※ つれづれなるままに

日頃の気ままな記録です。
気楽にお付き合い頂ければ嬉しいです。

大連の夜

2012-06-20 21:18:56 | 海外旅行 大連


労働公園を見下ろす山の上にあるテレビ塔。
中々綺麗です。

大連はどこも夜になるとライトアップをして
綺麗な印象を受けました。

上に展望台があるので、エレベーターで
登ってみました。


海抜360m
ちょっとガッカリ
霧がかかっているのと、ガラスが汚れている。
上海や、香港の展望台でもガラスが汚れていると
言うのを聞いて、これは国民性なのかもしれない
と思えますが。


夜の市場です。

日用雑貨、服などが多く雑貨、果物、
ソックスは安いので、日本人はソックスを沢山
買っていくそうです。
私は♪見るだけ~

夜の星海(せいかい)広場

2012-06-20 21:17:11 | 海外旅行 大連
星海広場は総面積 110万㎡
広場としては、アジア最大面積です。







音楽に合わせて、高低差の出る噴水は
とても楽しいです。

昼間バスで通ったけれど、夜の広場とは
又違った雰囲気で、周りは樹木や高い建物が多いけど

中は、芝生の緑と、歩道、車道に区別されて
とに角“広さ”“緑の綺麗さ”に圧巻です。

日本人街

2012-06-20 21:11:31 | 海外旅行 大連

ここは、戦前に日本人が住んでいた場所です。

その頃の住居は大分無くなってしまったけれど
まだ、手入れをしながら、そのまま使っている
家も結構あります。








日本人形の男の子や、女の子など
日本人街のムード作りにも力を入れて
観光用にしています。

後ろではモデルさんが、場所を変えて何枚も
写真を撮っていました。

大連の中に、日本人が住んでいた家は他にも
残っているという事です。

昭和13年ー15年の地図を大連で買いました。

地図の住所は細かい部分が省かれているので、
私が住んでいた住所との照らし合わせも
“この辺かなぁ”と思う位で、その場所には
行けませんでした。

いつか、ゆっくり行ける機会があったら
今度は、もう少し家の近くまで行ってみたいです。



北大橋

2012-06-20 21:10:15 | 海外旅行 大連
北大橋

北九州市と大連市は姉妹都市です。
北大橋は、日中友好の証として、1987年に
竣工したつり橋です。



ここは、秋月峰景勝地に架けられ
結婚記念撮影のポイントにもなっていて、さらに
2人で手を繋いで渡ると一生仲良く過ごせると
言われて人気があります。




橋の脇では、中国らしい民芸品や小物などが
売られていて、見ているだけでも楽しかったです。

旧満鉄

2012-06-20 21:00:38 | 海外旅行 大連
旧満州鉄道本社

コの字型の中央部です。


地上2階 地下1階


社員数4万人 製鉄所、炭鉱、農事試験場などあり
家族にも満鉄のフリーパスが受けられ、満鉄乗り放題で
満州の主要都市総てに行く事が出来ました。

その当時すでに、福利厚生施設も充実していました。


満鉄 大連埠頭ターミナル玄関

戦後、ここから私達家族は日本へと引き揚げました。

道を挟んで6階建ての埠頭事務所があります。

上の白いのはターミナルの屋根です。
100年前には、すでにエレベーターが2基あり
当時では凄い事だったようです。
今でも、必要とされている建物です。
父は、ここで仕事をしていたと思われます。

この屋上は眺望が良く、観光スポットになっています。


その左に目をやると近代的な高層ビル

マンション 右の方のは、まだ建築中ですが
金額は 億と言う事です。

大連では至る所で高層ビルが建てられています。

大連埠頭
この正面の遠くに日本が・・見えませんが・

大連埠頭には1~4まであり、第1埠頭と
第2埠頭はロシア統治時代に、第3埠頭と
第4埠頭は日本が建設しました。

この写真には客船が見えますが、客船は
第2埠頭からで、他は貨物専用だそうです。

写真右から第1 左へ2,3,4埠頭となります。

ここに立って、当時の両親に想いを馳せました。
父が40歳 母31歳の時に終戦 引き揚げとなり
6歳、4歳、3才の子供を母が1人で連れ帰ったけど
母のお腹には8ヶ月の子供。

しかも、父は仕事の関係で一緒には帰れなかったので
母は、どれだけ心細かったことか まだ31歳

6歳の姉には、ロシア兵にいたずらされないように
髪は短く男の子の格好をさせたといいます。

持ち物には制限があり、殆んどが没収されたと
言う事ですが、身重の母は、両手で姉と私の
手を繋ぎ、妹をおぶって何も持てる筈もなく、
ただ子供達を無事に日本に連れ帰ることだけを
考えていたと言います。

海を見ながら、本当に大変だったんだろうなって
幼い時に居た場所で、当時の母の年齢を超えて
さらなる親の愛を感じます。
ここに来て良かった。

大連 in 中国

2012-06-20 13:25:49 | 海外旅行 大連
産まれ故郷の大連
殆んど記憶が無いので、いつか行きたいと
思っていたのを実現する事ができました。

大連周水子(しゅうすいし)空港 

ついに来ました 大連へ どんな町なのか
記憶が蘇るのか? 興味津々

大連は欧亜連絡鉄道と上海航路との接続点で
日本から満州への玄関口です。
又、満鉄の本社がある最重要拠点でした。

最初に向かったのは中山(ちゅうさん)広場

上から見ると円形で、中心から10本の道が
放射線状に延びている大連の中心的な広場です。

中山広場はロシアが統治する時期に建設され
日本統治時代に大広場と改名。日本人などの
建築家の設計で、広場の周辺に10基のルネッサンス
様式やゴシック様式の建築物が建てられました。

現在は大連中山広場近代建築群と呼ばれ
中国の重点文物保護単位に指定、近現代重要史跡
及代表建築に分類されています。



旧ヤマトホテルも、その一つです。
現在もそのまま大連賓館として営業しています。


ヤマトホテルは南満州鉄道kkが経営していた
高級ホテルで大連の他に、旅順、奉天、長春
星が浦にもあり合わせて、満鉄ホテルチェーンと
総称されました。




中山広場から、ヤマトホテル方面に渡る様子

大連に、信号は少なく、車優先です。
3車線、4車線でも、車の様子を見ながら
上手に渡るのには感心します。

行動を起さないと車は止まってくれないので
ある程度、強引 でも事故が少ないのはお互いに
細心の注意をしているのでしょう。

今回は団体なので、「皆で渡れば・・・」と言いながら
渡れたけれど、一人だったら何時間かかることか

これから、旧満鉄へと向かいます。