熊谷三郎徒然日記(gooブログ版)

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芭蕉の足跡を訪ねてPart2

2014-05-23 14:17:42 | 憲ちゃんとの旅
 山寺を出発したのは13時過ぎでした。来迎寺そば作兵衛さんに到着したのが14時頃。お客は私たちだけで、後から二人組のカップルが来店。このお店は玄関のカウンターで注文してから席に着きます。セミセルフといった感じですね。来迎寺とは蕎麦の産地の名前です。
 
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憲ちゃんは板そばと鰊、さー坊は板そば大盛りとおでんを注文。
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以下お店のHPから転載
 山形は古代よりそば栽培の文化を受け継ぐ蕎麦のふるさと。その中心部に位置する大石田町は、蕎麦栽培に適したところ、蕎麦の里として知られている。特に大石田町来迎寺地区では、古代より来客に蕎麦を打ってもてなしたと言う。栽培が最もさかんな地区で、文字通りちょっと太めのこしのある「田舎蕎麦」である。
お店の説明のとおり太めでこしのある美味しいお蕎麦でした。メニューはこれだけです。
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 腹ごしらえが終わって、次に向かったのが乗舩寺。釈迦涅槃像があります。お堂の中に安置されていますので小窓を開けて覗かないと見えません。京都の有名な仏師の作だそうです。写真は撮れませんのでお寺の案内でご覧下さい。

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 実際の涅槃堂です。釈迦涅槃像参拝の方はこの白扉を開けてお参り下さいとあります。
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乗舩寺には歌人斎藤茂吉のお墓もあります。

 その次に向かったのは、芭蕉・清風歴史資料館です。芭蕉は俳句の弟子で旧友だった鈴木清風の家に3日、近くの養泉寺に7泊したのだそうです。その清風は紅花や金融で巨額の富を得ていた豪商ですが、芭蕉曰く「かれは富める者なれど、志いやしからず」と評しています。
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 小生もひとつNHKのラジオ第二の情報を提供してきました。

 また清風伝説には次のようなものがあります。
 鈴木清風は、芭蕉とも親交のあった俳人であるが、本業は「島田屋」という商家の三代目で”紅花大尽”と呼ばれる程の豪商でもあった。元禄11年の夏、紅花の商いに江戸に上った清風を、江戸の商人たちは、清風を田舎商人と甘く見て”不買同盟”を結んで妨害した。それに対し清風は智略でこれを突破、三万両の利益を得た。「尋常の商売で得た金ではない、きれいさっぱり使い切る。」と言って、吉原の大門を3日3晩閉め切って遊女達に休養を与えた-----。と言う豪気な逸話等が残されている。

 凡人が考えるように、吉原を借り切って遊ぶというのでは逸話にならないでしょうね。

 養泉寺には「涼しさを我が宿にしてねまるなり」の句碑(涼塚)が残されています。
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 さてこれから本日の泊まりの銀山温泉です。


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