11月1日 学校学習の仕事で鹿児島に行ってきました。
朝早く羽田へ行き、予定ではANA9:35発でしたが少し遅れ鹿児島空港着は12時頃。
空港からはバスで鹿児島中央駅まで約30分。
駅構内と直結しているホテルなので荷物をフロントに預けて駅前からバスに乗りいざ桜島へ。
村田先生と一緒です。
真っ青な空にブーゲンビリアが映えます。
桜島フェリーターミナルで乗船
海の青と空の青、雲はありません。 だから白は全部桜島の噴煙です。
写真を撮るのに夢中で、鹿児島出身の友人に是非食べてと言われたうどんを食べなくてはと、下に降りて注文すると、
後5分で着きますよ、というので一つを丼二つに分けて半分ずつ、熱いのではふはふしながら急いで完食。
これに乗ってきました。
桜島の観光案内所でガイド付きのバスがあると聞き乗ることにした。
時間まで30分程あるので近くの月讀神社(つきよみじんじゃ)へお参り。
この観光バスに乗った。 乗客は私たちの他に4人。 ゆったりひとりずつ座った。
これなんだと思いますか? とガイドさん。
桜島のお墓には屋根がありました。
湯之平展望所 標高373m 一番左側は北岳 山肌は荒々しくごつごつ
煙を吐いているのは南岳
向うに見える富士山のような山は「開聞岳」
鹿児島市街地を望む
桜島は、島ではなかった! 2階の展望室の床には地図がありました。
矢印と矢印の間は繋がっています。 下が桜島、右上は垂水市
大正噴火(1914)の時の溶岩が南東側の海峡を埋め立て大隅半島と陸続きになったという。
バスの休憩時間は10分弱、 ゆっくり撮影していると一回りできません。
ガイドさんがこのエリアには❤が8 個隠れていますよ、探してみてください と言いましたが景色を見ないで
❤を探すわけにはいきません。 でも一つだけわかりました。
バスは次に向かって走ります。
走りながらもガイドさんは右手は左手はと色々とガイドしてくれますが走っているので近くは難しいです。
ボケていますが、これは桜島大根の畑、人のお尻よりも大きくなるので、畝の間隔と大根の間隔は1m以上に
するのだそうです。
これも走りながらなので、大分ボケていますが、
関東でみる波消しブロックと形状が違っていました。
バスの車窓から、ボケていますが霧島連山
高千穂峰(1574m)
カンパチの養殖場
大正噴火で高さ3mあった鳥居が1日のうちに軽石や火山灰で埋もれてしまいました。
噴火後住民が神社の神聖な鳥居を掘り起こそうとしましたが、当時の村長が後世に噴火の記憶を残そうとの
英断により噴火直後の姿がそのまま残された。
朝早く羽田へ行き、予定ではANA9:35発でしたが少し遅れ鹿児島空港着は12時頃。
空港からはバスで鹿児島中央駅まで約30分。
駅構内と直結しているホテルなので荷物をフロントに預けて駅前からバスに乗りいざ桜島へ。
村田先生と一緒です。
真っ青な空にブーゲンビリアが映えます。
桜島フェリーターミナルで乗船
海の青と空の青、雲はありません。 だから白は全部桜島の噴煙です。
写真を撮るのに夢中で、鹿児島出身の友人に是非食べてと言われたうどんを食べなくてはと、下に降りて注文すると、
後5分で着きますよ、というので一つを丼二つに分けて半分ずつ、熱いのではふはふしながら急いで完食。
これに乗ってきました。
桜島の観光案内所でガイド付きのバスがあると聞き乗ることにした。
時間まで30分程あるので近くの月讀神社(つきよみじんじゃ)へお参り。
この観光バスに乗った。 乗客は私たちの他に4人。 ゆったりひとりずつ座った。
これなんだと思いますか? とガイドさん。
桜島のお墓には屋根がありました。
湯之平展望所 標高373m 一番左側は北岳 山肌は荒々しくごつごつ
煙を吐いているのは南岳
向うに見える富士山のような山は「開聞岳」
鹿児島市街地を望む
桜島は、島ではなかった! 2階の展望室の床には地図がありました。
矢印と矢印の間は繋がっています。 下が桜島、右上は垂水市
大正噴火(1914)の時の溶岩が南東側の海峡を埋め立て大隅半島と陸続きになったという。
バスの休憩時間は10分弱、 ゆっくり撮影していると一回りできません。
ガイドさんがこのエリアには❤が8 個隠れていますよ、探してみてください と言いましたが景色を見ないで
❤を探すわけにはいきません。 でも一つだけわかりました。
バスは次に向かって走ります。
走りながらもガイドさんは右手は左手はと色々とガイドしてくれますが走っているので近くは難しいです。
ボケていますが、これは桜島大根の畑、人のお尻よりも大きくなるので、畝の間隔と大根の間隔は1m以上に
するのだそうです。
これも走りながらなので、大分ボケていますが、
関東でみる波消しブロックと形状が違っていました。
バスの車窓から、ボケていますが霧島連山
高千穂峰(1574m)
カンパチの養殖場
大正噴火で高さ3mあった鳥居が1日のうちに軽石や火山灰で埋もれてしまいました。
噴火後住民が神社の神聖な鳥居を掘り起こそうとしましたが、当時の村長が後世に噴火の記憶を残そうとの
英断により噴火直後の姿がそのまま残された。