若い人の言葉では、パーティー好きの人、好きそうな人のことを「パリピ」というんだそうです。ネーティブ(英語母語者)風の発音だとpartyがパーリー、peopleはピーポーのように聞こえるということで、略して「パリ・ピ」だとの由。
その伝でいくと、岸田文雄首相はじめ自民党のみなさんも、なかなかの「パリピ」です。例の自民党裏金事件を受けた政治資金規正法の改正案を巡る議論が衆院で始まりましたが、事件の発端となった政治資金パーティーを「守る」姿勢が鮮明だからです。
例えば、立憲民主党は、パーティー開催自体の「禁止」を求めていますが、首相は20日の予算委でも「パーティー券購入者の公開基準を、現行20万円超から10万円超に下げる」とする自民案が「適当だ」と強弁、禁止を検討するそぶりもありませんでした。
◆パリピの中のパリピでも
考えてみると英語では「政党」も同じpartyですから、政党所属の議員はいわば、元々が「パリピ」。その上、資金集めパーティーが好きなら「パリピの中のパリピ」か、と。たとえ愛着一入(ひとしお)だとしても、本気で再発を防ぐ気なら、事件の「舞台」をなくすことが早道なのは明白です。
政党が所属議員に渡す「政策活動費」の扱いに関しても、自民党と野党の考えの間には大きな隔たりがあります。選挙資金などに使われているようですが、現状は使途公開の義務もない「ブラックボックス」。立民や国民民主党は「廃止」を主張していますが、自民案はざっくりとした項目を公開するという何とも手ぬるいもの。せめて「領収書の開示」義務付けぐらいは提案すべきでしょう。
さらにあきれるのは「企業・団体献金」です。野党は軒並み「禁止」を求めていますが、自民は改正案で触れてさえいません。
でも、過去の経緯を忘れてもらっては困ります。同じ予算委で立民の野田佳彦元首相が指摘したように、1988年に発覚したリクルート事件後の政治改革では、税金を使う「政党交付金」を導入する代わりに「企業・団体献金」は禁止する、という話だったはず。
それを果たさぬままずっと「二重取り」しているのです。2022年分の政治資金収支報告書によると、自民党への「政党交付金」は約160億円、党本部への「企業・団体献金」は約24億円。今般の法改正でも、なお知らん顔をきめ込むとは、あんまりでしょう。
◆「銅臭」がふんぷんの政治
はるか2千年ほど昔、中国・後漢に、崔烈という政治家がいました。ある時、「銭五百万」という大金を払って「司徒」という三公(トップ3)の一つの高位職を得たのですが、その後、世間の評判を気にして息子に尋ねます。息子は率直に答えて曰(いわ)く、「人々はあなたの銅臭を嫌っています」(後漢書・崔駰列伝)。
当時は財政の助けにするため、王帝がポストや位を金で売る「売官・売爵」が行われたのだそうです。既に要職を歴任していた崔烈も、それに従い金を納めただけだったようですが、それでも、「政治とカネ」に向けられた世間の目はかくまで厳しかったわけです。
この故事から出た「銅臭」という言葉は、現代の辞書にも載っています。「金銭によって立身出世する」こと、ひいては「金力にまかせた処世」を卑しむ語ということのようで、「銅臭ふんぷんの政治家」という用例を採用している辞書もあります。
政治資金パーティーにからむ裏金を巡って、所属議員から刑事被告人まで出し、国政の補欠選挙でも有権者にあれだけへこまされたのに、まだ、パーティーに、政策活動費に、企業・団体献金にこうまでしがみつく…。「金力」への執着ぶりに、「銅臭」をかぐ人は少なくないでしょう。
それにしても、既にして結構長かった「政治とカネ」醜聞リストに、またも新たな事件を書き加えておいて、その「反省文」ともいうべき自民の改正案がこうも「薄っぺらい」(野田氏)ことに驚きます。同じ与党・公明党の同意さえ得られぬ内容で押し切れるとふんだのだとすれば、世論を見くびりすぎではないでしょうか。
◆「反省文」が薄く軽いわけ
わびると言われて、耳を貸したら、お笑いコンビ・U字工事の、あのどこまでも軽い「ごめんね、ごめんねー」、あるいは、別のコンビ響(ひびき)の何ともふてくされた「どうも、すいませんでした!」で謝られた感じ。もし、突っ込みを入れるなら、こうですね。「本当は全然、反省してねぇだろ!」
同じ権力の頂にあって、崔烈は世評を気にしました。でも、「1強」自民党を率いる首相に、その手の憂いは無縁なのでしょう。