つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町の時を駆けおりる散歩。

2012年07月31日 07時59分59秒 | これは昭和と言えるだろう。
「今日の一枚」は、津幡川に架かる「住ノ江橋」。
このブログに度々登場しているが、
白鳥橋、おやど橋、中須加橋と並び、散歩の際によく渡る場所である。
過去にも投稿したとおり、僕は剣道教室へ通っていたのだが、
「住ノ江橋」は道中で“最も楽しい場所”だった。

自転車のサドルに跨って、画面手前から奥へと進む往路は、
地平に隠れた後、光を残す太陽が存在を主張する夕暮れ時。
交通量も多く余りスピードは出せず、
歩道の上をユルユルと移動するしかない。

これが稽古を終えての復路になると、景色と環境は一変。
すっかり暗くなった夏の夜道は、しんと静まりかえり、
橋は、左右に建つ街灯の薄明かりの中に浮かび上っている。
人も車もいない。

意を決した僕は、車道の真ん中へ漕ぎ出し、ペダルに乗せた足に力を込めた。
画面奥、見えない地点から手前へ向けて勢いをつける。
そして、盛り上がった中央部…橋の頂点に差し掛かったところで、
ハンドルから離した両手を水平に広げ、
全身で受け止める風の何と心地良い事か。

浮遊感。
自由。
風切り音。
気持ちいい。

そのまま、次の交差点まで慣性を利用して駆けおりた…。

あれから長い時が経つ。
今、僕は愛犬を伴い橋の上を歩く。
『もうどれくらい自転車に乗っていないだろう?』などと考えつつ、
ゆっくりと行き来しているのだ。

(※2011年3月5日、2012年5月27日に関連記載アリ)
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盛夏の津幡町で行われる準備。

2012年07月30日 23時45分55秒 | 日記
今、キーボードを叩いている僕の額には、うっすらと汗が滲んでいる。
日付も変わろうかという時間帯にも拘わらず、
ウェザーニューズ配信による津幡町の気温は25℃、湿度70%。
手元の乾湿温度計では、摂氏30℃間際で湿度52%。
否応なく真夏を実感せざるを得ない夜だ。

しかし、今のうちから冬への備えがスタート。
「今日の一枚」である。

撮影場所は、県道215号・横浜中交差点角。
津幡町・刈安と金沢市・弥勒町を結ぶ旧街道の路上に、
見慣れぬ鋼鉄の大きな道具…ボーリングマシーンを見つけた。

   

地面に穴を穿つ目的は『消雪井戸』。
湿気を含んだ暑気に響く金属音は、来るべき冬のため。
先を見越した営みの一環なのである。
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平成二十四年文月末の津幡町。

2012年07月29日 23時31分25秒 | 自然
七月は「文月」とも言う。
ネーミングには、書の上達を願った七夕の行事に由来する説と、
稲穂が膨らむ「含み月」から転じた説があると聞いた。
前者は貴族の視点…対する後者は庶民の観点か。
どちらが正しいのかは不明。
しかし、農耕を社会基盤としてきた歴史からして後者に旗を挙げたいと思う。

傾く陽の照り返しを受ける津幡町の田園は美しい。
近づいてみると、日中との気温差から生じる露が降り、
瑞々しい緑が際立つ。



豊かな実りを予感させる風景だ。

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さらば母校よ。~旧・津幡小学校校舎その22~

2012年07月26日 21時10分59秒 | さらば、母校よ。
“シリーズ母校への惜別”。
「今日の一枚」は、旧校舎裏のグラウンドに設置された「雲梯」。

撮影日時は、2010年8月13日・午前9時1分。
シャッターを切ってからおよそ2年が経った今、既に失われた風景だ。
また、僕が小学生だった頃の景観とは異なるだろう。
当時のデザインは、波打っていなかった。
多少高低差を付けて傾いていたかもしれないが、鉄のパイプは直線だったはず。
水平方向に設置された梯子にぶら下がりながら、
勢いをつけ、猿のように手を伸ばして移動したものだ。
…と、そんな40年前の記憶を手繰れば、僕の脳裏にはあるメロディが流れてくる。

『何かで燃やすのが 若いいのち
 何かに賭けるのが 一度の青春さ
 コートの中には 涙もあるけど
 それは胸にしみこむ 熱い涙
 …(中略)…
 全てがミュンヘンへ 続く道
 全てが栄光へ つながる道なのさ
 コートを転がる 若者6人
 誰の胸の中にも 明日の希望』
(※唄:ハニーナイツ 作詞:阿久悠 作曲:渡辺岳夫)

アニメドキュメント「ミュンヘンへの道」の主題歌である。
当時、個人的にはバレーボール競技自体に深い思い入れはなかったのだが、
(天井サーブの猫田選手は好きだったが…)
日本国内における人気は高かった。
ブラウン管では、日本の五輪代表チームの動向が取り上げられ、
ラジオのスピーカーを通じて、この歌を耳にしたのである。

そして、津幡小学校の校庭でも
ラッパスピーカーから流れる「ミュンヘンへの道」が鳴り響いていた。
あれは昼休みだったか…?それとも放課後だったか…?
インストだったか…?ボーカル入りだったか…?
少々不透明な部分はあるが、懐かしい光景とリンクする。

更にもう1つ。
ミュンヘン大会については、パレスチナゲリラ「黒い九月」が思い浮かぶ。

 

ゲリラは、選手村に滞在中のイスラエルのコーチと選手の2人を射殺。
9人を人質にすると、イスラエルに投獄されている仲間の釈放を要求。
流血の惨事となり、オリンピックは一時中断。
世界中が事件の生中継に目を見張り、行方に注視した。
…事の顛末を知ったのは、もちろん何年も後。
ただ、立てこもる覆面姿の犯人像は、幼かった僕の脳裏にもクッキリと刻まれている。

これを境に、大会の警備費用はうなぎ上り。
ロンドンでのそれは、15億ポンド(およそ1,800億円)。
ミュンヘンの800倍あまりに相当する額だ。
確かに、連日、警備に動員された英国軍の様子や、
スタジアム周辺に配備された地対空ミサイルなどが報道されている…。

度々投稿してきたとおり、
僕が、初めて鮮烈な印象を受けたのは1976年のモントリオール大会。
しかし、初めて記憶に残ったのは、
津幡町・旧校舎の光景とセットになったミュンヘン大会。
果たしてロンドン大会は、どんな記憶を残してくれるのだろう?

何はともあれ「悲劇」だけは願い下げである。

<※7月27日:追記>
サッカー日本代表、アベック勝利!おめでとう!!
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夏の津幡町で感じた、大和撫子の美。

2012年07月24日 23時22分58秒 | 草花
ここ数日、散歩中にむせ返るほどに甘い香りを感じる事がある。
その正体は「今日の一枚」…「百合の花」だ。

昔から「美しい日本女性」を指す表現として
【立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花】という。
3つのシチュエーションは次のとおりだ。

①【立てば芍薬】
 「芍薬(しゃくやく)」は、アジア原産の花。
 地面から直接伸びた茎の先端に、牡丹のような美しい花を咲かせる。
 フランスでは、しなやかで爽やかな香りのするワインを、
 「芍薬のような香り」と言うそうですから、
 まさにスラッとした「美しい女性の立ち姿」なのかもしれない。
②【座れば牡丹】
 草である「芍薬」に対し「牡丹」は樹木。
 枝分かれした横向きの枝に花をつけるため、木の正面から眺めると、
 まるで正座しているかのように見えることから、こう言われるようだ。
③【歩く姿は百合の花】
 百合は、茎の先にややうつむき加減に花が咲く。
 風をうけて揺れる様子が、優雅に歩く女性のよう。
 また、離れていても感じる甘い香りが、
 女性らしさをよりアピールしている。

…ことわざの由来は、おおむね、そんなところからいているらしい。

この3つの花は、季節的につながって見頃が訪れる。
「牡丹」は、4月末から5月の初めごろ。
「芍薬」が、5月中旬から6月末にかけて。
「百合」の盛りは、初夏から盛夏。
つまり…座っている女性(牡丹)が、立ち上がって(芍薬)、歩き出す(百合)。
美しい一連の所作につながる自然のリレーなのだ。

そして、日本女性の美しさを1つの花に例えるならば…やはり【大和撫子】。
時計の短い針が文字盤の上を2回りし、更に長い針が90°向きを変えれば、
遠くロンドンの地で「なでしこジャパン」の戦いが始まる。
メダルは兎も角、そのプレイを通じ、是非、大輪の花を咲かせて欲しい。
ガンバレ!
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