※ つれづれなるままに

日頃の気ままな記録です。
気楽にお付き合い頂ければ嬉しいです。

旅順 ヤマトホテル

2012-06-21 23:27:10 | 海外旅行 大連
満鉄ホテルグループのヤマトホテル
ここは、旅順のヤマトホテルです。

大連のヤマトホテルとは全く違いますが
当時は3階部分に飾りが付いた素適なデザインでした。


男装の麗人、川島芳子は、愛新覚羅 第14王女に
あたりますが、ここで蒙古属の将軍の次男と
結婚したり、スパイになったりと波乱万丈の
人生を送りました。


川島芳子をモデルにしたベストセラー「男装の麗人」
を、水谷八重子が舞台で演じています。

芳子の父 の家はヤマトホテルから徒歩10分
ラストエンペラーの溥儀も滞在していたとか。


ヤマトホテルの玄関

現在は民開放軍の招待所になって、外国人は
泊まれません。

ホテルの1Fは、殆んどが食堂になっているようです。
板垣征四郎が、満州国成立の盃を交わしたホテルと
聞いて、面影が無いけど当時のヤマトホテルは
立派だったのだと思います。


すぐ脇にある市場

果物が安くて種類も多い



旅順駅 ロシア統治時代の駅
異国情緒があって素適です。



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203高地

2012-06-21 20:40:10 | 海外旅行 大連

テクテク テクテク海抜203mを登ります。
写真では登りに見えませんが、結構息が・・・。


ゆっくり ゆっくり 杖を着いたお母様と娘さん達
良く登ってきました。

海抜206mだったのが、戦争で3m削られて
203mになったとか。


爾霊山の碑
「あなたの霊の山」と言う意味
乃木大将が戦死者の霊を慰める為に
付けたということです。


ロシア砲 車が付いている。
筒は、長くて直径は15cm


日本砲 車が無いので、担いで移動
筒は、短く直径は 18cm

他にもロシア軍は33cm、日本も28cmと
巨大なのもあったと言う事です。


お土産屋さんのティーシャツには・・・。
このような当時に関係のある物を
売っていましたが、中国元だったらもっと
安い筈なのに日本の金額と変らないのは???

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水師営会見所

2012-06-21 18:15:19 | 海外旅行 大連
ここは、日露戦争が終り、乃木大将と
ステッセル将軍が降伏調印をした所。




屋根の上には草が生えていますが、入口を
入り、左の部屋で調印されました。
右の部屋では、当時の写真が貼られています。

乃木将軍とステッセル それに銃持参のロシア兵
通訳が一緒に写っているのがありましたが、
乃木将軍がロシア兵が銃を持つのを許したと言います。

この建物の近くにナツメの木があります。
このナツメは4代目になっていましたが、ステッセルが
会談の為に乗ってきたアラブ産の白馬を繋いで
おいたそうです。

その後、白馬は乃木将軍に送られたと言うことです。
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東鶏冠山

2012-06-21 17:57:19 | 海外旅行 大連
日露戦争、旅順争奪戦になった激戦地


天然の岩盤で、強固な要塞
ロシア軍の兵舎です。

2階建てで、下は爆薬などの倉庫 上で生活していたと言う。
壁には、日本軍の爆破跡が生々しく残されています。


堡塁(石などで固められた陣地)の正面で2,3トンのダイナマイトを
爆破させて、日本軍が占領したが、日本軍は
8000人の死者を出しました。




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昆布騒動

2012-06-21 16:24:53 | 海外旅行 大連
バスの中からの写真で見づらくてご免なさい。


大連から旅順に向かうバスの前に
これ以上はムリと言わんばかりの
大量の昆布を積んだトラック

車内は「すごいねー」「沢山取れるんだねー」とか
ワイワイ がやがや・・・
やがて、姿は見えなくなりました。

しばらくガイドさんがお話を続けていると
道の真ん中で作業をしている人達・・・

あれっ? あれってー 




ナント、落ちた昆布拾いをしている人達でした。
トラックは見えません。

こんなハプニングで、車内は大盛り上がり
ガイドさんは「どこまで話したかしら?」って。

すっかり話を持って行かれたのでした。

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アジア号

2012-06-21 10:01:40 | 海外旅行 大連
日本の資本で経営の南満州鉄道で、
1934年~1943年まで
大連駅ーハルビン駅までの約950mを
走っていた夢の超特急“あじあ号”が
大連駅機関庫に保管されています。



誰もが「大きい~」と目を見張ります。
そして ゴッツイ! 鉄の塊?すごく重そうです。
最高速度120km

それまで、大連ー新京間が、2日かかっていたことろを
8時間半で走行して、世界を驚かせたと言います。



車輪の直径は、約2m 大きくて力強い!


運転席に上る垂直の梯子は腕力がいります。
この位の腕力は・・私にだって~ ウ・ウ・・・


石炭投入口です。周りはゴツゴツして男の仕事と言う感じ。


列車の屋根です。後部、石炭貨車から前方を見ています。

ロシア人女性がウエイトレスとして働いていた豪華な食堂車も
ありました。

6両編成で、手荷物郵便車 1両   3等客車(定員88名)2両
食堂車 1両、2等客車(定員68名)1両、展望1等車(定員48名)1両

旧満州の気候に対応する為に、2重窓にした冷暖房設備が
完備、当時の列車では珍しく、オリエント急行にも
匹敵すると言われています。


この機関車は「パシナ型蒸気機関車757号」で
「パシナ型蒸気機関車751号」は瀋陽機関車展示館に保管されています。

現在では、この2台だけが当時の遺産として
中国で見ることができ、日本人の家もそうですが、
中国が良く残しておいてくれたと当時の関係者に
「ありがとう」っていう気持ちです。






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