主にオートバイ。時々クルマ。
なんだかんだと永年のブログです。
風に向かう刻
とんがってナンボだぜ!
(・ω・ ) ナンボってどれくらいですか。
やってまいりました晴れの土曜。
ちょっと事情がありましてオートバイに乗る時間は取れませんが、
いまだに未曾有の雪害の影響が残る北関東は目的地に適当ではなく
きっと今頃の房総半島は東京近郊のツーリングライダーでスゴいことに。
出来れば千葉随一の名ルートである
安房グリーンライン辺りに走りにゆきたかったのですけれど。
安房グリーンラインといえば、
噂では年度末までに減速帯がそこら中に設置されるとか。
確かになあ。私の目の前でZ1000が飛んだりとか色々ありましたし
いくら人気の無い農道とはいえ無茶をする人が多すぎた感があります。
そんな安房グリーンラインに思いを馳せながら、
空いた時間で予定通りオートバイ整備を行っておりました。
うーむ。我が家の半壊ガレージの横にはまだ雪が残っていますね。
あと少しで消えてしまうであろう雪に寂しさを覚えつつ作業開始。
今回のターゲットはこのやる気のないステップですヽ(´▽`)ノ。
CBR1000RR純正のステップですが、
ご覧いただけますでしょうか。かなーりやる気のないギザギザ具合です。
怪我などに対する安全性を考慮してなのか、製造時のコスト関連なのか。
はたまた『どうせバックステップに換えるからいいや』なのか。
もちろん新車から8年、
50,000kmを迎えるにあたって相応に損耗もしていますが
新車の頃から『雨の日なんか特にグリップしないなあ』が感想でした。
私は普段コーナーなどを走る場合には、
踝とつま先をテコのようにつかって足を固定しますので
足の裏面が多少滑ってもそこまで問題にはなりませんけれど
それでも、長距離を走れば走るほど必要な力が少ない方がラクですし、
グリップを上げるためにバックステップでも
…と思って8年が過ぎました(笑
そんな折。
愛読のBikersStationなる雑誌にてステップ加工の話が載っていました。
編集者曰く「SSなのにこんな状態でグリップする筈が無い」だそうで、
川崎辺りのバイクショップの作業例を紹介しておいででしたので
今回はそれを丸パk・・もとい、オマージュということで( ̄ー ̄)。
まずは前後方向にエッジが立つように棒ヤスリで目立てを行います。
目安は指で前後に擦ってみて、
エッジが指の指紋にガリガリ引っかかるぐらいまでですね。
実はここまでは私でも思いつく内容であり、
ただ面倒くさいだけでやっていなかったものですが(笑
次の加工は雑誌の記事を読んで「なるほどなー!」と感動したもの。
使う工具はリューター的なアレ。
小さなヤスリでも出来ますが、電動工具の方がはるかにラクです。
それでは早速加工してゆきます。
加工後。ご確認いただけるかしらん?
山を一つ一つ全てに対して加工しておりますが、
左から右に向かって崩れる”波頭”のように加工してあります。
これによって ステップ内側 ⇒ 外側 へと引っかかり
力が逃げなくなりホールド感が向上するという寸法。
このちまちました作業を左右のステップに行って完了。
文字通り、削りたてのアルミの質感がなにやら新鮮です。
作業後とりあえずサンダルのまま跨ってみましたが
これはなかなかに好感触ですね~♪
GPマシンで見られるような鋭利なステップバーに憧れていましたので
これで暫くは気持ちよく乗ることができそうです。
あー。
子供の頃、山のモトクロスコースでMTBで遊んでいたとき
足を踏み外してトゲトゲの鉄のペダルでスネを抉ったのを思い出し…
恐ろしい。踏み外さないように気をつけようと思います。
まだ春はみつからない
タイトルに他意はございませんですハイ。
気づくと1週間。
最近はまたまた中途半端な時期に入ってきた新人の教育やら、
年度末でありつつ消費税増税直前の駆け込み混乱の対応もありで
なかなかに社会人的観点では有意義な時間を過ごしておりました。
・・・こういっちゃあナンですが、なにやってんのかしらねえ。
仕事なんて出来てあたりまえ。結果が出てあたりまえ。
そこが目的になったらあとは気がついたら今際の際ですよ。
そんな週の後半。
同僚でかなり精神的に参っていそうな方と一緒に呑みなどを。
典型的なやっすい居酒屋で水みたいな酒を飲みつつ。
(泡盛25度とかコレ絶対に偽装表示でしょってぐらいです)
その方は他セクションでリーダーを務める10年以上の先輩ですが、
人を使うというのはやはり色々と大変らしく、
相当追い込まれているようでした。
細かいことは敢えてここでふれ回ったり致しませんが、
都合4時間半。サシ飲みで一通りストレスを吐露して頂いて解散。
途中、某巨大宗教団体の話などをされたりも。
弱っている人間がある種の宗教に救われる事実を否定しませんし、
またその手の集団心理には自我の拠り所となる効用があることも認めます。
その意味で私は彼らに対して良くも悪くも特別な意識はありません。
が、自分が救われたがゆえに他者も同じと思ってはいけません。
例に漏れず、酔いに酔ったイキオイで先輩がはじめました。
「もし○○さんが同じようになってくれたらもっと良く(以下略」
安くて水っぽい泡盛をボトルでやりながら、
そこに対する私の答えはこうです。(ほぼ原文ママ)
「その話の流れは理解します。また善意であることも理解しましょう。
ただ、そこから先は善意が悪意に変わる瞬間でもあります。
全ての他に信義を預けた人間のコトバは私には届くことはありません。
ご自身がそれに救われたと仰るのならそれを大切にしてください。
また、仮に今この時が辛いというのなら、
それは今まで己がやってきた、信じてきたことの結果でしかありません。
そこに疑問を感じるのなら自らの行いを見直してみては如何でしょうか。」
我ながら他に言い方がなかったのかと思う部分もありますが、
私よりも時間も経験も積んだであろう人間に僭越にも何を語れるものか。
結局自分を救ってくれるのは自分しか居ないのです。
そしてその自分が行った結果で、
自分に善意を向けてくれた周りのありがたい方々があるのです。
良くも悪くも、ありもしない妄想に耽る暇があるのならば、
己の眼に映る全ての事象をもう少し大切にしてみては如何なのかなと。
私はすぐそこに来ているはずの春を探している
全ての方々を応援申し上げます。きっとあと少しですよ。