中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

西安で(2) 楊貴妃墓

2008-10-26 10:35:20 | 中国のこと
 西安の西約70キロの興平県の馬嵬坡に唐の第6代皇帝玄宗寵愛され、後に非業の死を遂げた美女楊貴妃の墓がある。




 玄宗皇帝は楊貴妃を寵愛するあまり、酒と歌舞におぼれ政務を怠った。楊貴妃の従兄の楊国忠は高位に取り立てられたが専横の振る舞いが多く、このことから政治情勢は次第に悪化して、755年に安禄山の乱が勃発し、玄宗は楊貴妃を伴って長安を脱出し四川の蜀に逃れようとした。馬嵬坡に至ったときに近衛兵と指揮官が騒乱を起こし、楊国忠を殺し、楊貴妃も殺すことを要求した。玄宗はやむなく楊貴妃を縊死させて部下たちの不満を鎮め、遺体を簡単に埋葬して蜀に逃れた。楊貴妃は享年38歳だった。

 その後遺体はどのようになったかは分からないが、現在の墓には遺体はなく、衣装だけだと言われる。当初は墓は簡単な土盛だったが、この土を顔につけると美人になるという噂が広まって、多くの若い女性がその土を取ったので盛り土はなくなり、現在のように煉瓦で覆われたものになった。

 墓の背後の黄土台地には堂や亭が復元され楊貴妃の像もある。この像の楊貴妃は、唐代の美人は肥満型を良しとされていたのに比べるとやや細身である。
  

 墓苑内の唐代婦女生活展にある婦人像。

 
S字型の姿態が良いとされていたようだ。


  楊貴妃は中国古代4大美女の1人に挙げられている。4大美女は、他に春秋時代の西施、前漢の王昭君、後漢の貂蝉(ちょうせん)があるが、この内の貂蝉は小説『三国志演義』に描かれた架空の女性である。ガイドの張さんによると日本人観光客に尋ねると、やはり悲劇の女性である秦末の楚の項羽の愛人であった虞美人を挙げることが多いそうだ。