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つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町、激動期の記録。

2010年11月29日 21時30分27秒 | 日記
きのう、大河ドラマ「龍馬伝」が最終回を迎えた。
振り返ってみると、今年は時代劇ブームだったように思う。
TVに、スクリーンに沢山の「侍ムービ―」が登場したが、
その多くが“幕末”を舞台にしていたのも特徴的である。
日本が大きく揺れに揺れた当時は、不安定な今の日本とマッチしているのかもしれない。

そして「龍馬伝」の後、NHKでは「坂の上の雲 第2部」がスタート。
近代国家として産声を挙げたばかりの「明治」も幕末に劣らず激動期だ。

以前、5月15日の投稿で、津幡小学校敷地内の「忠魂碑」について書いた事があった。
「忠魂碑」は、日清・日露戦争の戦没者を供養する石文だが、
津幡町には、他にも幾つか同じ目的で建てられたモニュメントが存在する。
例えば「今日の一枚」。
現在の「井上保育園」に隣接した一角、
以前は木造校舎の「井上小学校」の前庭だった所に、それはある。

松やタブの木などの常緑樹に囲まれ、青空に伸びた石碑の裏には、
遠く異国で亡くなったであろう方々のお名前が刻印されていた。

また、傍には「日露戦争」を指す「明治三十七八年戦没者」と刻まれた石柱も建っている。


倒幕、維新、欧米列強とのせめぎ合いと、日本が戦いに明け暮れた頃。
ここ津幡町にも荒波が押し寄せたのだ。
「忠魂碑」は、その爪痕を今に伝える記録である。
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津幡の「味噌伝説」。

2010年11月27日 10時03分53秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡町にある「舟田味噌店」。
200年近く昔から醸造業を営んできたお店で、勿論今も現役である。

藩政期の津幡町は境界線に位置していた。
津幡より北が「能登国」。 ここは「加賀国」の北端である。
「加賀味噌」は、赤色でやや辛口…比較的塩分が高く、長期熟成型が伝統だ。
やはり「前田軍」の糧食として発展した歴史があるためだろう。

応仁の乱以降続いた戦乱の時代。
カロリー源のお米と、栄養源の味噌は戦の必需品。
それを確保するか否かは、軍団の戦闘能力に関わり、勝敗を左右するため、
味噌の醸造法が発達した時代だった。
加賀味噌が辛口で塩分が高いのは、軍団の遠征…
つまり長期運搬に耐える保存を考慮し、
戦いで失われた塩分を補給するためだったのではないだろうか?
もちろん「前田利家」以前も味噌は作られていただろうが、
「今も食べられている味噌」となると、前田時代が発端という事になる。
そして、塩分と植物性たんぱく質を同時に摂取できる
滋養豊かな味噌を必要としたのは、人間だけでなかったらしい。
津幡町に、こんな伝説が残っている。

■「山姥堂」の話(津幡)
『寛永14年(1637年)夏の終りの夜中のことです。
 津幡村の百姓家の門をたたく者がいました。
 主人はまだ寝ついていなかったので「だれだ?」と尋ねると、若い男の声で
 「山姥が近くでお産をし、味噌汁をしきりに欲しがっています。
  少しいただけないでしょうか」というので、不思議に思ったけれども、
 有り合わせの味噌汁に団子をそえてやりました。
 翌日、外へ出てみると麻畠の中に人の足跡があり、器だけが残っていました。
 次の日もまた夜に味噌団子を器に盛って麻畠においたところ、
 やはり器だけが残っていました。
 村人に話すと、皆不思議に思いながらもそなえたところ、
 必ず器だけが残っていました。
 ある時、病気の子供のために、山姥に団子をそなえて頼んだところ
 急に病気がなおりました。
 不思議な事であるが、我も我もと頼んだら大方の願いがかないました。
 この話が金沢にまで聞こえて、その百姓のところへ団子をお供えするために
 お金・米などがどんどん送られるようになりました。
 いろいろの病気が治るというご利益があったので、
 参詣者やお供え物・寄進がますます多くなり、九尺四面の社殿もできました。
 そして、金沢から身分の高い家のご夫人が多くのお供を付けて来たり、
 若侍や老人なども珍しがって参詣するようになりました。
 このことが殿様の耳に入ると、お供え物・寄進は禁止となって、
 今はその跡もなくなってしまったそうです。』    (津幡町HPより、原文ママ)

味噌が「物の怪」にも重宝されたのは、「舟田味噌店」ができる、ずっと以前の話だ。

<追記:2012年5月15日>

 

津幡中央銀座商店街に、前述した伝説にまつわる小さな橋、
「姥土(うばど)橋」が架かっている。
かつて、この橋の辺りに山姥堂があり、薬師如来が祀られていたそうだ。
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津幡の冬は平年並み。

2010年11月26日 09時58分45秒 | 自然
きのう、気象庁から「3ヶ月予報」が発表された。
『平年と同様に曇りや雪または雨の日が多いでしょう。』
北陸の12月~2月の表現はまったく同じだった。
「平年」の定め方は10年が一つの基準になるはずだから、
今シーズンは人類の歴史上、初の「21世紀スタンダード」になる。

ここ10年…冬は随分と過ごしやすくなった。
雪は少ないし、暖かい。
たまにドカ雪が降る事もあるが「豪雪」とは程遠いレベル。
霜柱を踏む朝も少なくなった気がするし、
氷柱も小さく(短く)なった様に思う。
そう感じる理由は環境破壊の産物かもしれない。
また、住環境の向上も一因かもしれない。
とにかく、この冬もそれほど雪の心配をしなくて済みそうだ。

翻ってみると、この様に冬の姿は違ってしまったが、
四季の歩みと共に姿を変える広葉樹のサイクルは同じだ。
若葉が萌え風にそよぐ春。
強い日差しを遮るほどに葉が茂る夏。
美しく色づいた葉が目を楽しませてくれる秋。
枝越しに空が垣間見える冬。
ちょうど今は「冬枯れ」の時期だ。
「今日の一枚」…住吉団地近くの街路樹もすっかり葉が落ちてしまった。

しかし、本当に枯れてしまった訳ではない。
その証拠に、枝には固い芽が顔をのぞかせている。

やがてまた芽がほころぶ頃、また春がやって来る。
何千年も繰り返されてきた、自然の営みである。
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亜細亜の銀輪。~本津幡駅の踏切にて。

2010年11月25日 21時51分55秒 | 日記
「今日の一枚」を撮影した場所は「本津幡駅」の傍。
時間は今朝8時過ぎ。
列車が通過し、開いた踏切を超えて車が流れ、
登校途中の高校生が自転車に乗って、集団で近付いてくる様子である。

携帯のカメラが広角レンズのため遠目に思えるが、実際の距離感はもっと近い。
また、自転車の数も画像から受けるイメージより多い。
10数台の自転車が、一斉にこちらへ向かって走ってきた。
すれ違う時、僕の周りには風が起こり、車輪が回転するシャーッという音が交差した。

彼等が行ってしまった後、どこかでこんな光景を見た気がした。
…いや、似ているけれどスケールはもっと大きかったはずだ。

…と、思案していたら思い出した。
子供の頃にニュース映像で見た「北京の朝」だ。
運転者の服装は、黒い「学生服」ではなく、緑やカーキの「人民服」。
自転車の数も10数台ではなく、何千・何万規模。
ブラウン管いっぱいに広がっていた。
そう…個人的な印象では、昔の中国は「自転車大国」である。

最近はどうなんだろう?
去年、訪れた上海では自転車も沢山走っていたが、
自動二輪や自動車の方が幅を利かせていた気がする。
都会では、経済発展著しく富裕層も多い。
お金があれば、自分でペダルを漕ぐよりエンジン付きを選ぶだろう。
やはり、減少傾向なのかもしれない。
時代は変わったというところか。

一方、日本では、健康志向、経費削減、エコなどの観点から、
自転車の販売台数は増加傾向だという。
これも流行の変遷や、人々の考え方の変化の現れなのかもしれない。

しかし、考えてみれば、競技用などのよっぽど高級なロードレーサーは別にして、
大衆自転車の殆どは、中国や台湾製。
津幡町を走るそれも同様だ。
チャイナは今も「銀輪大国」なのである。
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池の鯉。~津幡小学校の前庭にて。

2010年11月24日 23時34分48秒 | 日記
前回投稿した津幡小学校前の松の木の右。
そこには池がある。
「今日の一枚」は、そこに暮らす鯉を撮影したスナップ。
これも「雪吊り」同様に変わらない景観である。
昔、僕は、鯉が口に入るのものなら何でも食べるのをいい事に、
手当たり次第に色んなものを与えていた。

例えば、給食で出たパンのクズや、こっそり持ち込んだお菓子。
時にはキャベツやレタス、あるいは千切った雑草。
バッタやコガネムシなどの昆虫類も投げ入れた。
しかし、鯉はペロリと食べてしまうのだ。
逞しい雑食性の悪食である。

また、悪さもした。
棒などで池の水面を打ってみたり、
ケンカになって相手を池に落とした事もある。
鯉にしてみればいい迷惑だったろう。

30年以上の寿命も珍しくなく、個体によっては100年を生きると言われる。
写真に収まっている鯉は、もしかしたら僕がランドセルを背負った頃を
知っているのかもしれない。
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