6月に入り鮎釣りが解禁になり、梅雨入りも目前になってきましたね。
今日は妻沼聖天山を創建した実盛公について講座で学んだことの一部を紹介したいと思います。
実盛は平家物語にも「巻第7 実盛」に登場します。
そのあらましは
<70歳余りの実盛は加賀国篠原の合戦で、髪を黒く染め錦の直垂(ひたたれ)を許され、手塚太郎光盛と斬り合って覚悟通り討死。首実験した木曽義仲は実盛の心情を思いやり感涙を流した>とあります。
歌舞伎の好きな方は、昨年の暮れの京都南座公演で「源平布引滝 実盛物語」をご覧になった方も多いと思います。大晦日にNHK教育TVでも録画放映していましたので、お茶の間でゆっくり観劇という方もいらっしゃったかも知れません。歌舞伎は物語を面白く脚色していますので、史実とはかなり離れています。
歌舞伎のあらすじを「吉之助」さんのサイトから引用させていただきました。
>歌舞伎の「源平布引滝」の三段目切「九郎助住居の場」(通称:「実盛物語」)も同じく、この実盛の討ち死の話をもとに創られています。幕切れ近くで、「母(小万)の敵」と言って迫る太郎吉(後の手塚太郎)を実盛は「オオ、出かる出かす、成人して母の仇、顔見覚えて恨みを晴らせ。」と軽くいなして、後日に手塚太郎に討たれることを誓います。横にいた九郎助が「もうし実盛さま、孫めがおおきゅうなる時は、おまえさまには顔に皺、髪は白髪でその顔変わる」と言いますと、
「ムウなるほど、その時は実盛が鬢髪を黒に染め、若やいで勝負をとげん、坂東声の首とらば、池の溜まりで洗うて見よ、いくさの場所は北国篠原、加賀の国にて見参見参。」
謡曲の実盛は手塚太郎に討たれたことを悔いて往生できないのですが、歌舞伎の設定は逆で、実盛は28年後に太郎に再会し、討たれることでその約束を果たすのです。この場で実盛は自らの死の有様を予言するわけですが、ここでは謡曲と違って陰惨な感じがまったくしません。自らの「鬢髪を黒に染め、若やいで」勝負しようという所などには、壮年の男の色気さえ感じさせます。実盛のその潔さに、どこかさわやかな感動を感じさせます。
むしろ私が気になるのは太郎吉の方です。瀬尾は平家方の悪役として登場しますが、太郎吉が自分の孫であることを知った瀬尾は、孫の手でわざと討たれることで太郎吉に功をたてさせて死にます。これで太郎吉は葵の上に義仲(と言っても生まれたばかりだが)の家来になることを許されるわけですが、すぐさま太郎吉は実盛に仇を討つと宣言するわけです。この子供は単純一途で、自分の祖父を殺しておいて何の感慨も示さず、今度は実盛の首を取ろうと言う。どうも血に飢えているだけみたいで、太郎吉が実盛に迫る場面だけは私はいつ見ても気持ち良くありません。
まあ子役の演技だからあんまり気にすることもないでしょうが、私はこの箇所だけにチラリと陰惨な影を見るのです。しかし、実盛は懐紙を出して太郎吉の鼻をかんでやったりして、これがまたえらく親切。おまけに太郎吉を馬にまで乗せる大サービスで、陰惨な気分はまったく吹っ飛んでしまいます。馬の足は観客を沸かせる楽しい見世物ですし、花道での馬上で実盛が扇子をかざしての幕切れはいつ見ても格好良くて素敵です。
この華やかな「実盛物語」の幕切れのなかに、ちょっとだけ実盛の運命を想い起してみたいと思います。謡曲「実盛」では「救いようのない運命の非情さ」が描かれています。しかし、歌舞伎「実盛物語」での実盛は28年後の自分の死の光景を語り、「自らの髪を黒く染め、場所は加賀の国篠原、池の溜まりで洗うて見よ」と言っています。実盛はその言った通りに死ぬわけです。もしかしたら、実盛は自ら運命を選び取ったのかも知れません。そしてその運命に従容として殉じたのです。
引用終わり
この演目を「熊谷歌舞伎の会」でも妻沼中央公民館で昨年11月27日に初演しました。当日は小鹿野歌舞伎の皆さんも応援に駆けつけて、舞台を盛り上げてくれました。実盛を演じた長島さん曰く、馬が出せれば一段と面白い歌舞伎が出来るので、その役を募集中だそうです。我と想わん方は是非・・・
実盛公の銅像は聖天山入口の貴惣門を入って右奥にあります。
しばらくすると聖天山の近くにある能護寺のアジサイも見頃を迎えますので、一緒にご覧になるのもお奨めです。