5日ほど前に「緑色のなぞ」という記事を書きましたが、
まだ謎の答えを追求していませんでしたね。
勿体つけてたわけじゃなくって、実はかなり難しい問題だったのでかなり考えていたのです。
何が謎だったのかと言いますと、
「植物の基本色は緑色にも関わらず、植物染料からは緑色を染め出すことが出来ない(困難である)が、それは何ででしょう?」ということでした。
ここでは物理的、化学的に考察するということは置いておいて、
「意味的に」ということで考えてみました。
ニュートン物理学に拠らない色彩論として、ゲーテやシュタイナーの論を取り上げますと、
植物の本質=生命であり、緑色はその像であること、
そして「生あるものが現れるとき、緑でなければならないということ、緑色の像にならなければならないこと、このことは客観的なことなのです」
と述べられています。
そう、あくまでも「像」であるから緑色を染めることは出来ないのであろうか・・・
そこでさらに、かねてからの疑問であったことの謎が解けたような気がしたのです。
ねえ、どうして「赤ちゃん」っていうのでしょう?
生まれたばかりの赤ん坊を「嬰児(みどりご)」と言うのですか?
「生あるものが現れるとき、緑でなければならない」
「赤は生命の輝きである」(シュタイナー)
赤ん坊は命の輝きそのものなのですね。
まだ謎の答えを追求していませんでしたね。
勿体つけてたわけじゃなくって、実はかなり難しい問題だったのでかなり考えていたのです。
何が謎だったのかと言いますと、
「植物の基本色は緑色にも関わらず、植物染料からは緑色を染め出すことが出来ない(困難である)が、それは何ででしょう?」ということでした。
ここでは物理的、化学的に考察するということは置いておいて、
「意味的に」ということで考えてみました。
ニュートン物理学に拠らない色彩論として、ゲーテやシュタイナーの論を取り上げますと、
植物の本質=生命であり、緑色はその像であること、
そして「生あるものが現れるとき、緑でなければならないということ、緑色の像にならなければならないこと、このことは客観的なことなのです」
と述べられています。
そう、あくまでも「像」であるから緑色を染めることは出来ないのであろうか・・・
そこでさらに、かねてからの疑問であったことの謎が解けたような気がしたのです。
ねえ、どうして「赤ちゃん」っていうのでしょう?
生まれたばかりの赤ん坊を「嬰児(みどりご)」と言うのですか?
「生あるものが現れるとき、緑でなければならない」
「赤は生命の輝きである」(シュタイナー)
赤ん坊は命の輝きそのものなのですね。