日本の難点(宮台真司 幻冬舎新書)
数年前、藤原和博さんとの共著「人生の教科書 よのなかのルール」で宮台さんが書いた評論(なぜ人を殺してはいけないか、というテーマだったと思う)にとても感心した記憶があって、本書を読んでみた。
あとがきによると、これ以上下げようがないくらい低いレベルの難度で書いたそうだけれど、私には理解しがたい部分が多かった。
頻出する「社会の底が抜けている」とか「再帰性」といった用語もほとんど解説されないので、わかったようなわからなかったような感じのまま終わってしまった。
本書は、社会の「郊外化」(コンビニやファミレスが地元商店街を滅ぼすような状態、システム化)が進んで、地域の共同体が機能しなくなったこと、社会の「包摂性」がなくなったことにより、国家と個人が直接つながるような局面が多くなった(これは、多分タテマエだけの社会になることが多くなった、法令のみによって社会活動が規制されるようになった、ということだと思う)のが、昨今の人間関係の不全とか幸福感の欠落に繋がっている、と論じている(と思う)。
前半の、多分著者の本業である、コミュニケーション論、教育論には、(わからないながらも)論理のぶ厚さみたいなものを感じたのだが、後半の日本論、米国論になると、陳腐で薄っぺらな印象があった。
数年前、藤原和博さんとの共著「人生の教科書 よのなかのルール」で宮台さんが書いた評論(なぜ人を殺してはいけないか、というテーマだったと思う)にとても感心した記憶があって、本書を読んでみた。
あとがきによると、これ以上下げようがないくらい低いレベルの難度で書いたそうだけれど、私には理解しがたい部分が多かった。
頻出する「社会の底が抜けている」とか「再帰性」といった用語もほとんど解説されないので、わかったようなわからなかったような感じのまま終わってしまった。
本書は、社会の「郊外化」(コンビニやファミレスが地元商店街を滅ぼすような状態、システム化)が進んで、地域の共同体が機能しなくなったこと、社会の「包摂性」がなくなったことにより、国家と個人が直接つながるような局面が多くなった(これは、多分タテマエだけの社会になることが多くなった、法令のみによって社会活動が規制されるようになった、ということだと思う)のが、昨今の人間関係の不全とか幸福感の欠落に繋がっている、と論じている(と思う)。
前半の、多分著者の本業である、コミュニケーション論、教育論には、(わからないながらも)論理のぶ厚さみたいなものを感じたのだが、後半の日本論、米国論になると、陳腐で薄っぺらな印象があった。