つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

暑中見舞い ~ 心象、夏の銀幕。

2024年07月21日 09時09分09秒 | これは昭和と言えるだろう。
                        
暑中お見舞い申し上げます。

大暑の候 拙ブログをご覧の皆さまはいかがお過ごしでしょうか。
列島各地から梅雨明けの便りが届いています。
ここ北陸も程なく夏本番。
くれぐれも夏バテや熱中症にはお気をつけくださいませ。

猛暑・酷暑の今日(こんにち)。
「無理せずエアコンを使いましょう」が常套句になって久しいですが、
少年時代を思い返すと、冷房装置は高根の花でした。
生家はもちろん、学校、役所などは皆無に近く、交通機関の車内も扇風機が関の山。
そんな中、比較的早くクーラーを導入した場所の1つは「映画館」かもしれません。
そこは眩い光が支配する外界と隔たれた、薄暗い異世界。
冷気に満ちた快適な空間で、肘掛け、背もたれが付いた椅子に身を沈めるひと時は、
とても贅沢な心持ちになったものです。

幼い僕が映画館に連れて行ってもらえる機会は夏休み。
本津幡駅から鈍行列車に揺られ金沢駅へ。
乗り合いバスで香林坊へ。
ようやく複数の劇場が軒を連ねる映画街に到着。
流れる汗も構わず、勇んで「金沢東映」の扉を開けました。
目当ては、夏のオムニバス企画『東映まんがまつり』です。



・巨大ロボの金字塔『マジンガーZ』
・みんなで歌おう♪『ゲゲゲの鬼太郎』
・梶原スポ根の傑作『タイガーマスク』
・お色気変身大活劇『キューティーハニー』
・影負う正義の味方『仮面ライダー』
・マハリクマハリタ『魔法使いサリー』
・テクマクマヤコン『ひみつのアッコちゃん』
・哀愁誘う宇宙猿人『スペクトルマン』
・砂の嵐に守られた『バビル2世』etc---。

組み合わせは年によって変わりましたが、
アニメや特撮ヒーローものを立て続けに4~8本上映。
TV版の再編集あり、劇場オリジナルあり。
いわば玉石混交ながら、それはまったく問題に値しませんでした。

何しろ時は70年代。
家庭にビデオデッキが普及する以前、
放送済み作品を見返すチャンスは、滅多にありません。
それが小さなブラウン管を飛び出し、映画館の大スクリーンに甦る。
しかも、まとめて一度に観賞できる。
僕にとって『まんがまつり』は“夢のオールスター戦”だったと言えるでしょう。

--- そして、それは懐かしい過去の夢。
もう僕は少年ではなく、もう昭和ではありません。
金沢中心部の映画街は取り壊され、跡形もありません。
生々流転。
瓶コーラ片手に感じたあの興奮、あの歓びは、
遠い夏の日の陽炎のようなものですね。

今年の夏はこれから。
自分自身、年齢を重ねるにつれ暑熱が身体に堪えるようになりました。
「慎重」を旨に乗り切ろうと考えております。
どうかお元気で。
では、また。

令和六年 大暑
りくすけ
                           
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令和の新関脇と、昭和の名古屋場所。

2024年07月18日 09時33分33秒 | これは昭和と言えるだろう。
                           
この投稿の少し以前(2024/07/07)の事になるが、
わが津幡町で、新関脇「大の里」の祝賀パレードが行われた。
大の里は今年5月の夏場所で幕下付け出しとしては歴代最速となる所要7場所で初優勝。
津幡町発表によれば、沿道には2万人以上が詰めかけたという。
僕も観衆の1人となった。





パレードは、当日午後4時半ごろスタート。
コースは、津幡町文化会館シグナスと町役場を結ぶ1キロ未満。
オープンカーには、主役と「二所ノ関親方」が乗り込み、
激励と応援の声、拍手に手を振り応えていた。
ここは少年時代の彼が何度も行き来した道。
きっと懐かしい顔も少なくなかったはず。
感慨を抱いたであろうことは想像に難くない。

喜びに包まれたひと時から10日余り、新関脇は苦しんでいる。
4日目を終え1勝3敗と、落胆の色(黒星先行)は明らかだ。
僕は専門家ではないが--- 腰高で動きがちぐはぐな印象。
身体の末端まで力が伝わり切らず、持ち前の馬力を活かせていないように見える。
試練の只中、暗中模索を越えた先に待つ光を掴んで欲しい。

--- さて、名古屋場所の会場となっている「愛知県体育館」は、今開催がラスト。
昭和39年(1964年)10月に開館したそこでの最初の優勝力士は横綱「大鵬」。
地元・愛知県蒲郡市出身の横綱「玉の海」の最後の優勝。
「千代の富士」と「北勝海」、同部屋横綱同士の相星優勝決定戦など、
数々の激闘が繰り広げられてきた。

上述の九重部屋全盛期、大学生の僕は名古屋の盛り場・錦三丁目でアルバイトをしていた。
当時はバブルが頂点を極める直前。
クラブ、ラウンジ、スナック、料亭などがひしめく歓楽街には、
訳の分からない金(マネー)が溢れ、連日押すな押すなのお祭り騒ぎ。
そこの夏の風物詩は、お相撲さんである。
名古屋場所開幕の少し前から、びんつけ油の匂いを纏う着流し姿の巨漢たちが、
チャリチャリと雪駄の音を立てながら闊歩した。
バイト先でも関取衆が豪遊。
勿論、彼らは財布は持たず『ごっちゃんです』の一言がお代替わり。
6桁の数字が並ぶ請求書はタニマチが引き取った。

ある日の夕方、店で掃除をしているとブラウン管に本場所の取り組みが映る。
赤房下で懸賞の束を鷲掴みしているのは、
10時間前にヘネシー3本を呑み干して帰った力士。
愛知県体育館内は、大歓声が木霊していた。
『こりゃあ、今夜も来るかもな』
カウンターの中でグラスを磨いていたバーテンが、
ため息交じりにそう呟き、酒屋に追加注文を入れた。



『あそこも随分と様変わりしているだろうな』

大の里の後ろ姿を見送りながら、僕は40年前の錦三(きんさん)を思い出していた。
                                 
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夏の宵、高岡戸出にて。

2024年07月07日 15時43分43秒 | 日記
                        
わが石川県のお隣・富山県は、大まかに二分されるという。
境となるのが、富山県のほぼ真ん中に位置する呉羽(くれは)丘陵。
“呉羽山”の通称で親しまれている標高100m程の小高い山から、
西が「呉西(ごせい)」、東は「呉東(ごとう)」と呼ばれるのだ。

『越中の野は、鶴がつばさをひろげたかっこうで富山湾を抱いている。
 野の中央に、呉羽山という低く細ながいナマコ形の丘陵が隆起しており、
 この平野の人文を東西にわけている。 (中略)
 東西は方言もちがい、生活意識や商売の仕方などもすこしずつちがっている。
 人文的な分水嶺を県内にもつというのは、他の府県にはない。』

(※「司馬遼太郎」著 エッセイ『街道をゆく4』より)

富山県民ではない僕には今一つピンと来ない。
ただ、それぞれの対抗意識の話題は耳にする。
もしかすると、かつて加賀藩と富山藩に分かれた歴史的な背景が絡んでいるのかもしれない。
そんな呉西の中心都市・高岡市には「戸出(といで)」という地区がある。



高岡市の南に位置する戸出地区の歴史は古い。
津幡町の倶利伽羅(くりから)峠から、富山に至る北陸道沿いの宿場町として賑わった。
また、加賀藩の特産品だった麻布の産地として、
やがて織物の物資集散地として大いに栄えた。
ここで、地域を上げて半世紀以上続くのが「戸出七夕まつり」。
上掲画像、バス停の奥に写る「七夕飾り」がお分かりになるだろうか?
歩を進め近づいてみよう。





「第59回 戸出七夕まつり」は(2024年)7月4日〜7日の日程で開催。
戸出地区に伝わる伝統的な行事で、地区住民と諸団体が参加する夏のイベント。
18mのジャンボ七夕などの七夕飾りが「七夕のトンネル」として通りを飾る。
一昨日の夕暮れ時に、初めて訪問した。







七夕のルーツは古代中国。
7月7日に織姫と彦星、二人の逢瀬を祝い織姫にあやかって、
機織りの上達を、ひいては様々な手習いごとのスキルアップを願った。
この風習が日本に伝わると宮中行事として執り行われるように。
七夕が一般に定着したのは江戸時代。
幕府が五節供の1つに定めたことで、まず武家の行事となる。
当時、大奥では台の四隅に笹を立て、しめ縄を張ってスイカ、ウリ、菓子などを供えた。
この際、奥女中たちは詩歌や願いを短冊に書いて笹に結んだという。
やがて江戸市中に伝わり、大々的なお祭りに発展。
現在に伝わる「七夕飾り」の行事が形作られた。

高岡・戸出では、昔から子供が生まれると七夕にお祝いをする習慣があった。
笹竹の飾り物は各家の長男の誕生に合わせて制作。
五色の短冊に家族の一人ひとりが、それぞれに願い事を書いて青竹の笹に吊し、
7月7日にそれを川に流したという。





夜には提灯に明かりが灯り、幻想的な雰囲気を演出。
およそ500本の七夕飾りが並ぶ様子は、なかなか壮観。
梅雨空の下、色鮮やかな七夕飾りがサラサラと音を立てる。
吹く風は湿潤で生温かいが、耳に心地よいサウンドは涼感を与えてくれた。







祭り気分に身を委ね、大勢が楽し気にそぞろ歩く。
老いも若きも男も女も、夜店の灯りに照らされて浮かぶのは笑顔ばかり。
賑わいの中に身を置いた僕も、つい口元が綻ぶ。
ある夏の宵のワンシーンである---。
                                   
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謹んでお披露目いたします。

2024年07月06日 13時13分13秒 | うみのすけ
                       
僕のブログ名「りくすけ」は、自己紹介欄にあるとおり愛犬の名前だ。
そのチワワは、今年(2024年)の立春に亡くなった。
過去投稿でも書いたが、僕はまだ彼の死に納得していない。
寝起きする部屋の隣に置いた骨壺と献花を毎日目にしても、
どうも腑に落ちていないのである。

しかし、時は流れ少し変化が訪れた。
縁あって、新しい相棒がやって来た。
名を「うみのすけ」という。



犬種は「トイ・プードル」。
生後4か月の雄である。

少々調べてみたところプードルは、元々、水鳥の狩猟に従事する水猟犬だったとか。
人が仕留めた鴨などを岸辺から泳いで捕りに行くのに、
浮力を上げ、身体を護るためカールした体毛を備えたという。
原産はハッキリしないが水猟が盛んだった地域、
フランス~ドイツあたりで盛んに用いられたそうだ。



プードルは知能が高く、鋭い嗅覚をもつ犬種との評判。
共に暮らし始めて間もないが、確かにそんな一面が垣間見える。
僕と「うみのすけ」の関係は、まだ互いを探り合うところがあるせいか、どこかぎこちない。
同じ時を重ね、打ち解けてゆければいいなと考えている。

正直、新しいワンコを招くことに躊躇した。
冒頭に述べたように僕は「りくすけ」の未練を断っていない。
一方、後添えを希望するなら生涯飼育の責任を全うする為には、
余りのんびり構えてもいられない。
多分、僕の人生には、あと20年くらいの時間は残されているだろう。
でも、未来は不確か。
何が起こるかは誰にも分からない。
なるべく死なないようにはするが、死んだら死んだで仕方がない。
僕はそう考えている。
だからこそ、縁が生まれたここを機会と捉え、彼を迎え入れた。





「うみのすけ」はまだ幼く、暑熱も高い。
散歩に出かけるのは晩夏の頃か。
楽しみにしている。

まずは自己紹介欄を打ち換えねば。
『ブログ名は「りくすけ」。 前・愛犬と同じ。』と。
                                  
コメント (2)
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