落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ桐生 (47) 「おちょぼ」と恋の行方(1)

2012-06-20 09:05:55 | 現代小説
アイラブ桐生 第4部
(47)第3章 「おちょぼ」と恋の行方(1)





 舞妓になるまでの教育期間の少女のことを「仕込み」といい、別名を「おちょぼ」と呼びます。
おちょぼ期間は一年程度ですが、舞の仕上がり次第で2年位かかることもあるようです。
舞妓になるためには、舞の習得が必要です。
舞のお師匠さんに認められて、初めて舞妓になるための承諾がもらえます。




 舞が仕上がる頃には、京ことばも板についてきます。
その頃になると、本人とその周囲でも舞妓になるための準備が本格的に始まります。
まずは、「引いてもらう」お姉さん芸妓を決めます。
早く言えば舞妓の「後見人」です。
お姉さんの名前から一文字をもらい、デビューの「見世出し(みせだし)」を待ちます。
お千代さんの家に遊びに来る、「おちょぼ」の春玉(はるぎょく)ちゃんも、
ちょうどそんな時期の少女です。



 昔から見れば花柳界のしきたりも、ずいぶんゆるくなったと言われています。
それでも、修業中の『おちょぼ』は、朝から極めて多忙です。
朝早く起きてたくさんの仕事をこなした後、芸と舞のお稽古に通います。
夕方になればお姉さんの支度を手伝い、お風呂もお姉さんたちが帰ってきてから入るために、
寝るのは深夜か、夜更けになってしまいます。
たしかに見習い中の「おちょぼ」は一日中が多忙です・・・・




 掃除・洗濯・使い走り・屋形のお母さんとお姉さんのお手伝い・
着物の着付け・行儀作法・花街ことば・お稽古ごと、おまけに屋形で飼っている猫が
行方不明になれば、捜索に走りまわるようにもなります。
現代っ子には想像すらできない、過密で過酷な日程うえに毎日が修練の繰り返しです。



 つかの間だけ寄りこんで、お千代さんとお茶を飲みながら語っていくのも
「おちょぼ」にしてみれば、もうひとつ気分転換です。
温かくなり始めたこの頃は、表で下駄を鳴らして駆け回る「おちょぼ」と
あちこちで、よく鉢合わせするようにもなりました。





 「半玉ちゃ~ん、そんなに走るといけんよう。
 こけると危ないから、足元に気をつけるんだよ~。」

 「いけず~(意地悪)。お兄さんは好きません。
 春玉です!!春が半分ではあらしまへん!」



 立ち止まってそう言い張ると、
また元気よく、カラカラと春玉は駆けだしていきます。
この頃から、よく「おちょぼ」のデッサンを書かせてもらうようにもなりました。
あどけなさばかりが目立っていた少女から、ほんのりと大人っぽい色気が
漂うようになってきたのも丁度、この頃からだったと思います。



 「おちょぼ」の実地研修も始まりました。
馴染のお茶屋さんで、「お見世出し」前の約1か月間にわたる、デビュー前の見習いです。
舞妓さんと同じ姿をしていますが、だらりの帯は、半分だけの長さで、
通称を「半だら」と呼ばれます。




 お座敷に呼ばれて、出向いていくわけではありません。
特定のお茶屋さんで待機をしていて、お座敷に出させてもらうだけです。
接客をすることよりも、お姉さん芸妓や舞妓さんたちの指導のもとで、
雑用などをこなすことが主な仕事です。
この時期ではただ、お座敷とお客さんの雰囲気に慣れることだけが目的です。




 「着いて来い」と源平さんに言われ、生まれて初めてお茶屋さんへ上がりました。
表通りからは、やや後退した形に作られているのが、お茶屋さんの間取りの特徴です。
すべての客室は、廊下と坪庭付きの吹き抜けで区分をされています。
「踊り場」と呼ばれる板敷きのスペースが造られていて、文字通り芸妓や舞妓さんが
お客さんに踊りを披露する舞台として使われます。




 お姉さん芸妓の末席に座った「おちょぼ」は、見るからに緊張をしています。
初めてお座敷にあがったこちらにも、それは同じことがいえました。
お姉さん芸妓にあたる小春さんもそれ以上に、「おちょぼ」のことが心配で落ち着きません。
こちらも、妹舞妓の初披露に、最大限の緊張をしていました。



 そう言う意味では、今日は居合わせた全員が、みなさん共の初舞台です。
はじめての舞妓さん姿を見せた「おちょぼ」が、余りにも初々しかったことだけは
覚えていますが、それ以外の酒の味も料理も、まったく私の記憶には残っていません。
格式と歴史を誇る京都のお茶屋さんというものは、それほどにまで
初めてのお客を、極度に緊張させてしまいます・・・・



 晴れて「見世出し」の日になると
男衆(おとこし)の晩酌で、お姉さん芸妓と固めの杯を交わし、正式な舞妓になります。
当分の間はお姉さん芸妓に連れられて、お座敷を回ることが仕事になります。
その間に、お茶屋の女将やお客さんに顔を覚えてもらうのです。




 それから一カ月余りが過ぎてから、「おちょぼ」が学校に通い始めました。




 芸妓のもうひとつの仕事が、「にょこうば」と呼ばれる祇園の学校へ入る事です。
正式には、「八坂女紅場(やさかじょこうば)学園」と呼ばれています。
授業科目は実に広範囲です。
舞・能楽・長唄・常磐津・清元・地唄・浄瑠璃・小唄・鳴物・茶道・華道・絵画などなど・・・
最近になって、舞・鳴物・茶道と三味線も必須課目になりました。



 毎年、お正月になると始業式がありますが、
普通の学校とは異なり、入学式もありませんが、卒業式もまた存在しません。
ここには15歳から、上は80歳を過ぎた生徒までが在籍をしています。
舞妓になったその時が入学式にあたり、妓籍を抜ける時が事実上の卒業式にあたります。



 もちろん、体育祭や修学旅行などは一切ありません。
文化祭にあたるものが、有名な春の「都をどり」や秋の「温習会」になります。
受業の時間なども普通の学校のように、毎日決まっているわけではありません。
自分の選択した習いごとが有る時にだけ出かけていきます。


 時間割や予定表は、花見小路と検番に有る黒板に表示されます。
稽古の順番も、原則的には早く来た順ですが、先輩お姉さんが後から来ると
気をつかって「お先にどうぞ、お姉さん」と譲ることなどもあるようです。
こうしたことからも、出たての舞妓さんほど、稽古には時間がかかってしまいますが、
お姉さん方の稽古を見学することも、実は大切な稽古のうちにはいるようです。
熱心な舞妓ほど、長いこと見学をしていきます。
見ることも大切な勉強のひとつです。





 女紅場(じょこうば)と言うのは、明治の初めに作られたものです。
女子に裁縫や料理、読み書きなどを教えるための、学制外の施設です
八坂女紅場は明治5年につくられたもので、長い歴史を誇る同志社女子大学も最初は
「同志社分校女紅場」と呼ばれていました。
その後、全国の女紅場は、役目を終えて閉鎖をされていきましたが、
八坂女紅場だけは、祇園甲部の芸事の研修所として残りそのまま今日に至っています。



 3月も半ばをすぎると、一日ごとに温かくなります。
いつものように高瀬川の川沿いでスケッチをしていたら、お稽古帰りの「おちょぼ」が、
「ごきげんよう」と顔を見せてくれました。
お稽古の順番が早く済み、今日は少しだけ時間があるんどす・・・
と、嬉しそうに笑っています。
お天気も良く、せっかくだからすこしスケッチさせて、とお願いすると、
「ハイ。どうぞ」と快く笑顔で応じてくれました。



 ひとつにまとめて縛っただけの長い髪が、着物の襟に沿って、
「おちょぼ」の胸元まで、ゆったりと揺れていました。
舞妓の結う「われしのぶ」という髪形は、すべて地毛で結うのが基本です。
「鬘(かつら)」が許されるのは、晴れて芸妓になったときからです。




 「おちょぼ」は笑顔でこちらを見つめながら、両手は今日のお稽古の
舞いの仕草を思い出しています。
思案をしながらそれでも、ひらひらと舞い続けています。



 「お姉さん方が踊ると、綺麗にしっくりおさまりはんのに、
 なんでうちだけ出来へんのやろ。
 うちは、やっぱり、不器用やな・・・」



 不満そうな顔のまま、手にした舞扇は、
さらにひらひらと、行く場所を見失った蝶々のように舞い渋っていました。
(うん、たしかに春ちゃんは、どちらかといえば、不器用かもしれないな・・・)
その時でした。



「あら~、こちらはんが半玉ちゃんの、いけずの兄さんどすかぁ?」




 突然背後から、祇園なまりで語り掛けられました。
振り返るとそこには、お姉さん芸妓にあたる小春姐さんがにこやかに立っていました。
軽く会釈をされてしまいましたが、この人すこぶるの美人です。
薄い化粧と紅だけをひいていますが、その口元が実にドキリとするほど妖艶です。
見つめられただけで背筋が震えるほど、目元の涼しさと優しさが印象的な女性です。



 「おおきに。
 春玉がいつもお世話になってはりますぇ。
 よろしおしたなぁ~、お兄さんに美人に書いてもろうて。
 ええ絵でおすなぁ、おはるちゃん。」




 すでに「おちょぼ」は、見つかった瞬間から固まっています。
まるで、悪戯を見つけられた子猫のようです。
小春お姉さんが腰を低くして、私の耳元で、そっとささやきをはじめました。




 「こん子は、変った子ですから、扱いぶりに、ほんま大変どす。
 中学の修学旅行で来いはったときに、祇園で私を見立てから、
 自分も舞妓になりはると決めたそうです。
 すぐにでもなりたいといいはって、ずいぶんと駄々もこねはりました。
 そらあかん、物事には順序というものがありまして
 ちゃんと学校を終わってから改めてお越しやすうと、お願しをしました。
 はい、わかりましたと、気持ちよく返事をしましたので、
 やれやれと安堵をしておりましたら、
 2月の半ばに、前触れもなしに、またこの子が突然あらわれました。
 この子には、2度も3度もびっくりさせっぱなしどす・・・・」




 小春姉さんがにこりと笑って、流し目で春玉を振り返っています



 「中学校を卒業しはる、その直前のことどす。
 うちの写真を一枚だけ持って、祇園の検番にかけこんだそうどす。
 どないしても、とにかくこの人に会いたいと言って、検番で大騒ぎをしはるんどせ。
 びっくりして、屋形のおかあはんと二人で、とにかく検番へ飛んで行きました。
 お預かりをするにしても、今後のことなどもありますので
 親ごさんの承諾やら、手続きやらが仰山にありますので、
 後日また、あらためて親御さんらとお越しくださいと、なだめて、
 またその日は帰しました。
 またやれやれと気を緩めていたら、
 もう、次の日には、今度はお母さんと二人で屋形まで
 また、やってきはりました。」



 「おちょぼ」が顔を真っ赤にしたまま、俯いてイヤイヤをしています。




 「はぁて、ほんまに困りはてました。
 屋形のおかあはんが、祇園というものは行儀作法も、さらには格式も高すぎて
 現代っ子ではなかなか耐えられまへんと何度も、何度も説明をしました。
 しかし、こん子は途方もなく頑固者です。
 先方のおかあさんも、もうこの子は何が有っても舞妓になると
 小春姐さんのような、綺麗な芸子になりたいと、
 何を言っても聞かないので、もう私も万策尽きました、と、
 おかあさんまで、途方に暮れて泣く始末です。
 しまいには、貴方のせいでこの子が舞妓になりたいといいはじめたのだから
 その責任を取ってくださいなどと、お母さんさんからも責められてしまいました。
 もうそうなると、うちも、屋形のお母さんも、まったくもってのお手上げです。
 結局、あたしが責任を持って、大事なお嬢さんをお預かりすることになりました。
 ところが、こん子は、どこまでいってもやんちゃです。
 おちょぼのうちから、勝手にあたしの名前から一文字をとって、
 最初から、「春玉」と名のるんどす。
 おかあはんも、こん子は今時、珍しい子だからと、今では大のお気に入りどす。
 ほんなわけで、あたしとおかあはんの「箱入り」さかい、
 あんじょうお願いたします。」



 それだけ言うと小春姐さんが、「おちょぼ」を手招きします。
私からは見えないように背中を向けて、なにやら小声でささやいています。



 「ほなら、気いつけなあきまへんえ、おはるちゃん。
 そしたら、あんじょうお願いしはります」




 小春姉さんはあらためて、にっこりとこちらへ微笑むと、
くるりと背をむけ、風に揺れている柳の葉をひとつずつくぐり抜けながら
ひとつ先の路地へ、颯爽と消えてしまいました。
火照った顔のまま小春姐さんを見送っていた「おちょぼ」が、
元気になった笑顔で振り返ります。



 「たった今、小春お姐さんからは、お許しをいただきました。
 お母はんには、あと一時間ほどお稽古でかかりますからと、言ってくれはります。
 どこかその辺で、甘いものでも食べながらお絵描きをつづけなさいと
 いわはりました。行きましょ・・・・
 ねぇ、ねぇ、ねぇったら」


 なるほど・・・・祇園も花街も、たいへんに粋が似合う町です。
わたしも、実に粋な小春姉さんのファンになってしまいそうです・・・・





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