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残り物には福がある

秋の呑んだくれツアー12

2018年01月14日 | 

さて腹ごしらえも済んだので
金沢の街並をぶらぶら

        

この辺りは「片町」というところで
昼間からの営業ではなく夕方からの飲食店が多い

        

見上げると前日訪れた五郎八の広告を見つけた
うろうろしていると目の前に

        

前の晩に五郎八で話題になった「治部煮」の由来
この看板によるとジビエがなまって
治部煮になったとある
もうちょっと解らなくなってきた(笑)

街中を歩いて行くと

        

おっちゃん という店の看板があり
その先には

        

20Mほど先には おばちゃん

資本関係あるのかなこの2軒(笑)

ちょうどこのあたりに前日食べた
ハントンライス」の元祖と言われる
グリルオーツカがあるのだが
有名店らしく店の外に行列ができていた
路地を歩き続けると行先案内板に出くわした

      

前田土佐守史料館」とある

         

      

案内板の脇の通用門からの私道(?)が
近道のようで歩いていくとすぐ入口の脇に出た

         

バスの一日券を見せるとここでも割引になった
前田土佐守家」というのは加賀藩の家老職を
務めた加賀八家の筆頭とのこと
(なぜか石高は最低の1万石)
初代は前田利家と有名な松との間に
生まれた次男の利政と言われている
関ヶ原の戦いの時長男の利長が東軍についたのに対し
西軍よりの中立を保った為 戦後領地であった
能登22万石を没収されたとの事
関ヶ原と言えば真田家の犬伏の別れが有名だが
実際にあちこちで同様の事がおきている
大阪の陣の際 大阪方に誘われたが
それを固辞して京都に隠棲していた
戦後 家康がそれを賞して10万石を与えようとしたが

自分は大野治長の配下になるのがイヤなので
大阪に行かなかっただけ
徳川の配下になるつもりもない

といって隠棲を続けたとの事
まあ先祖の箔付けかもしれないが当時の戦国武将辺りには
まだこういった剛毅な話があるのかもしれない
利政は結局京都で生涯を閉じたのだが
息子が加賀に戻り家老職になったとの事
加賀藩の3代目利常は利家が側室に産ませた子だから
正室である松との間の血筋からいえばこっちの方が上
だから前田八家筆頭となるのであろうか

記念館をあとにして進んでいくと武家屋敷


     

        

        

観光用のポスターに使われるのはこの辺りだろうか
雨がひどくなってきたのでとりあえず宿まで退却
夕飯はどうしようか?


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2 コメント

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Unknown (ヨシノブ)
2018-01-17 09:16:00
小糠雨の武家屋敷も風情があるが、やはり濡れながらの散策は辛い。
ただ、余りに整備され過ぎて街並みの良さが半減していると思う。
観光客の来ない街は、住み易そうだった。
返信する
Unknown (rusuiyaku)
2018-01-22 01:10:54
観光名所となっている武家屋敷といっても大半は今も住まわれている人が多く、車の交通量も結構ありました。
返信する

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