今日は、午後1時から、近所の「住吉公園」で
「つばた町民八朔まつり」が行われる。
飲食の出店が並んだ会場中央のステージでは、
戦隊モノのキャラショーあり、民謡・ポップスのステージあり。
時間を区切った盆踊りが行われ、小規模の打ち上げ花火が夜空を彩る…。
楽しみにしている方も多いだろうし、実施自体をとやかく言うつもりはないが、
それは、日本各地、どこにでもありそうな「夏のイベント」。
健康的で明るく、然したる特徴は何もない。
“昭和の「津幡まつり」”を知る者としては、どこか寂しさを禁じえないのである。
僕が小学生の頃の「津幡まつり」は、8月初旬の土・日、2日間の開催。
「今日の一枚」で掲載した景色の中…
津幡小学校が建つ「大西山」から、四つ角交差点の「おやど橋」まで、
道の両側にびっしりと夜店が並んだ。
リンゴ飴、綿菓子、試験管に入った毒々しいまでに赤いジュース。
トウモロコシが焼ける甘い香りと醤油が焦げる香ばしい匂い。
射的、ヨーヨー釣り、金魚すくい、型ヌキなど、
チープなエンタテイメントが勢揃い。
嬌声や笑い声が交錯し、
全国から集うテキヤの聞きなれないイントネーションが飛び交う。
時折、捲りあげたシャツの袖口から刺青が顔をのぞかせ、
裸電球の灯りに生々しく映える。
坂の途中には、膝をついた傷病兵。
白装束に兵隊帽姿で、ゲートルを巻いた左足は膝から下が義足だった。
炎天下の下で汗を拭う傍らには、募金箱と軍歌が流れるラジオ。
時折、金銭を恵んでくれた人に無言で頭を下げていた。
詰将棋に興じる大人たちの横には、
掘っ立て小屋の「お化け屋敷」が出現し、
小学校の体育館では、女の胴体を宙に浮かせる
怪しげなマジックショーも開催。
窓に暗幕を張り、締め切った埃っぽい空気の中で、
息を詰めて舞台の成り行きを見守った。
昼は、津幡小学校の鼓笛隊が街中を行進し、夜は盛大に踊り流し。
紅白の布が巻かれた櫓の上で奏でる「炭坑節」や
「つばた音頭」に合わせ人波が練り歩く。
統一された踊りの群は、まるでそれ自体が一つの生き物のようだった。
猥雑で賑やかな昭和の「津幡まつり」。
僕にとっては、ノスタルジックな真夏の夜の夢である。
「つばた町民八朔まつり」が行われる。
飲食の出店が並んだ会場中央のステージでは、
戦隊モノのキャラショーあり、民謡・ポップスのステージあり。
時間を区切った盆踊りが行われ、小規模の打ち上げ花火が夜空を彩る…。
楽しみにしている方も多いだろうし、実施自体をとやかく言うつもりはないが、
それは、日本各地、どこにでもありそうな「夏のイベント」。
健康的で明るく、然したる特徴は何もない。
“昭和の「津幡まつり」”を知る者としては、どこか寂しさを禁じえないのである。
僕が小学生の頃の「津幡まつり」は、8月初旬の土・日、2日間の開催。
「今日の一枚」で掲載した景色の中…
津幡小学校が建つ「大西山」から、四つ角交差点の「おやど橋」まで、
道の両側にびっしりと夜店が並んだ。
リンゴ飴、綿菓子、試験管に入った毒々しいまでに赤いジュース。
トウモロコシが焼ける甘い香りと醤油が焦げる香ばしい匂い。
射的、ヨーヨー釣り、金魚すくい、型ヌキなど、
チープなエンタテイメントが勢揃い。
嬌声や笑い声が交錯し、
全国から集うテキヤの聞きなれないイントネーションが飛び交う。
時折、捲りあげたシャツの袖口から刺青が顔をのぞかせ、
裸電球の灯りに生々しく映える。
坂の途中には、膝をついた傷病兵。
白装束に兵隊帽姿で、ゲートルを巻いた左足は膝から下が義足だった。
炎天下の下で汗を拭う傍らには、募金箱と軍歌が流れるラジオ。
時折、金銭を恵んでくれた人に無言で頭を下げていた。
詰将棋に興じる大人たちの横には、
掘っ立て小屋の「お化け屋敷」が出現し、
小学校の体育館では、女の胴体を宙に浮かせる
怪しげなマジックショーも開催。
窓に暗幕を張り、締め切った埃っぽい空気の中で、
息を詰めて舞台の成り行きを見守った。
昼は、津幡小学校の鼓笛隊が街中を行進し、夜は盛大に踊り流し。
紅白の布が巻かれた櫓の上で奏でる「炭坑節」や
「つばた音頭」に合わせ人波が練り歩く。
統一された踊りの群は、まるでそれ自体が一つの生き物のようだった。
猥雑で賑やかな昭和の「津幡まつり」。
僕にとっては、ノスタルジックな真夏の夜の夢である。