蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

フラッシュ・ボーイズ

2018年04月15日 | 本の感想
フラッシュ・ボーイズ(マイケル・ルイス 文藝春秋)

2008年頃から盛んになったアメリカの株式市場における高速度取引の問題点(フロントランニングなどの不正行為)に気づいたRCB銀行のブラッド・カツヤマは、自ら取引所を立ち上げ公正な価格形成を追求する・・・という話。

市場参加者の売買注文動向を探り出して先回りして値ざやを稼ぐ取引は、注文から執行までの時間差を利用するもので、昔から行われてきたものだ。どこまでがフロントランニングといわれる不正行為なのか微妙で事実上黙認されてきた面もあると思う。
何しろ昔は人間が手作業で値をつけていたのだから、フロントランニングなんてやろうと思えばやり放題だったので。
ただ、こうした行為による値ざやはほんの少しなのであまり問題化してなかったのだが、コンピュータや通信技術の発達によってミリ秒単位で注文発注ができるようになり、1回ごとのもうけは極くわずかでも合計すると莫大な金額にすることが可能になった。
したがって、本書が指摘するような事態が問題視されるようになったのは、取引の高速化というより高頻度化によるところが大きいと思う。

高速取引のほかに本書が問題としてあげるのは、ダークプール(証券会社の自己対当取引のための社内つけあわせ市場)。
これも(ダークプールという名前はついていなかったが)昔からあるもので、価格形成の問題も認識されていたが、スケールが今とは桁違い。

素人には非常に難しい話題を、わかりやすくかつドラマ仕立てにする著者の手際の良さはあいかわらずで、最後まで楽しく読めた。
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スターリングラード(ドイツ映画)

2018年04月14日 | 映画の感想
スターリングラード(ドイツ映画)

独ソ戦の転換点となったスターリングラード攻防戦におけるドイツ軍小隊の悲劇を描く。1993年のドイツ映画。
ヴィッラント少尉(トーマス・クレッチマン)が率いる小隊は、北アフリカ戦の後、イタリアで休養していたが、東部戦線への転戦を命じられてスターリングラードへ赴く。多大な犠牲を払って市街地を確保するが、ソ連軍の強力な反撃にあって包囲されてしまう。
ヴィッラント少尉とその小隊は、負傷者を救おうと休戦を申し入れたり、軍医を無理やり部隊に連れてきたりしたことなどを問われて懲罰部隊へ送られて地雷除去などをさせられる。
中隊長は、無謀な脱出作成を担うなら原隊復帰させると約束するが、その作戦の中で中隊長自身が重傷を負ってしまう。
少尉は傷病兵を装って小隊ごと飛行機で脱出しようとするが、考えることは皆同じで満員になって乗れない。
絶望した少尉は恨み骨髄の憲兵将校を殺して、憲兵たちがこっそりため込んだ食糧庫に潜入する・・・という話。

日本でみられる海外作品のほとんんどはアメリカ製なので、戦争映画のドイツ兵は、たいてい無言で冷血にアメリカ兵を殺しまくるロボット、みたいなイメージが強い。
本作では、ドイツ兵の日常(たばこを吸いまくる、糧食はそれなりに豊か、憲兵の権力が絶大、制服の着こなしも大事、など)や軍装が詳しく描かれて興味深かった。
ソ連軍の兵や民間人も(ロボット的にでなく)情感豊かに描かれていたように思えた。
耳が大きくて陽気なフリッツ五兆(ドミニク・ホルヴイッツ)がよかった。

主役の少尉がやったことは、平時や後方ならかなり滅茶苦茶な行動に見えるが、前線ではルールを守るばかりでは生き残れっこない、ということを示しているように見えた。(そういう視点でみると、憲兵にバレてしまうような手際だったヴィッラント少尉はヘボだったともいえる)
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ペンタゴン・ペーパーズ

2018年04月10日 | 映画の感想
ペンタゴン・ペーパーズ

1971年、ベトナム戦争中のアメリカで、その戦況等の経緯や判断について政府が極秘裏に作成していた大量の文書がリークされ、NYタイムズがスクープする。特オチしたワシントンポストも同じ文書を入手するが、すでに政府がNYタイムズに対して(裁判所に)差止請求をしており、ワシントンポストが報道した場合、法廷侮辱罪?に問われる可能性があった。編集長のベン(トム・ハンクス)は掲載を主張するが、ワシントンポストは上場直後で不祥事は絶対に避けたい役員たちは掲載に反対する。社主のキャサリン(メリル・ストリープ)は間に挟まれて決断を迫られるが・・・という話。

実際の事件を知らないのだけど、ワシントンポストは特オチした方なので、NYタイムズの方にこそいろいろなドラマがありそうにも思えるのだけど、直後に起こったウォータゲート事件(ワシントンポストがスクープ)のインパクトが強すぎて、アメリカではニクソンの不祥事=ワシントンポストの手柄みたいなイメージが強いのだろうか???

専業主婦だったキャサリンは近親者の死により止む無く社主をやっているが、ビジネス経験は乏しく、依存的な性格で、決断を迫られても何を基準に判断していいのかわからないのだけど、勢いで掲載OKと言ってしまった、
というのが、本作の伝えたかったことではないかと思う。
キャサリンが苦悩する場面とか決断に至るプロセスがあまり描かれていないためにそう思ったのだが、間違っているかなあ??(というか、あの状況で掲載OKというのは経営者としては無謀だよなあ。まあ、だからこそドラマになったのだが)

人生の重大な決断は、案外いいかげんに決められる・・・それが本作のメッセージ・・・やっぱり間違いか。

強い女性、自立した女性、くじけない女性を演じたら天下一品のメリル・ストリープは、その全く反対の性格の役柄の演技でも絶品の演技。
キャサリンは、気弱で、優柔不断で、ビジネス的能力は劣り、周囲に頼り切りの人、としか(この映画の中では)見えないのだった。
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それまでの明日

2018年04月01日 | 本の感想
それまでの明日(原尞 早川書房)

私立探偵:沢崎は、金融会社の支社長から老舗の料亭の女将の身辺調査を依頼される。その依頼人が勤務する支社に行くと、強盗に出くわし、たまたまそこにいた求人会社のオーナー(大学時代に起業したのでまだ若い)海津と協力して犯人を撃退するが、支店長は行方知れずになり、支社の立派すぎる金庫には多額の現金が保管されていた。海津が気に入った沢崎は彼とともに支社長をさがすが・・・という話。

14年ぶり沢崎シリーズの新作ということで、(私としては)珍しく刊行直後に買ってすぐに読んでみた。このシリーズは沢崎の(リアリティは強く感じられるものの、実際にはいそうもない)“探偵ぶり”を楽しむもので、ミステリ的な要素は、ちょっとした味付け程度のもののように思われる(「私が殺した少女」の結末には驚かされたが)。
本書でも驚くようなトリックやどんでん返し的なストーリー展開はあまりない。

沢崎のハードボイルドぶりは相変わらずカッコいいし、セリフや比喩もしゃれている。ただ、沢崎が訪れる場所ごとに「ここは喫煙可か?」的なことを必ず尋ねるのが(彼らしくなさそうな、またハードボイルド的でなさそうな気がするものの)ご時勢を反映しているようでおかしかった。

話の筋立ては重要ではないというものの、本書のラストは、かなり尻切れトンボ気味(依頼人の正体は明かされず(明かされてないよね?)、海津の消息も不明)なので、近々(原さんの「近々」は5年くらい要しそうだが)続きがでるのだろうか。
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ぼくは本屋のおやじさん

2018年04月01日 | 本の感想
ぼくは本屋のおやじさん(早川義夫 ちくま文庫)

私の子供が通っていた音楽教室の近くの駅前に個人経営の小さな本屋さんがあった。子供3人が次期をずらして15年くらい教室に通っていたので、その送迎をするついでに寄っては本を買っていた。
京浜東北線の駅の真ん前にあったのでロケーションは申し分なかったが、近くにチェーン店の本屋さんが出店した頃から目に見えて来客が減り、それでも建物を改装したりしてがんばっているうち、チェーン店の方が撤退してくれて持ち直すかに見えた。しあし、まあチェーン店の方がなくなっちゃうくらいだから環境は厳しかったのだろう。
いつも店番をしていたおじいさんを見かけなくなって娘さん?がカウンターに立つようになってから棚がスカスカになってきて、(返品が滞っていたのか)古ぼけた在庫が多くなって、それでも応援するつもりで毎週1冊は買っていたが、とうとう廃業して居酒屋になってしまった。

出版業界に限ったことではないが、人気商品は大手の書店にしか集まらず、販売実績の低い書店にはいくら人気本を注文しても卸売業者が回してくれない。だから、書店経営を続けるにはできる限り売上を増やして人気のある本を少しでも多く仕入できるようにする、という自転車操業を強いられる。自分が売りたい本を売るような余裕は全くない。
と、いうのが、本書がさかんに主張する書店の現実である。

自分が好みの本を取り揃えて、本でも読みながら時折やってくる常連さんに本を売る、くらいののんびりした生活をイメージして、著者は本屋を始めたという。
ネット書店全盛の今では、そもそも新たに書店経営を始めようとする人はほとんどいないのだろうけど、本書の背景となった1970~1980年代には、著者と同じような考えの人はたくさんいたと思う。何を隠そう、私自身がそうだったのだから。しかし、現実は厳しく、そんな楽隠居のような商売が続くわけはないのであった。

タイトルから、ネット書店出現前夜の牧歌的?小書店経営の喜びや悲しみを描いた内容を想像していたのだが、実際は著者のグチを書き連ねた内容で、読んでいて楽しい気分にはなれなかった。
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