つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

初戴冠へ、「濃く」逃げろ!<追記アリ>

2020年06月28日 21時25分39秒 | 賭けたり競ったり
本夕、広島・廿日市市の「宮島競艇場」に於いて、
SGグランドチャンピオン決定戦競走、優勝戦が行われる。
6日間の激戦を戦い抜き、ラストバトルへ舳先を進めたのは以下の6戦士。

一人だけ、昨年の同じレースで優勝戦に乗っていた選手がいる。
「徳増 秀樹」だ。

前回は最外の6号艇。
前付けを試みるもブロックされオールスローのスタートから果敢に捲り攻勢。
激しい3着争いを繰り広げ、4着に沈んだ。
今回は最内の1号艇。
最も優勝に近いポールポジションである。

彼の外に並ぶのは猛者ぞろい。
2号艇 エースモーターを駆る若武者 -- 上野 真之介
3号艇 スリットの支配者 -- 菊地 孝平
4号艇 艇界の強竜 -- 峰 竜太
5号艇 飛翔天使 -- 羽野 直也
6号艇 くせ者 -- 新田 雄史

僕は、これら強豪を完封する「徳増」が見たい!
1号艇 濃厚激走 -- 徳増 秀樹を推す!

デビューから四半世紀、10度目のSG優出、45歳のSG初戴冠。
ゴールを駆け抜ける時の「敬礼」が最も見たい未来だ。
<2020年6月28日:午前9時投稿>

追記:RichなEscape。

--- 果たして「徳増」は見事に逃げ切った。
プレッシャーを撥ね退けてトップスタートを決め、
一節間を通し、高い次元で競り合ってきた他艇を完封した。
最も有利な位置を手に入れていたとは言え、それは容易ではなかったはず。
先にも書いたが、45歳7カ月でのSG初優勝だ。
プロレーサーになって四半世紀、10度目の正直である。
ここに辿り着くまでは、長く曲がりくねった道のりだっただろう。

おめでとう!!徳増!
最高に濃い逃走劇、最高にカッコイイ「敬礼」でした!


<2020年6月28日:21時台投稿>
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子守唄の女たち。~ からゆきさん。

2020年06月27日 21時58分03秒 | 手すさびにて候。
おどみゃ島原の ナシの木育ちよ    生まれ育ったのは島原の貧しい家
何のナシやら 何のナシやら      何にもなかった
色気ナシばよ しょうかいな      色気ないから、売られる事もないでしょう
はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい   泣かないで早く寝てちょうだい
鬼の池 久助どんの 連れんこらるばい 早く寝ないと、人買い久助が連れに来る

「鬼の池(おんのいけ)」とは、熊本県天草市の地名。
「久助(きゅうすけ)どん」は、天草の鬼池で財を成した女衒。
「鬼池の久助が連れに来るぞ!」と言えば、子供が怖がるほど、知れ渡っていたという。

ほんの手すさび手慰み。
不定期イラスト連載、第百四十五弾は『島原の子守唄』のモチーフになった女性たち、
「からゆき」さん。

幕末から昭和初期にかけ、海を渡った娘たちがいた。
外航船の船底に石炭と一緒に押し込められて港を離れ、
遠く中国や東南アジアなどに渡り、娼館で働いた「からゆきさん」である。
多くが、長崎・島原、熊本・天草などの貧農の子女。
身売りに出された数は、累計20万とも30万ともされる。

異国の地で命を落としたり、病に倒れたり。
不幸な運命を辿った例は、少なくない。
シンガポールでは、マレー方面へ逃走した「からゆきさん」がいたという。
密林で「虎に喰われるか」。
戻って「男に喰われるか」。
--- 過酷な話である。

「島原の子守唄」の作者は、
長崎県・島原市生まれの作家「宮崎康平(みやざき・こうへい)」。
不遇の時代、男手一つで乳飲み子を育てる中で自作の子守唄を歌って聞かせた。
自然と口を突いて出た言葉は、幼い頃から見聞きしていた「からゆきさん」の古事。
後に、練り上げられ「島原の子守唄」として完成した際は、
女性たちの哀切、憐憫、そして「憧れ」も織り込まれた。

あすこん人は二つも          あの家の娘は
金の指輪(ゆびがね)はめとらす    金の指輪を2つも嵌めている
金はどこん金 金はどこん金       あの金はどこの金だろうか
唐金げなばい しょうかいな       外国から持ち帰った金らしい
おろおろん おろろん おろろんばい    さあさあ もう寝ておくれ

「からゆきさん」の中には、年季を終え、ひと財産を持ち帰る者もいた。
体を張った金。
命を削った金。
自分の何かと引き換えた対価と分かったうえで、
一握りの「成功者」は羨望を集めたのである。
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成りあがり。~ 勝山太夫。

2020年06月21日 09時30分14秒 | 手すさびにて候。
能登には「和倉(わくら)温泉」。
金沢の奥座敷「湯涌(ゆわく)温泉」。
加賀の「粟津(あわづ)、山代(やましろ)、山中(やまなか)、片山津(かたやまづ)」など、
石川県には多くの温泉地がある。

僕が子供だった頃 --- 平日夕方の「アニメ再放送枠」では、よくそれ等のCMが流れていた。
その中に「湯女の背流し」をアピールする温泉宿が。
ほんの1~2秒程度、薄衣の女性が手桶の湯を男性客の背中へかけるカットを含み、
ムード歌謡風の男声コーラスで屋号を告げるそれは、
子供心に随分艶っぽく映ったものである。

ほんの手すさび手慰み。
不定期イラスト連載、第百四十四弾は「勝山太夫」。

「徳川家康」が「豊臣秀吉」から、関八州を拝領し(押し付けられ)江戸に入る。
天正18年(1590年)の事だ。
これを機に開発が始まり、
「家康」が天下人になった開幕後も、工事ラッシュは続いた。

江戸湾の埋め立て、河川改修、上水道の整備などに従事するため、
各地から数万人にのぼる労働者が集まってきた。
彼等のニーズに応えた商売が盛んになる。
即ち屋台(外食)、長屋(住居)、遊郭(風俗)、そして湯屋(銭湯)などがそれだ。

労働を終えた男たちが、汗を流し、英気を養うのは「湯女」のいる「湯女風呂」。
そこでは女たちが、体を洗ってくれ、密かに男心も慰めてくれた。
夕刻、釜の火を落とした後は、金屏風を並べ、屋内を座敷にリメイク。
手拭を三味線に持ち替えた湯女たちが、小唄を歌い酌をする。
昼夜二重営業の社交場は、吉原を脅かすほどに人気を集めた。
そして、一人のスターが誕生する。

名は「勝山」。
現在の東京~埼玉~神奈川に跨る「武蔵国」出身。
良家の子女として生まれたが、成人を迎える前に父親と大喧嘩。
家を出て、流れ着いた江戸の湯女風呂で働く。

長身で均整の取れたプロポーションに、整った目鼻立ち。
オリジナルの髷を結い、派手な縞柄・広袖の長着姿。
腰に大小の木刀を差し、外八文字(※)で闊歩する様子は耳目を集め、
男も女もこぞって“勝山スタイル”を真似したという。
更に、歌舞音曲に優れ、和歌や書も嗜むなどマルチな才が、憧れの的に。
つまり、彼女は会いに行けるアイドル、ファッションリーダー、タレントだった。

しかし、その人気が絶頂を極めた時、思わぬ転機が訪れる。
風紀粛清を掲げ、お上が江戸全域の湯女風呂を禁止。
「勝山」は失業の憂き目にあう。
だが、これほどの人気者を放っておく訳もなく、程なく吉原デビュー。
たちまちトップランクの花魁「太夫」に登り詰めた。
インディーズから古参メジャーレーベルへ移籍した途端にメガヒット!
2軍選手が、1軍に上がるや大活躍!--- といったところか。

ところが、大門暮らし3年目の明暦2年(1656年)、
「勝山」は、突如姿を消す。
母の訃報に触れ、供養のため巡礼の旅に出たと言われているが、
暗殺説、病死説も囁かれ、詳細真偽は不明である。

(※外八文字:時代劇の花魁道中で見かける、足を内から外へ大きく開く歩行法。)
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津幡短信vol.73~令和弐年・梅雨の晴れ間に。

2020年06月20日 08時29分47秒 | 津幡短信。

津幡町に関するよしなしごとを簡潔にお届けする不定期通信。
今回はこの3本。

【サマーカットしました。】


散歩の連れ合い、愛犬「りくすけ」は夏スタイル。
全体的に短く刈り込みサッパリした。
それは人間目線だけではなく、自身も具合がいいようだ。
身軽で、涼しく、元気いっぱいである。
いつもトリミングをお願いするペットショップは大忙しだった。
新型コロナの休業明けを待ち来店する人が多い。
また「定額給付金」を元手に、仔犬仔猫を求める傾向も強いと聞く。

【夏の装いしました。】


「津幡短信」カテゴリーに度々登場するワンコディスプレイ。
津幡銀座中央商店街で人目を引くそれが、海水浴・リゾート仕様になった。
わが津幡町には海がない。
海を眺めるには、お隣・かほく市や内灘町へ足を運ばねばならない。
昨今、海水浴人気は下火と聞く。
また今年は、新型コロナの影響で海開きをしないところも多いらしい。

おやど橋の袂「弘願寺」本堂が華やかに装う。
「赤・白・黄・紫・緑」五色の幕が何とも鮮やか。
インドの「五大」や中国の「五行」思想に由来するそれは、
何かしら行事に合わせて飾られる。
寺院の門には「祠堂経会」の案内があった。

やはり、おやど橋の袂にある酒屋さん「ゴサマストア」前で、
飲み物を買う女性たちを見かけた。
自販機に並ぶのはCOLDばかり。
喉を潤す彼女たちの装いも、夏なのである。

【ポテト食べました。】


散歩終盤、小腹が空きスナックを買い求めた。
JR本津幡駅近く「もみの木カフェ」のデリバリーバンで販売している
「ベルギーポテト(Mサイズ350円)」。

ソースは付けず塩のみ。
揚げたてサクサク。
軽く汗をかいた後、優しい塩味はホッとする。
クセになりそうだ。

<津幡短信vol.73>
コメント (2)
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賭けたり、競ったり、旅したり。~令和弐年 梅雨・後編。

2020年06月16日 21時40分49秒 | 旅行
前回投稿の続編。
コロナショックにより、長期間に亘って無観客レースを行ってきた競艇が、
ようやく立ち直り始めた「歴史的タイミング」を目撃しようと、
僕は、愛知県の「常滑競艇場」へ足を運んだ。

訪問は月曜、平日だったが開門前から列。
一定間隔を保ち並んでいる間にサーモチェックをし、
入場ゲートを通る際にはアルコール消毒。
場内アナウンスでは、新型コロナ感染予防の心得を盛んに呼びかけていた。

それは、来場者側も自覚している。
全員マスク着用。
飛沫を警戒して大声は少なく、投票の際もルールに準じて行儀良い。
白熱するとエキサイトはするが、短時間で終息。
総じて大人しい印象。
つまりは現在の世の中一般と同じく、運営側も来場側も協力してウイルスと対峙していた。

僕は、より密を避ける為、3階の有料席に陣取る。
席数は、通常の半分以下。
隣席をつぶし、前後で互い違いになるようテープが張られていた。
元々、ここを選ぶ人は「静かに楽しみたい派」で、その傾向は一層顕著。
安心して予想に浸る事ができた。

飲食スペースでは、外と内を区切るシャッターを上げっ放しにして開放。
向かい合わせに座らないよう席を配置。
僕は、到着間もなく「きんちゃんらーめん」で「きしめん」をいただく。

鰹ダシと薄口醤油の汁にたゆたう幅広麺。
トッピングはネギ、花かつお、海苔、揚げ玉。
久しぶりに食べた名古屋ヌードルは、あっさり味。

午後の遅い時間に「とり伊」の「どて丼(ネギ増し)」をいただく。
ご飯に、八丁味噌で煮込んだ甘辛の豚モツをぶっかけたB級グルメ。
全てを覆い隠す刻みネギに紅ショウガ添え。
一振り、二振り、一味をかけてかき込めば、それら混然一体となった味が口に広がる。
上品ではないが、実に美味いのである。

また、今回は食しなかったが場内で「インデアンカレー」を発見。
石川県民にはお馴染みだ。
以前、蒲郡競艇では「チャンピオンカレー」を見つけたっけ。
名古屋のカレーは一宮市発祥の「ココイチ」が全国区だが、
これもルーツを辿ると石川県になるんだとか。
濃い味、ボリューミーなお得感は愛知県民の嗜好と合っているのかもしれない。

食事の折、競争水面際へ。
やはり、いい。
モニターやスマホで観戦するのに比べ、迫力が違う。
久しぶりにモーターの爆音を聴き、飛沫(しぶき)をあげて駆けるボートを眺め、
艇が通り過ぎた後に漂う排気の匂いを堪能した。

スタートを張り合い、コーナーでせめぎ合い競り合い、ゴールまでアクセルを弛めない。
見たかったのは、コレだ!
やはり、競艇は生観戦に限る。

舟券の戦績は6勝6敗のイーブンスコア。
収支は、少々マイナスだった。
小さく当てて大きく外す、リズムの悪い展開。
やはり、ギャンブルにおける白星の価値は数より大きさ。
「勝負時」を見極めねばならないと、改めて思う。
口惜しい張り方もあり、反省しきり残念至極。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」である。

さて、常滑競艇場は、新スタンド建設工事の為、現在リニューアル工事の真っ最中。
1マーク側の西駐車場の一部、西入場門、
ロイヤル席、レディースカップル席、トコタンホール、一階西投票所、
大時計から1マーク側の屋外観覧席が閉鎖されている。
お色直しは、2021年秋頃の予定。

新型コロナの影響で、後ろにズレ込むかもしれない。
何かと大変だろうが「本場に賑わいを呼ぶ」事こそ「本分」。
艇界の未来にとって、施設の充実は大切な要素だ。
どうか焦らず、やり遂げて欲しい。
完成の暁には、是非、またお邪魔したいと考えている。
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