落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ桐生 (41) 維新の道と高瀬川 (1)

2012-06-14 09:11:57 | 現代小説
アイラブ桐生・第4部
(41)第1章 維新の道と高瀬川 (1)



(京都タワー)


 ・はじめに・


 第4部は、この旅の最終目的地、京都編です。
もともと、京都へ来ることがこの旅の本来の目標でした。
昔から西陣織りや京友禅と呼ばれる、雅な染色の世界にあこがれていました。
たまたまの行きがかりで、沖縄を経由する結果となりました。
さて、いよいよ念願の京都の地に到着なのですが、私の夢はかなうのでしょうか。
物語は、京都タワーと高瀬川が流れる界隈から始まります・・・・





 橋本さんの運転する10トントラックは
神戸の西宮から乗った名神高速道路を、京都の手前でわざわざ降りてくれました。
遠回りになるというのに、本人は一向に気にしない様子で京都タワーのすぐ近くまで
狭い京都の街中を走り抜けてくれました。



 京都タワーは、京都駅烏丸中央口前にドンとそびえています。
台座のタワービルも含めると131メートルの高さを誇り、市内では最も高い建造物です。
その姿は、市内を埋め尽くしている町屋の瓦屋根を波に見たてて、京都の街を照らす
灯台のイメージを形にしたと言われています。



 「実際のところ、俺も真近で見るのは初めてだ~」


 トラックを降りる間際に、いろいろとお世話になったので
多少ですが、旅費代わりの謝礼を申し出ました。



 「おい相棒、水臭いことを言うんじゃねぇ。
 はした金なら要らないから、そこの自動販売機でハイライトを2個だけ買ってくれ。
 ちょうど煙草が切れたところだ。
 余計には買うんじゃねぇぞ、荷物になるからな。
 2つだ、2個あればいい
 それが俺と岡部の分になる、ありがとうな、サンキューだ。」



 2個だけ買った煙草を手渡すと、橋本さんが目を最大限に細くして喜んでくれました。
お互いに実家の電話番号を書いたメモを交換すると、再会を約束して、
やがて別れの時間になりました。



 「また呑もうぜ、相棒!。この先もいい旅をしろよっ。」



 助手席の窓から身を乗り出して、そう言い残した橋本さんは
この先のパーキングエリアで待っている岡部くんのトラックと落ち合うために、
10トントラックの巨体をゆすりながら、静かな発進を始めました。
優しい性格をそのまま象徴するかのような、静かな運転ぶりで橋本さんの
10トントラックが、私の視界から序々に遠ざかります。
また、一人になってしまいました・・・・



 急ぐ旅と言う訳でもないので、折角ですから、
京都タワーの展望台へとやらへ、登ってみることにしました。
京都の町に『はじめまして』のご挨拶をするのも、また一興だと考えたためです。




 展望台からは、市街はもちろんのこと、はるか大阪までが見えました。
足元にひろがる京都の街は、低い瓦屋根がどこまでも続いている、格子模様の街でした。
所々に光っている高い屋根瓦は、深い緑に囲まれた寺院のようです。
「東寺の塔よりも高いものは立てない」ことを、長年の不文律としてきた京都の景観は
まさしくに、極端な出っ張りを見せない、平たんすぎる町並でした。
どこかに太古からの歴史の香りも秘めていて、眠っている時間の長ささえも
なんとなく感じさせるような、そんな趣も何処かにありました・・・・



 景観を堪能してからタワービルへ降りてみると
地下の3階に、朝7時から営業している公衆浴場が有ることを発見しました。
そういえば、ひさびさのお風呂です。
トラックの旅では好き勝手に休息はとれますが、その反面、風呂には日常的に苦労します。
トラックが大きすぎるために、普通の公衆浴場には駐車ができません。
結局は、特定のドライブインや簡易仮眠所のシャワーなどで代用をするようです。
希有な出会いとばかり、有無をいわさず風呂へ飛び込みました。




 手足を伸ばして風呂に漬かりながら、ここから思案の時間がはじまりました。
思いがけずの沖縄訪問で、一年以上も時を過ごしてしまった結果、
当初からの目標であった京友禅の世界へは、随分と遅れての到着になりました。



 とりあえず考えをうち切って、湯船で思い切り体を伸ばしました。
「日本人に生まれて良かった」とつくずく実感をするのがこの一瞬です。
ふと思いついたのは、森鴎外の「高瀬舟」でした。
鴨川から流水を引きこんで、木屋町や先斗町を流れたあと、大阪まで続いている運河です。
その森鴎外の小説の舞台となったのが、この付近を流れている高瀬川です。
そのあたりの散策もいいだろうと考えて、目星をつけるために、
市内の地図を覗きこんで、その地名表示に驚ろいてしまいました。




 京都市中京区烏丸夷川上ル・・・下ル
東入ル、西入ル・・・
なんだ、一体これは・・・京都の地図には、番地が書いてありません。



 この地に来て初めて知った、京都特有の地名表示の洗礼でした。
碁盤の目のように整然とした縦横の通りをもつ、京都ならではの地名表記方法です。
京都府庁の正式な住所は、本来ならば『上京区藪之内町』なのですが、
地図上では、上京区下売通新町西入る、と記入されています。


 よそ者には、これではまったく理解できません。
ところがこの表記法に慣れてくると、地図がわりにもなる便利な住所表記に変わります。
表記がそのまま、地図の読み方に変わります。
建物が面している通りの名前と、最寄りの交差点からの位置関係を、
すべて上ル、下ル、東入ル、西入ルと表記をしているのです。
この後になってから、京都の地名を覚えるためのわらべ歌も教わりました。




 「まるたけえびすにおしおいけ・・・」



 北から順に、主な京都の通りは並んでします。
まるは、丸太通り、たけ・竹屋町通り、えびす・夷川通り
に・二条通り、おし・押小路通り、おいけ・御池通り・・・
という順序で南北に並んでいます。
なお、下ルという表記は縁起が悪いということで、
わざわざ、下の通りの地名を用いて、上ルと書くこともあるようです。
それでも郵便物が普通に届くというのですから、それほど京都の市内では、
ごく当たり前の表示なのかもしれません。



 京都の代名詞のように言われている加茂川は、
京都の市街地の東半分を、ゆるりと北から南へ流れていきます。
二条大橋の西岸から取り込まれた水の流れは、
高瀬舟でも有名な高瀬川と名前を変えて、木屋町通りに沿って加茂川と平行に流れています。
この木屋町通りはまた、明治期に日本最初の電車が走ったことでも知られています。
さらには、近世の歴史の転換期である、幕末と明治維新の時代を
見つめてきたことでも、きわめて有名な通りです。



 京都ホテルとなった地には、かつては、長州の藩邸がありました。
三条と四条の間には、土佐の藩邸もあり、明治維新を戦いぬいた志士たちが、
たむろしていた旅館や料理屋などが数多くあった通りです。



 かたや京都の西半分には、二条城や御所があり、
幕府方の縄張りとして公認の島原の遊郭などもあり、新撰組や
幕府方などの遊興の地になっています。
京都は、勤王と佐幕を担う双方が、左右に陣取って幕末から維新の時代に、
日本の行く末をめぐって、日夜にわたって生死をかけて争った町です。



 静かなたたずまいを見せる高瀬川の川筋は、坂本竜馬や中岡慎太郎、桂小五郎たちが歩き、
それを追う近藤勇や沖田総司たちが駆け抜けたという歴史の道にもあたります。
そんな昔に想いを馳せながら、不思議な気持ちのまま、
四条から高瀬川をさかのぼりはじめました。


 そして、ちょうどこのあたり、加茂川と高瀬川にはさまれている界隈が
舞妓さんや芸子さんで有名な、花街のひとつ先斗町です。
この界隈の一帯が、後になってスケッチブックを片手に日々を過ごす
私のホームグランドになりました・・・・




 京都に滞在中に、染色の師匠といえた、
京友禅のお千代さんとの出会いを生んでくれたのも、またこの高瀬川の川べりです。
しかし今の時点では、私はただ、やっとの想いで京都に辿りついただけの、
沖縄からのひとりの「漂流者」にしかすぎません。



(舟溜りのある、高瀬川の様子)