幸いなことに今のところ私の体には、1箇所を除くと特にどこと言って悪い所はない。その1箇所は右足の膝関節から下のふくらはぎの部分で、一時よりはましにはなったが、少し歩くとふくらはぎが張ってきて重く痛くなる。初めの頃はしばらく立ち止まったものだった。医師の診察では脚の血管の血流が弱くなっていると言うことで、一種の動脈硬化症らしい。もう何年間か薬を飲んでいるが、当初よりは少しましになったかなと言うくらいで過ごして来た。このところあまり脚を意識しなくなったかなとは思っているが、先のことは判らない。
右脚が痛くなったのは、2001年に雲南省の麗江を旅していた時のことで、車から降りようとして地面に足を下ろした途端に激痛が走った。それ以来どうも右脚が弱くなったようでよく痛みを起こし、広西を旅行した時にはホテルに医師に来てもらって治療したこともあった。右脚が弱ると左脚にも腰にも影響するのか、最近はとみに脚が弱り、我ながら老人くさい歩き方になっている。走ることなどはもちろん、小走りすることもできなくなった。一番脚が弱ったことを自覚するのは階段を下りる時で、前につんのめりそうで怖い。それで必ず手摺を持って足元を見ながらゆっくり下りる。若い人達が話をしながら軽快な足取りで降りていくのを見るとつくづく羨ましく思い、そんな時くらい年齢を感じることはない。
脚が弱くなって気づいたことだが、階段というものは上るよりも下りる方が苦労する。上がるのも確かに楽ではないが怖いと言うことはない。前屈みになって足をきちんと交互に運べばいい。しかし下りる時には上げた方の足を下ろす時に滑らせないか、混んでいる時には後ろから押されないかとひやひやする。時には交互に足を出すことができず、片方だけを下ろしていくこともあり、何かしらボツリボツリと言うような姿でますます年寄りじみてくる。駅には最近はどこでもエスカレーターが設置されているが、上下2本を設置するスぺースがない場合には、上りだけの場合がまず普通だ。これまで下りだけという駅は知らない。だからそういう駅ではいつも階段を使って下りなければならず、そばを上りのエスカレーターを使って人が上って行くのとすれ違うと、見当外れにも忌ま忌ましく思ったりする。そして腰の曲がった老人や脚や腰に傷害のある人などは、下りるのに苦労するだろうなと考える。急な坂道の場合、下り坂よりも上り坂の方が息切れしたりして疲れたりするものだから、階段の場合にもそのように考えて、1本しか設置できない場合には上りだけにしたのだろうと思う。どうもそれは健常者の思案であって、勘違いのような気がしてならない。駅の階段は急なものなのだから下りる者の怖さを考慮して、これからでも上下の運行を逆にすることができるのなら、ぜひそうしてもらいたいと思う。
これとはまったく関係のない話なのだが、エスカレーターによっては時々女性の声でアナウンスが流れているものがある。それがどうもうるさくて煩わしい。いつも利用するあるエスカレーターは10メートルの長さもないものだが、その間ずっとやれ手摺りを持てだの、やれ走って上り下りするなだの、やれ黄色い線の内側に立つようにだの、やれタバコを吸うなだの、女性のもっとらしい声は小うるさいことおびただしい。私の一番上の孫娘は幼い頃、実際に人が喋っているのかと思って「あんなにずっとしゃべって、よくつかれないね」と言ったことがあるが、聞いている方が疲れそうで、お節介は結構と言いたくなる。あれも都市騒音の1つではないだろうか。
右脚が痛くなったのは、2001年に雲南省の麗江を旅していた時のことで、車から降りようとして地面に足を下ろした途端に激痛が走った。それ以来どうも右脚が弱くなったようでよく痛みを起こし、広西を旅行した時にはホテルに医師に来てもらって治療したこともあった。右脚が弱ると左脚にも腰にも影響するのか、最近はとみに脚が弱り、我ながら老人くさい歩き方になっている。走ることなどはもちろん、小走りすることもできなくなった。一番脚が弱ったことを自覚するのは階段を下りる時で、前につんのめりそうで怖い。それで必ず手摺を持って足元を見ながらゆっくり下りる。若い人達が話をしながら軽快な足取りで降りていくのを見るとつくづく羨ましく思い、そんな時くらい年齢を感じることはない。
脚が弱くなって気づいたことだが、階段というものは上るよりも下りる方が苦労する。上がるのも確かに楽ではないが怖いと言うことはない。前屈みになって足をきちんと交互に運べばいい。しかし下りる時には上げた方の足を下ろす時に滑らせないか、混んでいる時には後ろから押されないかとひやひやする。時には交互に足を出すことができず、片方だけを下ろしていくこともあり、何かしらボツリボツリと言うような姿でますます年寄りじみてくる。駅には最近はどこでもエスカレーターが設置されているが、上下2本を設置するスぺースがない場合には、上りだけの場合がまず普通だ。これまで下りだけという駅は知らない。だからそういう駅ではいつも階段を使って下りなければならず、そばを上りのエスカレーターを使って人が上って行くのとすれ違うと、見当外れにも忌ま忌ましく思ったりする。そして腰の曲がった老人や脚や腰に傷害のある人などは、下りるのに苦労するだろうなと考える。急な坂道の場合、下り坂よりも上り坂の方が息切れしたりして疲れたりするものだから、階段の場合にもそのように考えて、1本しか設置できない場合には上りだけにしたのだろうと思う。どうもそれは健常者の思案であって、勘違いのような気がしてならない。駅の階段は急なものなのだから下りる者の怖さを考慮して、これからでも上下の運行を逆にすることができるのなら、ぜひそうしてもらいたいと思う。
これとはまったく関係のない話なのだが、エスカレーターによっては時々女性の声でアナウンスが流れているものがある。それがどうもうるさくて煩わしい。いつも利用するあるエスカレーターは10メートルの長さもないものだが、その間ずっとやれ手摺りを持てだの、やれ走って上り下りするなだの、やれ黄色い線の内側に立つようにだの、やれタバコを吸うなだの、女性のもっとらしい声は小うるさいことおびただしい。私の一番上の孫娘は幼い頃、実際に人が喋っているのかと思って「あんなにずっとしゃべって、よくつかれないね」と言ったことがあるが、聞いている方が疲れそうで、お節介は結構と言いたくなる。あれも都市騒音の1つではないだろうか。