2023年10月7日の投稿で取り上げたとおり「津幡ふるさと歴史館 れきしる」にて、
企画展「津幡小学校創立150周年記念 ヒストリー展」が開催中。
明治6年(1873年)の創立以来、小学校を取り巻く時代背景と、
校舎をはじめとした環境の変化による学校生活の移り変わりを諦観できる。
写真や教科書など多くの資料が展示され、なかなかの盛況と聞いた。
来館者は同校ゆかりの方が多く、昔の卒業アルバムなどに目を通し、
自分が通学した当時を振り返りながら話に花が咲いているとの事だ。
館内では、大型モニターのスライド上映に合わせ、拙作音声プログラムもリピート再生。
耳を傾けてもらえたら嬉しい限りである。
(津幡小学校HPでも聴取可能:https://cms1.ishikawa-c.ed.jp/tsubae/)
さて、今企画展はロングランだけに少しづつ充実を図っている。
先日お邪魔したところ「戦時体制時の写真」と題したコーナーが新設。
一番上に掲示されているのは、昭和16年12月8日に発表された詔書、
いわゆる対米英「開戦の詔(みことのり)」だ。
『天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ
昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス---』
僕は、印刷全文を目にしたのは初めて。
文字通りの「史料」である。
津幡小学校木造校舎前で撮影された「大日本国防婦人会津幡町分会」の集合写真。
「大日本国防婦人会」の起こりは大阪。
一般の主婦たちが、出征兵士らにお茶を振舞い接待したのが始まりとか。
“国防は台所から”のスローガンを掲げ、全国へ拡大。
出征兵士の見送り、留守家族の支援、傷病兵や遺骨の出迎え
慰問袋(※)の調達と発送、兵営や陸軍病院での洗濯、防空演習などを行った。
銃後で戦争を支えた格好だが、見方を変えれば女性たちに「家」以外の居場所ができ、
社会活動へ参加する最初の一歩になったと言えなくもない。
※慰問袋
戦地の兵士を励ますため内地の家族や知人が送る慰問品を詰めた袋。
日露戦争中に始まり当初は特定の相手に送ったが、
太平洋戦争時には不特定の兵士宛てになる。
陸軍病院慰問の記念写真。
傷病兵のベッドが並ぶ病室で、歌の披露でもしたのだろうか?
戦時に於ける少年少女の風景の1つだ。
これら貴重な記録は、津幡小学校が積み重ねた150年の時間の中に、
今では思いもよらぬシーンがあった証である。
是非「れきしる」へ足を運び、じっくりと眺め思案してみてはいかがだろう。
「津幡小学校創立150周年記念 ヒストリー展」の会期は、
2023年12月17日・日曜日までである。