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ランドセルを背負った僕が、この石碑の前を行き来していた頃、
黒い石板には「津幡町立 津幡小学校」と刻まれていた。
過去、拙ブログに投稿しているとおり、ここ小高い丘「大西山」の上には、
かつて母校が建っていたが、現在は跡形もない。
老朽化した校舎は取り壊されてしまった。
時の経過による変遷。
仕方のないことと分かっているものの、一抹の寂しさを禁じ得ない。
だから、散歩途中に訪れる度、往時を思い起こすのである。
今日は「石」を媒介に、記憶を遡ってみたい。
僕は、前庭の池の周辺に敷き詰めてある「玉石」が好きだった。
前掲の画像…石碑の足元に映っているが、少しアップにしてみよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/5b/5298a959b9347217fc4a83cb30b2c2b7.jpg)
民家の庭や外構などにも用いられる丸い石。
踏みしればジャリジャリと音が鳴る。
おそらく「那智黒(なちぐろ)」と呼ばれる種類ではないだろうか?
こいつは、乾いている時と、水に濡れた時では色が変わる。
状態によって表情を変えるのである。
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雨の日、傘を差して玉石敷きの地面にしゃがみ込み、
艶やかで青味がかった黒い石を眺めていたものだ。
美しさに魅せられたのは勿論、別の興味もあった。
『川の上流には角ばった大きな石が多く、下流は丸く小さな石が多くなる。
石が水に流されるうち、石同士がぶつかり合い削られ摩耗して、
変形してゆくからである。』
授業でそう習った僕は、石が辿った道のりに思いを馳せた。
“昔々、地底から噴き出したマグマが冷え固まって岩になり、
ある日、何らかの力が働いて塊から離れて川に落ちる。
ゴツゴツ、ゴロンゴロンとぶつかりながら、岩石は小さくなり、
角が取れて丸くなって、誰かに拾い集められ運ばれてきた。
長い長い、想像もつかない長旅の果てにここへやって来たのだ”…と。
実際は、人が機械で研磨して作ったのかもしれないが、
子供心はロマンを追いかけていたのである。
もう一つ、この石の造作も思い出深い。
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忠魂碑だ。
日清・日露・日中・大東亜と、近代日本の戦時に戦地で亡くなった、
わが町出身者を慰霊するモニュメント。
この竿石って、常々墨に似ていると思っていた。
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習字が得意じゃなかった僕は、見上げる度に自分の字の下手さ加減から、
何となく複雑な面持ちになったものだ。
しかし、墨の香りは嫌いじゃなかった。
硯で墨を摺る毎に立ち上る、膠(にかわ)と煤(すす)と油脂が混ざった独特の芳香。
忠魂碑のシルエットは、そんな記憶も刺激してくれるのだ。
こうしてひとしきり「石」から昔を思い浮かべたからだろうか。
去り際に「石垣」が目に留まる。
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幾度となく視界に入っているはずなのに、しげしげと眺めたのは初めてかもしれない。
じっと動かずに見入っている僕を、石垣の上の猫が怪訝そうに見つめていた。