前回の投稿と同じ「津幡町・加茂」には、古代史に名前を刻む遺跡がある。
ここで、日本全国初めて平安時代の「お触れ書き」が見つかった。
その内容から律令政府がおこなった農業政策や
国家政策の伝達方法を具体的に知ることができる。
「加茂遺跡」は、河北郡津幡町の加茂・舟橋地内に位置し、
かつて西側には、金沢平野の北端を占める河北潟が広がり、
東側丘陵部の谷からは舟橋川が流れ出していたそうだ。
今、僕が目にしている道路などない当時、人々が暮らした様子はいかばかりか…。
都の華やかさとは無縁だったろうが、水辺の自然と向き合う真摯な営みが偲ばれる。
しばし1000年前の古に思いをはせた、ロマン漂う初夏の散歩。
なかなか味わい深い時間だった。
ここで、日本全国初めて平安時代の「お触れ書き」が見つかった。
その内容から律令政府がおこなった農業政策や
国家政策の伝達方法を具体的に知ることができる。
「加茂遺跡」は、河北郡津幡町の加茂・舟橋地内に位置し、
かつて西側には、金沢平野の北端を占める河北潟が広がり、
東側丘陵部の谷からは舟橋川が流れ出していたそうだ。
今、僕が目にしている道路などない当時、人々が暮らした様子はいかばかりか…。
都の華やかさとは無縁だったろうが、水辺の自然と向き合う真摯な営みが偲ばれる。
しばし1000年前の古に思いをはせた、ロマン漂う初夏の散歩。
なかなか味わい深い時間だった。