熊谷三郎徒然日記(gooブログ版)

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芭蕉の足跡を訪ねてPart3(銀山温泉)

2014-05-31 06:23:00 | 憲ちゃんとの旅
 さて今夜の泊まりの銀山温泉にやって来ました。マイカーで温泉街手前の駐車場に着くと、旅館の車が待っていました。迎えの車に乗り観光案内所の手前で降りて、観光案内を聞きながら、今夜の宿「古勢起屋別館」に到着。大正浪漫の温泉街には18:00になるとガス灯が灯るそうです。
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 長旅の疲れを取るように早速お風呂に入りました。源泉の温度は63.8℃でそのかけ流しですから、少し水でうめないと入れません。良いお風呂でした。夕食の前にガス灯の灯った温泉街をパチリ。
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 夕食はこんな感じ。
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 二日前が誕生日だった憲ちゃんのお祝いで乾杯!
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 さー坊がgaccoの講座「中世の自由と平等」を優秀な成績で修了したことをお祝いして乾杯!
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 すっかり出来上がってしまい、NHKの大河ドラマも見ないで寝込んでしまいました。

  翌朝も良い天気です。5時少し過ぎに朝風呂。朝食の前に温泉街を散策しました。コースマップはこちらをご覧ください。
http://www.ginzanonsen.jp/sansaku.html

 上流の白銀公園を目指して歩いていくと二本の大きな滝が見えて来ました。ここが白銀の滝スタート地点です。
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 ほぼコース通りに歩きましたが、一部雪の影響もありましたので、足元に注意しながら進みます。ミニ奥入瀬を歩いている感覚です。以下はほとんど「銀山温泉公式サイト」からの転載です。

 滝の反対側に大きな石碑があります。結城豊太郎(臨雲 元大蔵大臣)の石碑だそうです。
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 「飛瀑 千 丈 日 永に心 洗ふか南   臨雲」

赤湯出身の方で、第15代日本銀行総裁になった方です。歌碑はせことい橋を渡り右側の高台に設置されています。
 間もなく行くと斎藤茂吉の歌碑がありました。
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「蝉のこゑ  ひヾかうころに 文殊谷 吾もわたりて 古へおもほゆ」

齋藤茂吉は昭和21年1月30日から22年11月3日まで1年10ヵ月を大石田(二藤部兵右衛門家のはなれ「聴禽書屋(ちょうきんしょおく)」)で過ごしています。この歌は、昭和20年8月26日に能登屋旅館に泊まり翌日、田中家の別荘(そば処滝見館の滝側)で一休みした後に出かけて詠んだ歌です。文殊谷とは、滝附近のことを言ったようです。銀が産出した時代の活気ある賑やかさを表現したようです。歌集『白き山』にも載せられています。

 少し上ると夏しらず坑に来ました。 風穴と同じでしょうか。
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 やって来ました。ここが旧延沢銀山坑道の入口です。
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 ここの銀山は「焼き堀り」という工法で採掘したのだそうです。その方法はタガネやノミを使わずに、薪などを燃やして目的の岩盤を熱し、その後水を撒いて急冷させそういうことを何度も繰り返すことで、岩盤を脆くさせ採鉱したそうです。ですから採掘したところは黒く煤けています。
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最盛期には島根の石見、兵庫の生野とともに三大銀山と呼ばれ、2万5千人の人々が住んでいたのだそうです。
 
 坑道を出て少し上るとこの銀山を発見した儀賀市郎左衛門(ぎがいちろうざえもん)の像があります。金沢の人で巡礼の途中でこの銀山を発見したとか。
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 銀山温泉に戻る途中、フキノトウ・ショウジョウバカマ・キイチゴの花が咲いています。
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 今度は泊まった古勢起屋別館から下流側に足を伸ばします。

 足湯を過ぎると古山閣さんの壁には左官屋さんが鏝で年間の行事を描いた鏝絵が見えます。
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 宿に戻って朝食、最後に抹茶が出てきたのにはビックリ!

 名残り惜しいけど次の目的地最上川船番所に向かいます。

 この続きはまた日を改めてアップします。


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