中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

庄屋屋敷

2011-05-14 09:58:14 | 身辺雑記

 貞光には江戸時代の庄屋屋敷が、つるぎ町の指定有形文化財として保存されている。「旧永井家庄屋屋敷」と言う。1791(寛政3)年に建てられ、19世紀前期から明治時代にかけて、主屋(母屋)の間取りの骨格が整ったと言われる。

 

 表門。切妻本瓦葺き。

 

 

 

 築地塀と母屋。敷地の面積は約550坪。

 

 

 

 母屋の玄関口。

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 母屋の裏手 

 

 

 

 

 母屋の内部

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 非常に頑丈なつくりの天井。

 

 

 

鶴亀蓬莱庭園。書院式庭園で、座敷や部屋から鑑賞するようになっている。座視鑑賞式とも言う。

 

  

 

 ネドコ

 

 

      

 この建物は現在は資料室などになっているが、元来は藍染の原料をつくる作業場だった。材料の藍はこの地では山藍と呼ばれていたようだが、その葉を人の背丈ほどに積んで発酵させて、畳ほどの厚さに圧縮すると、染料の蒅(すくも)ができる。この発酵過程を「寝かす」と言ったので、この建物は「ネドコ」と呼ばれている。

 

  

 

 ネドコの一部は「うだつ」もある立派な造りになっているが、ここは長期逗留客用の部屋となっていて、2階が使用人の起居する部屋になっている。 

 

 

 

  

 

 蔵

 

 

 

 日常に使っていた通用門か。

 

 

 

  

樹齢400年の御所柿。樹周3.3メートル、樹高8.2メートル。徳島県下一の大きさだそうで、今でも甘い実を多くつけると言う。上の方の実は高すぎて取れないので残し、鳥に啄ばませるそうだ。

 

 

 

 


うだつの町(3)

2011-05-13 09:07:54 | 身辺雑記

 美馬市の西に隣接する美馬郡つるぎ町の貞光にもうだつの町並みがあり、ここには二層式の「うだつ」があるというので見に行った。

 

 貞光は江戸中期以降の郷町で、商業と交通の要衝として栄えた。昭和30年頃まで、山村の葉煙草の収納、繭、こんにゃくの収穫と引き替えに農具、日用品、薬品などを購入する人々で賑わいを見せていて、美馬の脇町と並んで二大商業地を形成していた。街路には商家が軒を並べ、「うだつ」がその繁栄を象徴していた。昭和の中期に道路事情がよくなり、集落から離れた地に道路が造られ、貞光にも造られたが、貞光川の土手を兼ねて造られたので、新しい道路の沿線は発展せず、貞光の商家は昔のままの姿を残すことになった。(つるぎ町商工観光課のリーフレット『貞光の町並み』より抜粋)

 

 二層式の「うだつ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 単層式うだつ

 

 

 

 貞光の「うだつ」には漆喰細工(鏝絵こてえ)を施しているものをよく見かける。

 阿吽(あうん)の白虎。

 

  

 

  

 

 鯉の滝登り。

 

 

 

 屋号。

 

    

 

 

 

 

     

 屋号

 

 

     


うだつの町(2)

2011-05-12 09:57:02 | 身辺雑記

 脇町南通りの町屋や商家は、どれも旧い時代を思わせるもので、連休の合間の平日で訪れる人は少なく、とても静かで、通りを歩いていると何か江戸時代にタイムスリップしたような感じになった。家屋の作りも時代がかってとても良い。テレビの人気時代劇「水戸黄門」のロケが2005年にここで行われた。

  

  

 

 格子造り(出格子)。細かい角木を縦横に間を透かして組み合わせ、窓や出入り口に取り付ける家具。出格子などは旧商家が威勢を表わす建築様式とされる。  

  

 

 

 

 虫籠窓(むしこまど)。形が虫かごに似ているので名付けられたと言われている。もとは町屋の中二階や通りに面した部分に取り付けられた。格子の部分は木材に藁を巻き、土を塗ってさらに漆喰を塗りこめて造ることが多い。盗難避け、防火対策としたが、時代とともに装飾的な面を兼ねるようになった。

 

 

 

  

 

商家 

  

 

  

 

竹細工の店。阿波踊りの人形を竹で作っている。

 

 

 

 

 

 

 

民家

  

 

  

 

 

 

 

「うだつ」は中国でも見た。

 

浙江省烏鎮(西柵)

 

 

浙江省烏鎮

 

 

浙江省西塘

 

 

 

 

 

 


うだつの町

2011-05-11 09:02:58 | 身辺雑記

 Hg君の車で、四国徳島県美馬(みま)市脇町のうだつの町並みを訪れた。美馬市は徳島県の北部の中央に位置している。朝8時半頃出発して、明石大橋,淡路島、を経て、鳴門大橋を渡って鳴門市を通り、美馬市に到着した。途中休憩をとりながらの3時間ほどの行程だった。

  

  

 

 町並みへの入口の標識。うだつの町並みは脇町の南町通りにある。英語、中国語、韓国語で示す。中国語にある「卯建」は室町以降にあてられたもので、本来は「梲」と書いていた。宇立とも当てられる。 

  

 

 脇町南町通り。は江戸中期から藍や繭で繁栄した町で吉野川に接し、その積出港として栄えた。一時は百を超える藍商人たちが栄華を極め、その富と家を誇る象徴としてのうだつが今に残る。この町並みは、昭和63年12月/1216日に全国で28番目の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

 

 

 

 「うだつ」は本来は梁(うつばり)と、屋根の骨組みの一番高いところに使う棟木(むなぎ)の間に立てて棟木を支える小さな柱のことを言った。

 

 それが隣家との間についた小さい防火壁で1階屋根と2階屋根の間に張り出すように設けられている「うだち」が転じて「うだつ」と呼ぶようになった。隣家からの火事が燃え移るのを防ぐための防火壁として造られたものだが、江戸時代の中頃になると装飾的な意味に重きが置かれるようになり、やがて財力を誇示する為の手段として、立派な「うだつ」が上げられるようになった。

 

 

 

 

 

 国見家(向かって左)の「うだつ」。宝暦4年(1789)に建てられた、この通りで一番古い建物。 

 

 

 

 

 本来の防火壁としての姿。

 

 

 

 

 

 

 連続する町屋の「うだつ」は美しい。 

 

 

 「うだつ」の構造模型。頑丈に造られていることが分かる。

 

 

 「うだつ」の鬼瓦

 

 

 

 「うだつが上がらない」という慣用句が知られているが、「うだつ」を上げるためにはそれなりの出費が必要となるから、かなり裕福でないとできない。そこから「うだつが上がらない」は、「生活や地位が向上しない」とか「身分がパッとしない」ということを意味するようになったという説がよく言われる。しかし、インタネットの『語源辞典』では、柱の「うだつ」が上げられない、またはそれもない家に住んでいることをさし、家を建てるのに棟上もできない境遇にあるという説が有力としている。


世界一辛い唐辛子

2011-05-09 09:47:47 | 身辺雑記

 オーストラリア人のグループが、世界一辛い唐辛子を開発したそうだ。その名は「トリニダード・スコーピオン・ブッチT」と言い、あまりにも辛いために加工する時にはガスマスクや防護服が必要だという、とんでもない代物だ。

 

 この記事を読んで、スコヴィル値Scoville scaleというものがあることを知った。スコヴィル値は、唐辛子の辛さを量る単位である。トウガラシ属の植物の果実にはカプサイシンが含まれ、このカプサイシンが辛味受容体の神経末端を刺激する。スコヴィル辛味単位はこのカプサイシンの割合を示すもので、純粋なカプサイシンのスコヴィル値は1600万だそうだ。鷹の爪は日本の唐辛子のとしては辛い部類に属するが、三鷹唐辛子と呼ばれる唐辛子が45万ぐらい、能鷹唐辛子と呼ばれるものが10万~125000ぐらいとなっている。辛さが強いものとしてはハバネロがあるが、この製品のスコヴィル値は10万~ 35万、レッドハバネロは35万~ 58万だ。ピーマンやシシトウガラシの値は0。

 

 ところがこのたび開発されたトリニダード・スコーピオン・ブッチTのスコヴィル値は1463700というから、その辛さがいかに強烈なものか想像される。これまでの世界一辛い唐辛子は、英国産のナガパイパーで、138万だそうだ。開発グループの1人は、生のトリニダードを食べた時の状況について「幻覚に襲われ、横にならなければならなかった。20分も歩けなかった」と言ったそうだ。しかし彼は、トリニダードは非常に美味でその良さは「第一に味、第二に辛さ」にあり、「燃えているフルーツサラダを食べるようなもの」と評したと言うが、どんなものなのだろう。私に限らず、唐辛子の辛さにはあまり強くない日本人にはあまり歓迎されないのではないか。これでもかというような激辛はどうにもいただけない。

 

 2002年にマレーシアのペナンに住む妹を訪れた時、一夜妹の姑も一緒に食事をした。そのときにセンチ足らずの緑色の唐辛子が食卓に出たが、少し齧ってみると強烈な辛さなので食べることはしなかった。しかし姑は絶えず手を出して 美味しそうに齧っていた。一般に暑い地域の人たちは辛いものをよく食べるようで、本場インドのカレーなどはとても辛いと聞いた。妹がマレーシアに行った頃、小さな調味料の缶詰を送ってきたが、黄色い中身をちょっと舐めてみたが、頭がくらつくほどの辛さで、カレーに少し加えただけで、舌が焼ける思いがした。超激辛というものだった。

 

中国の寧夏回族自治区の固原という所で、現地の教育局の人たちと昼食を食べる機会があったが、そのときに瓶に入った長い緑色の唐辛子が出て、中国人達はがりがりと齧っていたが、いかにも辛そうなので敬遠した。中国人もかなり辛いものを好むようで、有名な四川の麻婆豆腐などはすごく辛くて、日本人には食べられないようだ。成都のレストランで食べたことがあるが、ガイドが気を利かして少し辛さの程度の低いものを注文してくれたが、それでもかなり辛いものだった。中国語で唐辛子の辛さを辣(la)と言うが、四川料理はこれに、山椒の舌を痺れさせるような味である麻(ma)が加わって独特の辛さがあり、唐辛子の辛さには慣れている韓国人の観光客も敬遠すると聞いた。

 

唐辛子は今でこそ世界中で使われているが、元来はコロンブスが西インド諸島で発見し、1493年にスペインに持ち帰ったものだが忘れられた。その後ブラジルで再発見したポルトガル人によって伝えられたのが伝播し、各地の食文化に大きな影響を与えたと言われている。日本には16世紀の半ば頃に伝来したらしい。南米以外では比較的新しいものなのだが、急速に伝播した。よほど多くの民族の嗜好に合ったのだろうが、最近の若者のように激辛カレーなどを好む者はともかくとして、一般には日本人はわさびや生姜、蓼(やなぎたで)、芽じそ、山椒のように食材の味を引き立てる薬味程度の温和な辛さを好む。

  

 

  中国西安の副食市場で。


土下座

2011-05-07 08:22:32 | 身辺雑記

 東京電力の社長が原発事故のため町外へ役場機能の移転を余儀なくされた福島県浪江町を謝罪のため訪れた際に、町民から土下座を強要されて詫びたという記事を読んだ。

 

 社長の一行は町長に謝罪した後で帰り際に、津波と原発事故による捜索活動の遅れで、母と甥の行方がいまだに分からない50歳の女性から「心から謝ってください」と詰め寄られ、そばで様子を見ていた男性に「土下座しろ」と怒鳴られた。社長と同行の社員らは役場の通路にひざまずいた。

 

      

             インタネット「毎日jp」より

                           

 被害に遭った女性の悲しみは理解できるが、そばにいた男性が社長達に怒鳴って土下座を強要したのはとても不愉快なことと思った。私は土下座して謝罪するという行為が大嫌いで、それを強要する者に対してはたとえその者が正しくてもひどく嫌悪を感じる。まして土下座を強要した者が理不尽な言いがかりをつけた場合には、憎悪さえ感じる。このことについては3年前にも書いたことがあるので、それを採録してみよう。

 

「かつて教師をしていた時に、ある学年の数名の男子生徒が1人の同級生をトイレに連れ込んで因縁を付け、土下座させて謝らせたということがあり、このことが職員会議に報告され論議された。事の詳細は覚えていないが、私は土下座させたという行為に非常に憤りを覚え、厳しい処置を求める発言をした。また、私の長男が学生の頃、駅ですれ違った数人の学生と目が少し合っただけで因縁をつけられ、土下座して謝らせられたことがあり、私はその顔も知らないその連中をひどく憎んだものだった。

薬害エイズの訴訟問題で、原告団が製薬会社の幹部達と会見した時に、土下座の謝罪を強要したテレビニュースを見た時も、非常に不快に感じた。土下座して謝罪する姿は醜く、当事者にとって屈辱以外の何物でもない。被害者達の心情は十分に分かっていても、土下座を強要したことは許されないことだと思った。今も土下座する幹部達の姿と、それに向かって罵っている1人の母親の顔を、どちらも不愉快なものとして思い出す」

 

私が担任したある生徒は高校卒業後に大阪の百貨店に勤めていたが、あるとき明らかにやくざと思われる男に商品について苦情と言うよりも因縁をつけられ土下座して詫びたそうだ。やくざ者でもお客様だから仕方がないとは言っていたが、さぞ悔しい思いをしたことだろうと思った。

 

最近、集団食中毒で4人の死者を出した金沢の焼肉チェーン店の社長は報道陣の前で土下座して謝罪した。本人としては精一杯の謝罪の意を表わしたのだろうが、そこまでする必要があるのかと思った。誠意のこもった言葉で謝罪し深々と頭を下げればいいのではないだろうか。土下座している姿は私には醜く思われる。このような姿に溜飲を下げる心情は良くない。外国人から見れば異様な姿ではないだろうか。

 

     

               インタネット「 MSN産経ニュース」より

 

土下座という行為は一部の国の一部の地域にもあるそうだが、土下座して謝罪するのは日本独特の行為と言ってもいいのではないか。土下座は必ずしも謝罪のための行為ではなく、本来は上の者に対する恭順の意を表わすもので、いずれにしても過去の遺物と言ってもいいものだ。それを今では弱みを持つ相手に居丈高になって強要する形で残っているのは何か日本にある後進性の名残のように思える。こういう不愉快な風習は早くなくなってほしいと思う。

 

 

 


パチンコに夢中で

2011-05-05 09:06:58 | 身辺雑記

 横浜市の30歳と28歳の夫婦が、乳児を自宅に長時間置き去りにして死なせ、保護責任者遺棄の疑いで逮捕されたというニュースを見た。

 

 この夫婦は当日、1歳の娘と生後9ヶ月の長男のTちゃんを自宅に置いたまま朝からパチンコに出かけ、午後4時ごろ帰宅するとTちゃんがぐったりしていたので119番通報し、病院に搬送したが、まもなく死亡が確認された。夫婦は容疑を認めていて、警察は、Tちゃんの死因を調べるとともに、2人が子どもたちを置き去りにした詳しいいきさつを調べているという。長女には異常はなかったようだ。

 

 よほどパチンコ好きの夫婦なのだろうが、そろって自分の欲望を抑制できない性格なのか、幼い乳幼児を放置したまま出かける無神経さは理解できない。朝から夕方までほったらかして食事のことなどは考えもしなかったのか。Tちゃんがどうして死んだのかはわからないが、1歳の娘にも何か事故が起こるかもしれないとは考えなかったのか。愚かにも程がある。このような親として失格者は、これまでにもニュースになったことがあるが、今時の若い親には、子どものことよりもまず自分のことを優先するものが多いのだろうか。

 

 昔は子どもが幼い間は、親は自分のしたいことは我慢して子育てを第一にしていたのではなかったか。まだほんの小さい乳児を連れて海外旅行に出かける親がよくあるが、あれもどうかと思う。とにかく自分たちがまず楽しみたいので、子どものことは二の次なのか。

 

若いうちはいろいろと楽しみたいことが多いのは当然のことで、それを無理に抑えることはない。結婚してからも夫婦で大いに楽しめばよい。しかし子どもができたら、やはり夫婦力を合わせて育児に力を注ぐべきだと思う。そして子どもが成長するにつれて、親子でいろいろ楽しめばいいと思うのだが、このような考えは今では旧弊な考え方なのかも知れない。若い親たちには今のうちに楽しんでおかなければ、後で後悔するという考えがあるのだろうか。それとも何は置いても、まず目先の事を楽しもうということなのか。子どもが哀れだ。

 

 


年をとるにつれて

2011-05-03 09:44:15 | 身辺雑記

 男物の衣服の店をやっているI君の店を訪れ、頼んでいたズボンを受け取った後でしばらく話をした。「もう4月も終わりだね。早いな」「そうですね」「だんだん残り時間が少なくなっていくような気がする」「僕もですよ」「あんたはまだ若いよ。いくつになる?」「今年59歳。もう60ですよ」「それにしては髪が黒いな。若く見える」。そんなことを話しているうちに年をとるにつれてという話になった。

 

 I君の髪は黒々して艶がある。とても60近いとは思われない。ほとんど白髪になっている私とは大違いだ。私は60くらいの時にはもうだいぶ白かった。若白髪というのがあるから、髪が白くなるのは必ずしも年相応だということにはならないだろうが、体のあちこちは加齢とともにさまざまな変化が起こるのは仕方がないことだ。

 

 目、耳、歯のうちで一番早く変化が訪れるのは目だろう。私は40代早々に老眼のきざしが現れたが、いったん始まるとどんどん進んだ。今では遠近両用と、近近両用の2つの眼鏡を持っている。耳はまだ大丈夫のようだが、それでも人によっては話す声が聞こえにくいことがあり、一度聴力検査を受けようと思っている。歯は丈夫なのを誇っていたが、それでもこの半年くらいの間にかなりガタが来ているのを感じる。「8020」を目指しているが最近ちょっと不安になってきている。

 

 足腰はこのところどんどん弱ってきている。これは常日頃の鍛錬不足だから、必ずしも加齢現象ではないかも知れないが、それでもやはり年なのだろう。歩いていると、我ながら年寄りじみた歩き方だと思う。若い頃から姿勢が悪く少し猫背だが、そこへ腰が弱ってきて腰を落とし気味に歩くからますます年寄りじみている。背丈もかつてよりも、3、4センチ縮んだ。脊椎骨の間の軟骨は年をとるにつれて縮むのだそうだ。

 

 指先も鈍くなったようだ。缶ジュースのプルアップ蓋を開けるのにもたつくことがあるし、新しい本のページがうまくめくれないことがある。他にも指先を使う時に難しく感じることがある。そのほかにも感じなくてもいろいろ変化は起こっているのだろう。

 

 物忘れすることが多くなった。I君は「僕も同じですよ」と笑ったが、誰にもあることらしい。銀行からの電話が留守電に入っていた。お預かりしているものがあるので、これこれの電話番号にお電話ください、○○と申します、ということだったので電話したが営業時間が過ぎていた。それでメモしたのだが、そのことをすっかり忘れてしまっていた。何のためのメモか分からない。再度電話がかかってきたので思い出したが、忘れ物はカードだった。引き出した時に置き忘れたらしい。忘れることばかりで、どうも情けない。

 

 今はテレビが故障で見られなくなったが、以前はよくサプリメントの広告があって、元気いっぱいの老人が登場していた。ああいうのは例外中の例外で、普通は年をとるにしたがって、体のあちこちにがたつきが出てくるものだろう。まだ体力は衰えず元気だという人でも、血圧が高いの糖尿があるのという人は少なくない。私は頑健ではないが、血圧も血糖値も、他の数値も正常だからその点はいいのだが、それでもこれからどうなっていくかは分からない。どのように気をつけたらいいのか分からないが、せいぜい定期的に医師の診断を受けていくしかないかと思っている。

 

 年をとるにつれて体のあちこちに変化が起こるのは仕方がない。何しろ耐用年数、賞味期限はとっくに過ぎている。無茶をしようにもできない。逆らわず、自然体で行くしかないか。


コウガイビル

2011-05-02 16:30:49 | 身辺雑記

 門扉のあるコンクーリートの所にコウガイビルがいた。ずっと前に庭で見たことがあり久しぶりだ。水気が乏しいところにいたせいか、体は縮んでいて動かない。指で触ってみると表面はねばねばしている。

 

 

 コウガイビルは再生実験の材料としてよく使われるプラナリアと同じ扁形動物に属している。名前の由来は頭部が、昔の女性が髪を掻き上げて髷を形作る装飾的な結髪用具の笄(こうがい)に似ているからだ。(写真はインタネットより)

 

                           

 ヒルと言っても吸血しない。ミミズやカタツムリを捕食する。(写真はインタネットより)

 

                          

 水をかけてやると長く延びて動きだしたが、見つけたコウガイビルの先端部は笄形をしていなかった。よく見ると先端が千切れたようになっている。

 

 

 

 インタネットにあった写真を見ると先のほうは褐色をしているから、この個体は頭部よりももっと後ろのほうで千切れたのかもしれない。コウガイビルはプラナリアと同じようによく再生するから、この個体もまた笄形の頭を再生するのだろう。奇妙な動物である。