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アイラブ、桐生
(35)第2章 レッドカードの街(4)
沖縄のことを、よく「琉球」と呼びます。
実際に1429年(室町時代)から1879年(明治12年)までの450年間にわたって
琉球王国が沖縄島全体を支配していました。
琉球王国といっても、彼らは日本人と別の民族ではありません。
本土の人間と同じ言葉や文化を持つ、同じ民族です。
ただ、日本列島からはるかに離れた場所にあったために交流が少なく、
徐々に個性的で独自の国家を形成していくようになりました。
1609年(江戸時代)になると、かねてから琉球征服の野望をいだいていた
薩摩藩が沖縄を支配下に置くようになります。
1609年から1879年までの270年間は、沖縄の人々は
琉球王国と薩摩藩の両方から管理をされ、重い課税が科せられました。
当時の琉球王国は、中国との貿易が盛んで、
そうした影響を色濃く受けながら、歌や踊りなどの芸能が発達をしました。
やがて明治新政府が成立し、明治4年に廃藩置県がおこなわれると
琉球国はいったん琉球藩となり、その後の明治15年に沖縄県にかわりました。
これにより琉球王国は城(首里城)を明け渡たさなければならなくなり、
長年にわたった琉球王国が、ついに解体をされました。
(以上、当時の取材ノートより)
そして、1972年5月15日。
沖縄は戦後27年目にして、ついに悲願の本土復帰の朝を迎えました。
顔見知りとなったいつもの青年団員が、記念式典の迎えに顔を出してくれました。
今日は復帰を記念してのセレモニーと集会が、朝から盛りだんに予定されています。
朝からあちこちで、エイサーの太鼓も響いています。
「残念だなぁ、
それでは、3時過ぎならどうですか。
私たちも、2~3時間なら空きができますので、
また顔を出します」
そういうと彼は、忙しく走り去って行きました。
彼も今日は、あちこちに引っ張りだこです。
今日の本土復帰の様子を見届けたら、明日は内地に旅発つつもりだと伝えたら
どうしても一杯呑みたいから、少しだけ時間を作ってくれと言われました。
優花と二人だけで、いつもの丘の上で一日を過ごす予定なので
「ずっと、あいている」とだけ答えておきました。
一年以上にわたった沖縄滞在の最後の一日になるので、
「どこへでも連れていくから、最後の希望を言え』と優花に訪ねたら、
いつもの、東シナ海が見下ろせる丘の上で過ごしたいと、即答で応えます。
「セレモニーばっかりが目白押しの今日は、どこに行っても人ばっかり。
その辺をあるいていたら、あの青年団員にも見つかるし・・
じ~としているのが一番かな~」
おバあが手造りをしてくれたお弁当を抱えて、出かける時間になりました。
斜面をだらだらと登っていくとコザの密集した民家の屋根が見えるようになってきて、
そこから5分も歩けば、もう丘の頂上です。
眺望が利くことから、沖縄戦で最大激戦地のひとつとなった小高い丘の頂きです。
しかしここには、すくっと伸びた数本の木が風に揺れているだけで、
それ以外には、何もありません。
ただただ、見晴らしの良さだけが眼下に広がっています。
いま私たちが登ってきた道は、そのまま眼下をまっすぐにのびて、
民家の間をぬけてから、美浜の海岸にまで到達をます。
その先には白い波が立つ初夏の、青々とした東シナ海がひろがっています。
「優花、せっかくの最後の休日だぜ。
本当に、こんなところでいいのかい?」
「いい。
今日は、兄貴を一人占めにする」
優花はそう言うと、帽子をおさえながら私の隣に座り込みました。
優花は、本当に不思議な女の子です。
思っている以上に大人びているかと思えば、他愛ないほど幼いところが残っています。
ようやく16歳になったこの女の子は、気持ち良さそうにひとつ背伸びをすると
くるりと向きを変え、私の足元に寝転んでしまいました。
遠くで花火か爆竹か、激しくはじける音が聞こえてきます。
街全体が本土復帰一色で、もう、その歓喜のセレモニーが始まったかもしれないな・・・・
そう思った頃にもう優花は、真っ白のストローハットを顔に乗せたまま、
私の太ももの上で、気持ちよさそうに寝息をたてていました。
誕生日が5月だという優花は、この16歳から、初めて日本の国籍を取得をしました。
米軍基地が最優先をされて抑圧と無権利状態の中で、15年間にもわたって
無国籍で育ったこの女の子は、今日からは遂に待ち望んだ
日本の女の子に生まれ変わります。
おめでとう、優花。
今日からは、名実ともに君も(晴れて)同じ日本人だ。
あれほど、みんなが待ち望んできた軍事基地抜きの返還にはならなかったが、
今日からみんな同じ日本人だ・・・・
そんなことを考えているうちに、いつのまにか私も
優花につられて、浅い眠りにおちていきました。
また遠くから、エイサーの太鼓が聞こえてきます。
三線も響いてきました。
地謡(じうたい)まで聞こえてきます。
あまりもの音の近さに、おもわず目を覚ましました。
「みんなで来たぞ。見送りだ」
青年団員が目の前に立っていました。
いや、その背後にも沢山勢ぞろいをしていて、盛装したエイサーたちが居並んでいます。
「ごめん。実は最初からそういう約束だった。」
優花がぺこりと頭を下げます。
「そういうことです、群馬くん。
お~い、みんなぁ、聞いてくれ。
明日は俺らの友人が、本土に向かって旅立つ日だ。
俺たちと一緒に、本土復帰を心から待ち望んでくれた大切な友人のひとりさ。
気持ちをこめて、彼を盛大に送り出したいと思います。
さぁ、いくぞ。
これが俺たちの、晴れて門出のエイサーだ!」
一団が踊りはじめました。
狭い丘の上で、ひしめきあいながらの、エイサーの乱舞がはじまりました。
エイサー装束のいつもの青年団員が、泡盛を片手に駆け寄ってきました。
「とっておきの泡盛の古酒を持ってきたぞ。
門出の記念の一杯には、うってつけの、極上品だ!
こいつは、うちの親父が何かの時のために、秘蔵にしている上物だが、
こんな祝いごとの時にこそ、実にぴったりの酒だろう。
さぁ呑め、呑め。本土の友人!」
優花も寄ってきました。
「私も、飲みたい・・」
「やるやる、優花にもたっぷりとやる、遠慮なんかするな。
おまえのおかげで、レッドカード作戦が、大輪の花を咲かせることができたのさ。
しかしこいつは、いつものお前のコークハイとは、ちょっと違うぞ。
この大人の味がわかるかな~お前みたいな、15歳に」
「16歳です!」
旗頭が激しく打ち振られて、太鼓が鳴り響き、三線と地謡が一段と大きく響きます。
男も女も揃い衣装のエイサーたちが、力いっぱいいつまでも丘の上で踊ってくれました。
ありがとう、16歳になったばかりの優花。
ありがとう青年団員たちと、たくさんのエイサーたち。
そして、ありがとう、そして、おめでとう。
本土への復帰を、27年目にしてようやく果たすことのできた沖縄県。
■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
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