つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

或る秋の津幡川(令和元年)。

2019年09月29日 23時16分13秒 | 日記


津幡町内には、何本かの川が流れている。

その管理者は種類によって分かれている。

石川県が役目を担う二級河川は4つ。

能瀬川、材木川、大海川、そして津幡川。

個人的に最も身近なのは、最後のそれだ。

度々、拙ブログにも登場しているとおり、散歩コースの定番であり、

幼い頃から親しんできた水辺である。

今回は、そんな川の風景を取り上げてみたい。

<弘願寺と津幡川>

良く晴れて明るく光が多い日。

さざ波も立たない無風。

流れがなく、濁りが少ない。

朝晩の気温差が小さく、霧が発生しない。

幾つかの条件が揃うと、川は鏡のようになり、

天と地、二つの世界を同時に愛でる事ができる。

<NTT鉄塔と津幡川>

・・・古(いにしえ)から、人の営みや町の変遷を見守ってきた川。

そこに映る未来は、果たしてどんな景色になるのだろうか。

現在、住之江橋~中須賀橋~住吉公園間、

両岸の堤防が整備工事中である。

お色直しの完成予定は、およそ1ヶ月後。

新たな散策コースとして、川沿いを歩く日が楽しみだ。


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スポーツ散見@つばた。

2019年09月28日 22時55分12秒 | 日記

 

現時点(2019年9月28日夜)、

ファンならずとも多くの方が喜びを噛み締めているのではないだろうか。

 

ラグビーワールドカップ日本大会、開催国の日本代表は、

10月20日のロシア戦に続き、アイルランド戦に勝利。

プールAトップに立った。

かく言う僕も門外漢。

正直、ラグビーに関する知識はお粗末なものながら、ここまでが「快挙」なのは分かる。

10月5日サモア戦、10月13日スコットランド戦と予選が続く。

史上初のベスト8進出への道のりは、決して平たんではないが頑張って欲しい。

「ファミリーマート本津幡店」の店頭には、

日本代表を応援するタイアップキャンペーンポスターが掲出されていた。

「大正製薬」は同大会のオフィシャルスポンサー。

同社は2001年から「ラグビー日本代表オフィシャルスポンサー」を。

16年から「同オフィシャルパートナー」を務めている。

久しぶりに「リポミタンD」飲んでみるか。

ファイトォォ~!いっぱぁぁつぅ!


さて、わが津幡町の注目競技は・・・やはり「女子レスリング」だろう。

ラグビーワールドカップ開幕と同じ10月20日、

「カザフスタン」の首都「ヌルスルタン」で行われたレスリング世界選手権に於いて、

女子62キロ級の「川井友香子」選手が三位決定戦で勝利。

銅メダルを獲得して、同57キロ級で金メダルを獲得した姉「川井梨紗子」選手と共に、

東京五輪代表に内定。

町の施設に快挙を祝う懸垂幕が下がった。

先日、僕の母校「津幡小学校」で運動会が開催された。

「川井姉妹」が通学した「太白台小学校」ではないが、

きっと彼女たちも、似たような光景の中で少女時代を過ごしたのだろう。

皆に幸多い未来が待っている事を願う。

 

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若武者たち、荒ぶる戦場に躍動す。

2019年09月24日 08時30分44秒 | 賭けたり競ったり

きのう、福井県の「三国競艇場」に於いて
「第6回ヤングダービー」優勝戦が行われた。
同大会前年優勝者、
G3イースタンヤング、ウエスタンヤング優勝者、
当年9月1日時点で満30歳未満の勝率上位者によるプレミアムG1競走。
つまり「ヤングダービー」とは“若武者ナンバー1決定戦”である。
ご存知の通り、きのうは日本海を台風17号が縦断。
開門前、入場口に並んでいる際は、時折、体が傾くほどの強風。
徐々に治まる予報ではあったが
10メートル以上の風が吹く大荒れのコンディションの中で幕が開いた。
レースは、全艇「安定板」装着。
序盤は「展示航走」1周、「本番レース」2周となった。
分かる方には分かるだろうが、これは安全を考慮した措置。
しかし、それでも波乱は起こる。
第3レース、一番人気を背負った1号艇が風に煽られて転覆した。
事故艇周辺では基本的に「追い越し禁止」。
安全を確保しながら原則として右側を通過しなければならない。
こんな時、活躍するのが「レスキュー艇」である。
全長5.7メートル、総重量650キロ。
床面積が広く、左右の乗降ゲートが低い。
普段は競争水面の隅に待機し、
事故が起こるとレーサーを救助したり、転覆ボートを曳航したりする。
また、優勝選手を乗せてウィニングランを行ったり、イベントでも運用。
競技にはなくてはならない存在だ。
果たして最後に乗艇するのは誰か?
頂上決戦の時が近付きつつあった。
ちょうど、同じフロアに生中継番組「BOAT RACEライブ」の放送ブースが設置。
元サッカー日本代表の「武田 修宏」、タレントの「川村ゆきえ」が司会進行。
ゲストに、ボクシングWBC世界ライトフライ級王者「拳四朗」。
解説にボートレースアンバサダー「植木道彦」が座る。
この人はスゴイ人なのである。
デビュー3年目、桐生競艇場でのレース中に転覆。
後続艇のプロペラと接触し、75針を縫う大怪我を負う。
一時は復帰すらも危ぶまれた半年後、
カムバックの舞台として選んだのは、桐生競艇場だった。
賞金王決定戦優勝3回、10年連続賞金王決定戦出場。
9年連続獲得賞金1億円超え。
現役時代の圧倒的な強さと不屈の心を称え、
ファンからは“不死鳥”、“艇王”と呼ばれている。
間近で、そのご尊顔を拝し感激したのは、言うまでもない。

さて、優勝戦である。

1号艇:永井彪也 (東京)
2号艇:福田宗平 (大阪)
3号地:村岡賢人 (岡山)
4号艇:豊田健士郎(三重)
5号艇:宮之原輝紀(東京)
6号艇:今泉友吾 (東京)
荒ぶる風は北へ去り、12レースの風速は6メートル。
僕は、12-12-流しの3連単と、1235の2連単BOXを投票。
ファンファーレを待った。
出走! やはり戦前に予想したとおり、赤いカポックが舳先を翻し後ろに引く。
ダッシュ4艇、スロー2艇でスタート! 
横一線! 3の仕掛けは失敗に終わった。
2が意表を突く捲りに出たが、これも不発。
活路を見出したのは、4。
外へ流れた2と3の間を鋭く差し込んできた!
結果、1-4-2。
最後にレスキュー艇に乗り込んだのは「永井彪也」だった。

おめでとう!
僕の舟券は完敗。
でも、一日を通して楽しめた。
このリアルが全てである。
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続_ソフィーとナスターシャ、或いは太陽と月。

2019年09月22日 07時30分25秒 | 手すさびにて候。

僕が少年だった頃、
映画の周辺情報を入手するツールは雑誌だった。

「キネ旬」や「映芸」は敷居が高い。
小遣いをはたいたのは「スクリーン」か「ロードショー」。
「スクリーン」(1947年創刊)は、映画評論の読み物や企画が充実。
後発の「ロードショー」(1972年創刊)は、くだけた誌面で読み易い。
好みは分かれるだろうが、どちらにも共通する読者の呼び水はグラビア。
多くの映画スターが誌面を飾った。
その中に、独り異彩を放つ美女がいた。

ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載、続く第百二十弾は「ナスターシャ・キンスキー」。

零れ落ちそうな大きな瞳。
高く通った鼻筋。
やや厚みのある唇。
大ぶりのパーツがバランスよく配置された顔は、
非の打ちどころがない。
しかし、どこか仄暗い影を宿した物憂げな印象。
「フィービー・ケイツ」。
「ブルック・シールズ」。
「ソフィー・マルソー」。
同時代に活躍した彼女らが太陽なら、
「ナスターシャ・キンスキー」は、夜空に浮かぶ月である。

昭和36年(1961年)1月24日、旧西ドイツ・西ベルリン生まれ。
幼少期は母親と共にヨーロッパ~南米を転々とし、
母国語以外に英語、フランス語、イタリア語、ロシア語を操る。
コスモポリタンにしてマルチリンガルの少女は、
子役として早くからカメラの前に立ってきた。

僕が最初に観た主演作は『キャット・ピープル』。
役柄は、人間と愛し合うと豹に変身してしまう獣人族の女。
つまりは「物の怪」だ。
目を見開き、牙をむいて獲物を狩る。
しなやかでセクシーな肢体を惜しげもなく披露する。

「愛しているの、殺して」
「もう一度抱いて、本当の姿で生きるわ」

そんな台詞を口にし、男を誘って激しいベッドシーンを繰り広げた。

『キャット・ピープル』は、よく「B級ホラー」だと言われる。
展開が鈍重、中途半端などと評されたりもする。
だが、ヒロインは壮絶なまでに美しい。
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ソフィーとナスターシャ、或いは太陽と月。

2019年09月21日 06時09分24秒 | 手すさびにて候。

僕が少年だった頃、
映画の周辺情報を入手するツールは雑誌だった。

「キネ旬」や「映芸」は敷居が高い。
小遣いをはたいたのは「スクリーン」と「ロードショー」。
「スクリーン」(1947年創刊)は、映画評論の読み物や企画が充実。
後発の「ロードショー」(1972年創刊)は、くだけた誌面で読み易い。
好みは分かれるだろうが、どちらにも共通する読者の呼び水はグラビア。
多くの映画スターが誌面を飾った。

ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載 第百十九弾は「ソフィー・マルソー」。

柔和な垂れ目。
柔らかそうな栗色の髪。
口元から零れる白い歯と、両頬のエクボ。
日本人にとって親しみ易い面立ち。
整ったプロポーションとセクシーな肢体。
80年代の初め、彼女に熱を上げた中高生男子は、
僕一人ではないはずだ。

昭和41年(1966年)11月17日、フランス・パリ生まれ。
デビュー作は『ラ・ブーム』。
垣間見えるパリの暮らしや、フランスの恋愛観にも惹かれたが、
興味の大半は、数百人のオーディションから選出されたシンデレラ。
彼女の一挙手一投足、表情に釘付けになった。
実際、ストーリーとは余り関係のない、
アップやサービスカットが多かったと記憶している。

前述の専門誌では、表紙・グラビアの常連。
撮影レポートは勿論、そのプロフィールを記した特集。
付録に「サイン(印刷)付き生写真」。
来日記念臨時増刊まで刊行。
「フィービー・ケイツ」や「ブルック・シールズ」ら、
ハリウッドの綺羅星と肩を並べる「アイドル」だった。

そんな太陽のように明るい「ソフィー」に対し、
どこか仄暗い影を宿した美女がいた。
名前を「ナスターシャ」という。

・・・「手すさびにて候」カテゴリー、次回へ続く。
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