2月15日の投稿で、
津幡駅にて販売されている鉄道銘菓「きびあんころ」について書いた。
先日、散歩の折に、製造元の「(有)庭田商店」を発見。
「冒頭の一枚」、右手に写るライトバンが停まった建物がそれ。
津幡と金沢北部をつなぐ旧道から、中条公民館の横道へ入った辺り。
中条小学校グラウンドの裏手だ。
『ここで一世紀もの間、伝統の味を護り続けているのか』
…と、感慨を覚えて見上げた看板も、年季が入っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/47/0d467285d4260661708103b70cd9f1e3.jpg)
更に散策を続けるうち、周囲に「庭田姓」が多い事に気付く。
しかも、なかなか立派な門構えの家屋が多い。
どうやら、津幡町・中条地区における旧家・名家なのではないだろうか?!
そう思い当たった僕は、調べ物をするうち
「広報つばた」の最新号(平成24年2月号)に興味深い記事を見つけた。
原文のママ記載する。
『「庭田次平」は安政5年(1858)に南中条に生まれ、
幼名を「駒太郎」といいました。
明治17年(1884)に太田村戸長(中条・井上12地ち区の長)、
19年に県議会議員、
22年(1889)には初代中条村長になりました。
明治1年(1898)、北陸線が金沢から富山まで延長されようとしたとき、
停車場敷地を無償で提供して、南中条に津幡駅を設置しました。
また、旧河内村で銅山を開発したほか、殖産興業にも力を注ぎ、
山野を開拓して桑の苗を植え、羽二重の製造と輸出に努めるなど、
多方面において実績を残しました。
明治35年(1902)に衆議院議員となりましたが、同年に議会が解散、
採取場の準備中に病に倒れ、
翌36年(1903)にその生涯を閉じました。
明治36年(1903)12月 津幡駅前に石碑が建てられました。
<津幡町のみてあるき 参考>』
そうだったのか。
そんな先達がいたのなら、同じ姓の一族が栄えたのも頷ける。
庭田商店も、案外「次平氏」が創業したのかもしれない。
そして、津幡駅前の石碑…以前から目に止まってはいたが、
そんな謂れがあったとは初耳である。
早速足を向け、改めて玩味してみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/4c/b24e5db65d2abf207f0efa15d25eb2eb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/1f/d6c9e75cdf17a6f2c2dc155d8680941f.jpg)
109年の月日を経たモニュメントは、夕闇の中で雄々しく聳え立つ。
明治の気骨を示すように。
津幡駅にて販売されている鉄道銘菓「きびあんころ」について書いた。
先日、散歩の折に、製造元の「(有)庭田商店」を発見。
「冒頭の一枚」、右手に写るライトバンが停まった建物がそれ。
津幡と金沢北部をつなぐ旧道から、中条公民館の横道へ入った辺り。
中条小学校グラウンドの裏手だ。
『ここで一世紀もの間、伝統の味を護り続けているのか』
…と、感慨を覚えて見上げた看板も、年季が入っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/47/0d467285d4260661708103b70cd9f1e3.jpg)
更に散策を続けるうち、周囲に「庭田姓」が多い事に気付く。
しかも、なかなか立派な門構えの家屋が多い。
どうやら、津幡町・中条地区における旧家・名家なのではないだろうか?!
そう思い当たった僕は、調べ物をするうち
「広報つばた」の最新号(平成24年2月号)に興味深い記事を見つけた。
原文のママ記載する。
『「庭田次平」は安政5年(1858)に南中条に生まれ、
幼名を「駒太郎」といいました。
明治17年(1884)に太田村戸長(中条・井上12地ち区の長)、
19年に県議会議員、
22年(1889)には初代中条村長になりました。
明治1年(1898)、北陸線が金沢から富山まで延長されようとしたとき、
停車場敷地を無償で提供して、南中条に津幡駅を設置しました。
また、旧河内村で銅山を開発したほか、殖産興業にも力を注ぎ、
山野を開拓して桑の苗を植え、羽二重の製造と輸出に努めるなど、
多方面において実績を残しました。
明治35年(1902)に衆議院議員となりましたが、同年に議会が解散、
採取場の準備中に病に倒れ、
翌36年(1903)にその生涯を閉じました。
明治36年(1903)12月 津幡駅前に石碑が建てられました。
<津幡町のみてあるき 参考>』
そうだったのか。
そんな先達がいたのなら、同じ姓の一族が栄えたのも頷ける。
庭田商店も、案外「次平氏」が創業したのかもしれない。
そして、津幡駅前の石碑…以前から目に止まってはいたが、
そんな謂れがあったとは初耳である。
早速足を向け、改めて玩味してみた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/4c/b24e5db65d2abf207f0efa15d25eb2eb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/1f/d6c9e75cdf17a6f2c2dc155d8680941f.jpg)
109年の月日を経たモニュメントは、夕闇の中で雄々しく聳え立つ。
明治の気骨を示すように。