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アイラブ桐生・第三部
(32)第2章 レッドカードの街(1)
「子供たちのとむらい合戦」
(広大な面積を誇る極東最大の米軍基地・嘉手納)
日が暮れても、市民とMPの睨みあいによるこう着は続きました。
集まってきた市民たちによって、交差点のこちら側半分はしっかりと占拠されたままです。
MPのレッカー車は、信号よりも少し後方へ下げられたままです。
それと入れ替わりに、MPのジープと装甲車が信号を挟んで整列をしました。
米兵たちが手にした自動小銃は、いつでも発射できるように、
狙いを定めて、水平に構えられています。
市民とMPの対峙は、さらに時間が経過をしても続きます。
赤いスポーツカーを取り巻いた人垣は、少しずつ人々が入れ替わりました。
無言でハイタッチを交わしながら、お互いにその立ち位置を交代していきます。
優花も近くに居た女性と交代をして、一度群衆の後方へ下がってきました。
「どうなるんだろう・・」
「持久戦さ。
あきらめたほうが負けになる。
糸満で女性が轢殺された時には、市民たちは一週間も車を包囲したんだ。
それでも事件は、結局はうやむやにされた・・・・
人がひとり死んだというのに、軍法会議は被害者への保障は認めたものの
当の運転手には無罪判決を出して、そのまま祖国へ送還をしてしまった。
みんなは、その事件のことは良く知っている。
闘わなければならないことを、
たくさんの経験から、しっかりと学んでいるのさ。」
優花の言う糸満事件。
それは1970年9月8日に、糸満町で起きた交通事故のことです。
糸満ロータリー付近で酒気帯び運転かつ、スピード違反の米兵が歩道に乗り上げて
沖縄児人女性をれき殺してしまったという悲惨な事件です。
地元の青年たちは、事故の直後から
充分な現場検証と捜査を、警察と米軍側にもとめました。
現場保存のため一週間にわたってMPのレッカー車を包囲し、
事故車の移動を阻止し続けました。
また地元の政治団体たちとともに、原因究明の『事故対策協議会』も発足させます。
琉球警察を通じて米軍にたいし、謝罪と軍法会議の公開、
遺族への完全賠償などを強く要求しました。
しかし、軍法会議は遺族への保障は約束したものの、
加害者へは証拠不十分として、『無罪』の判決をくだしてしまいます。
この事件が、のちに発生をした毒ガス事件と相まって、沖縄県民1万人が集まった
基地反対集会へと発展をしました。
さらにそのエネルギーが、その翌日の自然発生的な市民による暴動、
「コザ事件」へと繋がります。
緊迫した空気のままMPとの対峙が続いていた事故の現場に、ついに悲報が届きます。
病院へ搬送された3人の子供たちのうち、一番背の大きい子が
手当ての甲斐もなく、命を落としてしまいました。
残りの二人も予断を許さない重体ながらも、かろうじて一命だけを取り留めます。
悲報に接した瞬間に、優花が泣き崩れてしまいました。
「お前のせいじゃないさ」
優花を抱きしめて、慰めようとしても私には、
それ以上の言葉は、どうしてもでてきません。
深夜の12時を回っても、事故を起こした赤い車を包囲する人垣は減りません。
人間の鎖と化したその包囲網に、2度ほど参加をしてから、
まだ泣きじゃくっている優花を抱きかかえて帰宅することにしました。
帰りの車中でも優花は無言のままです。
暗い東シナ海沿いに、山谷村のまばらな明かりが見えてくる頃になってから、
泣き疲れた優花がやっと眠りについてくれました。
この那覇市での包囲網は、3昼夜にわたって続きました。
結局、那覇警察が善処するという米軍側の約束をとりつけて、車はMPたちに
引き渡されることになりました。
しかし、もう一つの要求でもある軍法会議の公開は、結局、拒否をされてしまいます。
包囲網は解かれたものの、若者達の間には熱い火種が残ります。
無権利状態に置かれた沖縄では、沢山ある米軍のもみけし事件のひとつとして
処理されかねないという空気が、ふたたび色濃く漂ってきました。
「やりきれないさぁ~」
コークハイをかき回しながら、優花がつぶやきます。
コーラ―にすこしだけウイスキーを垂らした、優花専用の呑みものです。
しかしそれでも、当人は充分に酔っているようです。
(もともと未成年の飲酒です。それ自体が問題なのですが・・・・)
呑まなきゃ、とてもじゃないけどやってられないわよ~と
今夜の優花は、すこぶる荒れています。
顔馴染みになった、青年団員がスナック「ユーコ」にやってきました。
由香の目の前に置いてあるコークハイを取り上げて一口軽く含みます。
「なんだい、これは。
まるっきりのジュースだな。
これでは、酔うのはまったく無理だ。お子様むけだぞ、この味は。
お~い、ママ、俺のボトルを出してくれ」
ボトルを受け取った青年団員は、
優花のグラスに、これでもかというほど、たっぷりとウイスキーを注ぎ足します。
それだはあまりにも無茶すぎるだろう、と、言おうとしたら、
「優花、お前に吉報だ。
例の子供たちのための、リベンジ戦が決まったぞ。
一週間後に基地のゲート前で、人間の鎖で抗議することになった」
どうだ、これでお前も満足ができるだろうと胸を張り
ほれ、遠慮しないでどんどん呑めと、優花の前にそのグラスを突き出します。
「サッカー少年たちのための、とむらい合戦だ。
レッドカード作戦と名つけて、基地を人間の輪で包囲をする計画だ。
なんでもいいさ、抗議の気持ちをこめて、体に赤いものを身につけてくれ。
シャツでも、ズボンでも、ハンカチでも髪飾りでもなんだもいいぞ。
抗議の赤を身につけて、米兵たちにに、一発退場の意思表示をする。
どうだ優花、これなら行くだろうお前も。
どうだ、行くか群馬、お前も。」
そう言い切ると、青年団員は優花のグラスを一気に飲み干してしまいました。
こいつのほうがリベンジ戦に、よっぽど興奮しているようです・・・
とにかく沖縄はあつい、そう痛感した瞬間でした。
人間の鎖とは
※人間の鎖として有名なものに
1989年8月23日。、ソビエト連邦の統治下にあった
バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)で、独立運動の一環として
行われたデモ活動があります。
「バルトの道」とも呼ばれ、およそ200万人が参加して手をつなぎました。
3カ国を結び600㎞以上の人間が鎖を形成をされました。
これはソビエト連邦からの独立をめざした
バルト三国が、共通の歴史的運命を共有していることを、
国際社会へアピールするために取り組まれたものです。
その後の歴史上で、平和的な市民の意思表示として、
基地問題や、原発反対などのたたかいで各国、各地で定着をしてきました。
デモの形態とはまた異なる、これらの平和や安全への、
無言の抗議と反対の意志表示の行動が「人間の鎖」と呼ばれています。
基地反対闘争がもたらした沖縄での人間の鎖は、
80年代から90年代にかけて、基地を包囲するという形で大規模に
何回も取り組まれるようなります。
本文中に出てくるものは、そのはるか以前の自然発生的なものです。
「コザ暴動」事件からは、まだ半年あまりです。
基地の警備はいっそう強化をされて、米兵の夜間外出許可は
まだ時間制限つきのままです。
基地周辺の警戒と警備ぶりには、きわめて厳しいものがあります。
当然の結果として、デモ行為のひとつとしてゲート前で手をつなぐ「人間の鎖」には、
警察の道路使用許可は出ません。
米軍も警察も、さらに琉球政府も、これ以上の摩擦を生む
余計な騒動は歓迎をしていないのです。
基地の包囲作戦が、中途で挫折してしまいました。
優花が今日はかなり濃い目のアルコール入りのコーラを呑んでいます。
いつもの青年団員は、見るからに意気消沈をしています。
警察の道路使用許可が取れなければ、集会はただの暴動になってしまいます。
あれほど熱を帯びていた作戦会議も、ついに沈黙をしてしまいました。
「レッドカードを米軍に出す前に
こちらのほうが、白旗をあげるようだ・・・・」
「ば~か言うな、
白旗を見せたら降参したことになる。
簡単にあきらめてたまるもんか、たたかいは、これからさ」
「そうは言っても、許可なしではなぁ・・・・
例のあの事件(コザ事件)以来、警察も許可には慎重だし、
来年の本土復帰を無事に迎えるためにも、
あたらしい火種は作りたくないと考えているようだ」
「でも本土に復帰を果たしても、
米軍基地は今まで通りに残されたままだし、
毒ガスはどこかに隠されたみたいだけど、まだ沖縄のどこかに有るというし。
それに、核兵器もどこかに有るんでしょ」
「優花、お前、子供のくせにやけにくわしいな。
身体は子供でも、みかけによらず、頭だけは大人だな」
「褒めてるの、それ?
もう、こうなったらあたしがこの恰好のまま、エイサーになって、
基地のゲートに突っ込んでやろうかな。
米軍のお前らは全員、レッドカードだぞ~って」
青年団員の目が、優花の服装にぴたりととまりました。
たしかに今日の優花は、上から下まで全身真っ赤な洋服で決めています。
「そうか、その手がある。エイサーだ。
なるほど、使えそうだ」
いきなり立ち上がった青年団員が、優花の両肩に手を置きました。
「優花。
お前は、俺たちの女神だ!
エイサーとは気がつかなかった。
お前は救世主だ、沖縄のジャンヌダルクだぞ。優花は、やっぱりいい女だ。
そうと決まったら早速、仲間に打診をするぞ。
おい、群馬いけそうだ。
予定通りに実行をするぞ。」
優花の目の前に置かれていた濃い目のコーラを一気に呑みほします。
あわただしく席を立ち、ドアを開けると表通りに勢いよく
青年団員が、飛び出して行ってしまいました。
「で、、 何の話?
誰なの?ジャンヌダルクって・・・
そんでもって、で、やるわけ、人間の鎖は・・・・」
優花にも私にも、まったく事情はわかりません。
しかし、青年団員は突然なにか、人間の鎖の秘策を思いついたようです。
あとは、あの青年団員の奮闘次第でした。
(何処までも続く青い空・・・・沖縄には、こんな原風景がたくさん残っています)
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