほぼ原文ママ。


雪囲い前の控えめな立て看板によれば、冬支度はお彼岸までが目安との事。
扉が解放されると、春到来だ。
帰り道で、次の季節の兆しに出会った。

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賭けたり、競ったり、貢献したり。

2017年02月12日 11時58分14秒 | 賭けたり競ったり
度々申し上げているとおり、僕は「競艇ファン」だ。

競艇は、競輪・競馬・オートレースと並ぶ「公営競技」の1つ。
ファンは、レースの勝敗を予想し、いくばくかの銭を張る。
上記4競技における売上金の行方は、いずれも概ね同じ。
全体の75%が的中者へ払い戻され、残りの25%が胴元の懐に入る。
その25%は、自治体の収益金や、賞金・経費などに充てられる他、
一部が、社会へ還元される。
わが津幡町で散見した実例をご覧いただこう。

まずはコレ。

「住吉保育園」前に停まる幼児送迎車。
車両右後方側面には「(財)中央競馬馬主 社会福祉財団助成」とある。
JRAの馬主さんたちが競馬賞金の一部を拠出して設立した団体で、
昭和45年(1970年)から、助成金の交付を行っている。

続いてはコチラ。

津幡町福祉センター前で撮影した検診車両の列。
これらは「競輪補助事業」によって賄われている。
最近は、同じ二輪車競技・オートレースと一緒に、
「笑顔の輪(わ=RING)」を広げる「RING!RING!プロジェクト」と題して、
様々な取り組みを行っているようだ。

そして、わが愛する競艇。
2015年8月9日の投稿では、
元締め「公益財団法人 日本財団」から贈呈された車両を紹介した。
その際、車両の横や後ろに貼り出されたステッカー「ありがとう競艇」を、
できるなら、散財している我々への配慮を以て「ありがとう競艇ファン」にして欲しい。
…と書いた。
…ありました。

本津幡駅の駐車場に停まった福祉車両に、別バージョンを発見。

これでいいのだ(笑)。
心置きなくレース予想に励みます(笑)(笑)。

さて、本日より「桐生競艇場」では「第62回 関東地区戦選手権」が開幕する。

群馬、埼玉、東京各支部のトップ選手52人が、
優勝賞金と、3月開催の「SGレース」への出場権獲得を目指す。
個人的にエールを送る「毒島 誠(ぶすじま・まこと)」選手も参戦。
去年はグランプリ出場が途切れ、目立った結果も残せなかったが、
ここから巻き返して欲しい。
先日、津競艇で行われた「匠シリーズ 第9戦」で優勝を目撃した
「柴田 光(しばた・ひかる)」選手も出場。
今節は、地元・群馬支部の2人に注目したい。

頼んだぜ、ご両人!

(※2015年8月9日
 ※2017年1月28日/31日に関連投稿アリ)
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