つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

柔よく剛を制す。

2022年06月26日 20時12分12秒 | 賭けたり競ったり
                          
佐賀県・唐津市にある「からつ競艇場」に於いて行われたSG競争、
「第32回 グランドチャンピオン」優勝戦は、
やはり「白と黒の一騎打ち」だった。



1コースでは驚異的な勝率を誇る「池田浩二」(愛知)。
2コースでエースモーターを駆る「上平真二」(広島)。
今節を牽引してきた2人が、文字通り熾烈なデッドヒートを繰り広げた。

スタートは、ほゞ同体。
2コースの上平がジワリと舳先を伸ばし、
最初のターン直前では半艇身程リードを奪い、
内側の池田にプレッシャーを与えつつ旋回に入る。



しかし、流石は池田。
絶妙な体重移動とハンドル捌きのスピードターンを繰り出し、
周り終わった時点で2艇身近くリード。
勝負あったか!?
しかし、流石はエースモーター。
上平が見る見るうちに差を詰め、先行艇を捕まえる。
凄まじいパワーだ!!



ターンで池田が先んじる。
続く直線で上平が追いつく。
抜きつ抜かれつのシーソーゲーム。
他の4人は蚊帳の外。
名前に同じ「ニ」の字を持つ2人だけの、濃密で、激しく、華やかな競演である。

テクニシャンか、パワーファイターか。
柔の池田か、剛の上平か。
王道の逃げか、渾身の差しか。
やはり、そんな構図が成り立った。



そして「グラチャン王」の頂に立ったのは「池田浩二」。
柔よく剛を制し、自身8年半ぶり10度目のSG制覇で幕を閉じた。
おめでとう!
僕の舟券は的中で終えることができた。
配当はそれなりだったが、それは結果論。
手に汗握る名勝負を観戦出来て、嬉しい限りである。
                 
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賭けたり、競ったり、目指したり。

2022年06月26日 09時29分00秒 | 賭けたり競ったり
                        
佐賀県・唐津市にある「からつ競艇場」に於いて
SG競争「第32回 グランドチャンピオン」が開催されている。
本日(2022/06/26)優勝戦を迎えた。

年間9回のSG(スペシャルグレード)競争の中で、
上位進出を果たしたレーサーのみが出場資格を得られる本大会。
ゆえに“SGの中のSG”と言われる。
強者たちが集い繰り広げられた5日間の予選~準優勝戦を勝ち抜き、
最後の6ピットへ舳先を進めたのは、以下のメンバーになった。

1号艇:池田浩二(愛知)
2号艇:上平真二(広島)
3号艇:山口 剛(広島)
4号艇:中野次郎(東京)
5号艇:柳沢 一(愛知)
6号艇:赤岩善生(愛知)



順当なら「池田 VS 上平」だろう。
何しろ「池田」の1コース1着率は9割を超える。
単純に、10回走って9回以上勝っている計算。
予選初日のメインレースを制して勢いに乗り、
シリーズリーダーの地位を譲らずポールポジションを掴んだ。

片や「上平」にはエースモーター46号機が付いている。
こちらのモーター2連帯率は4.84。
10回走って半分は1着か2着になっている計算。
そのポテンシャルを遺憾なく発揮し、並み居る強敵を退けてきた。
しかも、2コースは得意なポジションである。

テクニシャンか、パワーファイターか。
柔の池田か、剛の上平か。
王道の逃げか、渾身の差しか。
そんな構図が成り立つのだ。

--- が、しかし--- 波乱の要素はある。
大外6号艇に陣取る「赤岩」が、内側のコースを捕りに行くと宣言。
平穏無事なスタート隊形にはならない。
そうなると、混戦になるかもしれない。
見どころ満載だが、まったく悩ましくて仕方がない。
優勝戦は、全員が1着を目指す戦い。
グラチャン王座の頂に立てるのは1人しかいない。

出走はこの後、午後4時40分頃。
ネットでも、TVでも生中継がある。
よろしかったら、是非、ご覧くださいませ。
                       
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Have You Ever Seen the Rain.

2022年06月25日 14時14分14秒 | 音とアート。
                 
きのう(2022/06/24)石川県内にフェーン現象が発生。
各所で35℃を超え、今年初めての猛暑日となった。
加えて、加賀で70ミリ、能登で50ミリの雨が降り、
蒸し暑く寝苦しい夜を過ごした。



それから一転。
今日は朝から快晴に恵まれ暑くなっているものの
湿度が、きのう程じゃないのが救いである。

気象庁が先日発表した1ヶ月予報によれば、
向こうひと月の降水量は、北日本と沖縄・奄美では「ほぼ平年並み」。
一方、東・西日本では「平年並みか少ない」らしい。
ここ北陸も、梅雨前線や湿った空気の影響を受けにくく、
梅雨明けが早まる可能性が高まったかもしれない。
大雨は困りものだが、少雨もまた同じ。
やはりレイニーシーズンは、それなりであってもらいたいのである。



さて、そんな「雨乞い気分」に浸っていると、ある曲のタイトルが思い浮かんだ。
「Creedence Clearwater Revival」のナンバー
「Have You Ever Seen the Rain(邦題:雨を見たかい)」。
有名な作品だから、ファンならずとも聴き覚えがあるかもしれない。

サビの歌詞---
“I want to know, have you ever seen the rain
 (知りたいんだ、雨を見たことあるかい?)
Coming down on a sunny day”
 (晴れた日に、空から降り注ぐ雨を)
--- この「雨」は「暗喩」だとする説がある。

曲がリリースされた70年代初頭は、ベトナム戦争のさ中。
つまり晴天に降る雨は、米軍がジャングルに落としている「ナパーム弾」だと、
当時、多くのリスナーが捉えた。
制作者は否定しているが、時代はそうは思わず、
反戦のメッセージを重ね合わせて、耳を傾けた。

折しも、ロシアがウクライナへ軍事侵攻に踏み切って(2022/02/24~)から、
丸4ヶ月が経った。
この機会に、反戦のメッセージを重ね合わせ耳を傾けてみてはいかがだろうか。

Have you ever seen the rain CCR Vietnam combat footage


Someone told me long ago
(ずいぶん前、誰かが言ってた)
There’s a calm before the storm
(嵐の前は静かになるものだって)
I know and it’s been coming for some time
(このところ、そんな気配がしていたんだ)

When it’s over so they say
(さらにあいつ等はこうも言う)
It’ll rain a sunny day
(晴れた日にも雨は降る)
I know shinin’ down like water
(閃光が雨水のように降り注ぐと)

I want to know, have you ever seen the rain
(知りたいんだ、雨を見たことあるかい?)
I want to know, have you ever seen the rain
(なあ教えてくれ、見たことあるんだろ?)
Coming down on a sunny day
(晴れた日に、空から降り注ぐ雨を)

Yesterday and days before
(昨日も、一昨日も、その前も)
Sun is cold and rain is hard
(陽の光は閉ざされ、雨は激しくなるばかり)
I know, been that way for all my time
(このところ、周りはいつもそんな感じなんだ)
Till forever on it goes
(どこまでゆけば終わりが見えるのか)
Through the circle fast and slow    
(速くなったり、遅くなったりするけど、結局堂々巡り)
I know, and I can’t stop my wonder
(まったくもって不可解だけど、何も変わらない)

I want to know, have you ever seen the rain
(知りたいんだ、雨を見たことあるかい?)
I want to know, have you ever seen the rain
(なあ教えてくれ、見たことあるんだろ?)
Coming down on a sunny day
(晴れた日に、空から降り注ぐ光の雨を)

<作詞作曲:John Fogerty /意訳:りくすけ>



想像してみて欲しい。
貴方が暮らす町の空から、鉄と火薬、核の炎が降り注ぐ光景を。
そんなものは、誰も見たくないはずだ。
                     
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推して知るべし。

2022年06月19日 19時19分19秒 | 日記
                  
<はじめに>

本日(2022/06/19)午後3時8分頃、石川県能登地方を震源とする地震が発生した。
地震の規模(マグニチュード)は5.2と推定。
能登半島先端の「珠洲市(すずし)」で最大震度6弱を観測。
わが津幡町は震度2。
緊急地震速報が流れた直後、10数秒の横揺れを体感した。
幸い目立った被害はない。
ここ最近、能登では「群発地震」が起きている。
注意・警戒を忘れないようにしなければならないと、改めて肝に銘じた。

<本  編>

言葉は便利だが万能ではない。
意思疎通を図る意味で言葉は欠くことのできないツールだが、
真意を正確に伝えるのは、案外、難しいものだ。
言い間違い、書き間違いは誰にでもあるし、
また、理路整然に欠けるケースも、さほど珍しくない。
故に何事も「推して知る」のが肝要だと思うのだ。

散歩していると、小首を傾げる表現に出合うことがある。
一見、分かるような。
よく考えると、分からないような。
今日はそんな街角のスナップを集めてみよう。
最初に断っておくが「悪気はない」ので、何卒ご笑覧くださいませ。



普通車とは、普通自動車。
重量5000kg未満、最大積載量が3000kg未満、定員10人以下の四輪車だ。
大型車、中型車、(農耕などの)小型特殊自動車、自動二輪車、原付、自転車は、
通行不可と受け取れる。
いや、途中までなら通ってもいいけど、通り抜けてはダメとも読み取れる。
なかなか難解なメッセージである。
「住宅街の路地だから、普通車以上のサイズは通り難い」が真意だろうか。



ガラス面に張り出された注意喚起は、
店舗に向けなければOKと受け取れないこともない。
しかし、これは一般常識を割愛しているのだ。
確かに、お店の入り口や建物壁面などへ向けた立小便は
「建造物等損壊罪や威力業務妨害罪」に問われる可能性がある。
そうじゃない場合---
市街地の道路や公園、公衆の場でのそれは「軽犯罪法違反」になり得る。



もしも、洗車で、自動車のボディが長くなったら。
嬉しいだろうか? 困るだろうか?
勿論、これは「美しさを長期間キープできる」の意だろう。



惜しい。
正しくは「МITSUBISHI」。
これは「ミチュビシ」なのである。
思わず頬が緩んだ。

上掲、津幡の街角で見つけた表現は、
概ね正しく、曲解してしまいかねない要素を孕んでいる。
推して知るべし。
それが肝要なのだ。
                 
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ラスト・アドベンチャー。

2022年06月18日 12時58分58秒 | 手すさびにて候。
                     
諸説あるが、歴史上初めて世界一周を達成したのは、
「フェルディナンド・マゼラン艦隊」とされる。

1519年にスペインを旅立ち、大西洋を横断。
南米大陸南端の「マゼラン海峡」を発見して太平洋へ漕ぎ出し、フィリピンに到達。
インド洋を越え、喜望峰を回ってアフリカ大陸沿いを北上。
1522年、スペインへ帰着。
費やした月日は丸3年。
出帆時、5隻だった艦隊(総員237名)は、1隻(生存者18名)になっていた。

そんな命がけで過酷な旅から350余年後、一冊の本が出版された。
「ジュール・ベルヌ」著『八十日間世界一周』。
ある英国貴族が船や鉄道を駆使して躍動する冒険小説は大ヒット。
2人の可憐な挑戦者を生んだ。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百三弾「ラスト・アドベンチャー」。



挑戦者の1人は「ネリー・ブライ」25歳。

五大湖の畔、アメリカ北東部・ペンシルバニア州の名士の家に生まれたが、
幼い頃に父を失くし、以降は貧しい生活を余儀なくされた。

20歳の時、新聞への投書がキッカケとなり、記者として働くようになる。
行動的で負けず嫌い、コミュ力、周囲への適応力に優れている彼女は、
貧困や社会問題についての記事を扱った。
そのペンが評判を呼び、キャリアアップ。
多くの読者を抱える「ニューヨーク・ワールド」紙へ移籍。
ちなみに当時の同紙社長は、今や報道の権威である「ピューリッツアー」が務めていた。
そこで彼女は“黒い噂”が絶えない精神病院への潜入取材を行い、非人道的な実態を暴露。
一躍ジャーナリズムのスターとなる。

そして、女傑は驚くべき企画を立案。
「小説の記録を塗り替えましょう!」
「ピューリッツアー」に、そう言って詰め寄った。



もう1人の挑戦者は「エリザベス・ビスランド」28歳。

メキシコ湾を望むアメリカ南部・ルイジアナ州の大農園主の娘として誕生。
祖先は英国貴族へつながる血筋で、容姿端麗。
自他ともに認める深窓の令嬢だったが、
南北戦争によって全財産を失い、赤貧に洗われた。

自活の道を拓いたのは、ペン。
10代にして新聞へ投稿した自作詩が認められ、ニューオーリンズの日刊紙に職を得る。
同僚には「ラフカディオ・ハーン」--- 後の「小泉八雲」がいた。
やがてニューヨークに移り、雑誌『コスモポリタン』の記者に就任。
控えめで知的、文学に造詣が深かった彼女は、
素養を活かした書評やエッセイ、特集記事などを編んでいた。

そして、青天の霹靂。
ライバル社の企画に便乗する決断をした『コスモポリタン』は、
対抗馬として、彼女に白羽の矢を立てたのである。

うら若き女性が、独りで船と鉄道を乗り継いでゆく24,899マイルの旅。
未だ誰も成し遂げていないのだから、安全が担保されている訳ではない。
充分な困難と危険が予測された。
--- だが、2人は互いに背を向けてニューヨークを発つ。
大西洋横断~東廻りルートを選んだのは「ネリー・ブライ」。
アメリカ横断~太平洋横断の西廻りルートは「エリザベス・ビスランド」。
1889年11月14日の事だった。

企画元の新聞社は煽り記事を掲載。
動向を日替わりで逐一伝え、豪華な景品をぶら下げ、どちらが勝つかを予想させた。
大衆にとっては格好のギャンブルになったのである。
レースは概ね「接戦」。
ニューヨーク到着は同日の時間差で決まると見られていて、
カネを賭けている野次馬は大いに盛り上がった。

全米の耳目を集めた世界一周タイムレース。
結局、軍配は「ネリー・ブライ」に挙がる。
記録72日と6時間11分。
「エリザベス・ビズランド」は、それから遅れること4日。
76日19時間30分でニューヨーク港へ下り立った。

勝敗の明暗は分かれたが、両者共に「八十日未満のゴール」。
それは、19世紀末の世界情勢を現していた。
すなわち、科学技術と産業が発展し、
また、欧米の植民地・支配地が世界中に展開。
それらを結ぶ陸海の交通網が整備されたのである。

人々は、最早アラウンド・ザ・ワールドが「冒険や絵空事ではない」と知り、
大旅行時代の幕が開いた。
                         
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