飛騨の山猿マーベリック新聞

💛専守防衛💛れいわ新選組💛立憲民主党💛日本共産党💛社民党
💛気晴らしには演歌が一番💛別館 山猿の部屋

★日比谷公園100年の緑「伐採される」 元管理所長の高橋裕一さん危惧 再整備計画、環境評価の対象外 

2022年09月08日 10時10分29秒 | ●YAMACHANの雑記帳
再整備計画で木の伐採の可能性があると話す日比谷公園元管理所長の高橋裕一さん=東京都千代田区で

再整備計画で木の伐採の可能性があると話す日比谷公園元管理所長の高橋裕一さん=東京都千代田区で

 先人が育てた木々を次世代に継承できるのか—。東京都立日比谷公園(千代田区)元管理所長の高橋裕一さん(73)=埼玉県白岡市=は、都が進める同公園の再整備計画に不安を隠さない。「100年後を見据えて植えられた幼木が見事に育っている。だが計画を見ると、それが何本も伐採をされることになる」と心配する。(梅野光春)

 日比谷公園の再整備計画 公園周辺を国際ビジネス交流ゾーンと位置づけ、緑豊かな都市環境を整備しようと、2017年設置の「日比谷公園グランドデザイン検討会」での学識経験者の議論や、昨年3月の東京都公園審議会の答申を基に昨年7月、東京都が再整備計画を策定。園路の舗装打ち替えによるバリアフリー化や周辺街区との回遊性強化を進める方針で、大音楽堂の再整備なども盛り込んだ。22年度中に基本設計を作り、23年以降に順次着工する。完成目標は開園130年に当たる33年。

 日比谷公園は1903(明治36)年、国内初の洋風近代式公園として開園した。設計者は「日本の公園の父」と呼ばれた林学博士の本多静六。本多博士が、伐採寸前だった公園近くのイチョウの大木を「首を賭けても守る」と園内に移した「首賭けイチョウ」を筆頭に、大きな木だけで約3100本が茂る。
 開園時、将来は緑豊かな空間になるようにと、さまざまな苗や種が植えられていた。当初は木陰が少なく、日差しがきついことから「霍乱かくらん公園」(暑気あたりする公園)と呼ばれたとの逸話が残る。しかし、開園から1世紀がたち、木々は大きく枝を伸ばしている。
 一方、都の再整備計画の「目玉」は、幅18メートルと幅9メートルの計2本のデッキ新設。園東側の日比谷通り(片側4車線)をまたいでビルと結ぶ。
 管理所長などとして日比谷公園に計10年間勤めた高橋さんは、公園の外周を囲むように育つクスノキなどを見上げて指摘する。「デッキはこれらを切らずに建設できないだろう。しかも現時点の計画図を見ると、日比谷公会堂の正面など、他にも園内の樹木がなくなっている。正確な数は分からないが、数百本が切られるのでは」
 都の担当者は取材に「現段階では、再整備で何本切るか決まっていない。2023年度に策定する実施設計で詳細を決める」と説明する。もっとも都は昨年2〜3月、日比谷公会堂の改修工事のためとしてアキニレとケヤキ計約20本を一気に伐採しており、高橋さんは「そもそも緑を大切にする姿勢に欠けているのでは」と疑問を抱く。
 都内では、明治神宮外苑地区の再開発で樹木の伐採が問題視され、都環境影響評価審議会での議論の末、事業者は伐採本数を減らす案を示した。ところが公園整備は、再開発と違って環境影響評価の対象外だ。
高橋裕一さんが自費出版した「日比谷公園の歴史と文化 下巻」

高橋裕一さんが自費出版した「日比谷公園の歴史と文化 下巻」

 高橋さんは「日比谷公園の歴史と文化」の「上巻」を昨年、続く「下巻」を今年自費出版した。下巻の全105ページのうち、再整備への懸念に約30ページを割いた。
 高橋さんは訴える。
 「日比谷公園は国内初の洋風近代式公園で、全体が文化財のようなもの。木を大事にした設計者の意図をくみ、歴史ある樹木を後世に残してほしい」
 ★本は希望者に実費で提供する。問い合わせは高橋さんのメール=spdc9up@dolphin.ocn.ne.jp=へ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ◆小説「新聞記者」の著者であ... | トップ | ◎吾輩は山上徹也容疑者に深い... »

コメントを投稿