落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ桐生 (49) 「おちょぼ」と恋の行方(3)その2

2012-06-24 10:35:11 | 現代小説

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アイラブ桐生
(49)第3章 「おちょぼ」と恋の行方(3)その2




 山荘美術館は、実業家の加賀正太郎氏が
大正から昭和の初期にかけて建てた、西洋風の別荘です。



 館内では、優しい光を透かしだす壁面の大理石やシャンデリア、
明るいテラスなどの優雅なしつらえを、今でも建てた当時そのままに見ることができます。
暖炉や随所で見かける大理石のランプなども、当時のままの輝きを保っています。
黒光りをしている階段の手すりひとつにも、建てた加賀氏の愛着が感じられました。


 館内に入って間もなく、回廊のその先には、モネの”水蓮”が展示されていました。
水蓮ばかりをまとめて見せるための、特別鑑賞用の部屋です。
「おちょぼ」がモネの絵の前で、吸い寄せられるように、ぴたりと立ち停まりました。
汗を拭くためのハンカチを持った手が徐々に止まり、やがてハンカチを強く握りしめたまま、、
胸の前で抱き寄せられて、しっかりと交差をしました。
傍目から見ていると、『おちょぼ」の呼吸さえ止まっているかのように見えます。
短い吐息をついた「おちょぼ」が数歩下がり、画を見つめた視線のまま
脚に触れたイスへ、静かに腰をおろしました。




 さきほどまで全身で野外を跳ねまわり、無邪気なおてんばぶりを見せたな6歳が、
一転して、息をひそめ、ひたすら睡蓮を見つめはじめました。
腰を下ろした「おちょぼ)には、まったく動く気配がありません。
絵のもつ意味と雰囲気を、自分の五感と全身で、必死に受け止めようとしています。
ほほえましくも見えるそんな光景を、私は少しだけ離れて、
いつまでも見守ることにしました。




 「おちょぼ」が、静かに動き始めました。



 被っていた大きな帽子取ると、その下でしっかりと束ねられていた長い髪を、
頭をゆるやかに右と左に振りながら、ふわりと自由に解き放ちはじめました。
外された帽子は、ハンカチと共に自分の胸に抱えこまれました。
潰れるかと思うほどの力が込められて、握りしめています。
それでも「おちょぼ」の真剣な眼差しは、睡蓮を見つめたまま、まったく動きません。
絵と会話をしょうと言う、「おちょぼ」の熱意が、こちらまで届いてきました・・・・
(この子には、絵を理解しようとする衝動が有る。
優れた感性の持ち主は、優れた作品に対しては、常に本能的に反応をすると良く言うが、
この子にも、充分なほどの『それ』があるようだ・・・・)





 「・・・・すっかりと、道草をしてしまいました!」




 右腕にぶら下がった「おちょぼ」は、まだ息をきらしていました。
(すっかり睡蓮で、興奮などをしてしまいました・・)と、あどけない笑顔を見せています。
二人が、本来の天王山のハイキングコースへ戻ったのは、睡蓮の間から、
1時間あまりも経過した後のことでした。


 「ずいぶんと、熱心にみていたね。」


 「なぜか、故郷の蓮池のことなどを思い出しておりました。
 田舎でもあんな風に、やっぱり綺麗に咲いていました。
 たいへんに、懐かしい風景です。」




 今日は『おちょぼ』から、祇園の言葉は出てきません・・・
やはり今日の「おちょぼ」は16歳のどこにでもいるような、ただの少女のようです。
右腕にぶら下がった『おちょぼ』は、片時も私から離れようとはしません。
意外なほど人の姿の少ない登山道の様子が、『おちょぼ』の行動を、さらに大胆にさせました。
ふいに右手を離した『おちょぼ』が、私の腰へその手をまわしてきました。
驚いて『おちょぼ)を見つめると、そこには照れくさそうで、
かつ悪戯そうな目が待っていました。



 「どなたもおへん。ええでしょう?」



 山荘美術館を、ぐるりと半周するように回り込んで登っていくと、
宝積寺側から来たもうひとつの登山道と合流をします。
そのままさらに坂道を先へ進んでいくと、やがて青木葉谷の広場へ出ます。
ここからは眺望が一気に開けていて、八幡市や枚方市をはじめ、
さらにその先には、遠く生駒の山々までも鮮明に見てとることができました。



 この広場の先へも、綺麗に整備された登山道が伸びています。
まもなく山崎合戦の碑が見えてきました。
そこにあった旗立展望台から覗きこむと、見渡す限りの京都の町並みが、
すべて一望のもとに、私たちの足元から大パノラマとしてのひろがりを見せてくれました。
たしかに此処は、お千代さんが言っていた通りに、
「おちょぼ」が、ミニスカートでも歩ける山道です。




 さらに頂上へ向かって、山道を進むにつれ、
周囲には、良く整備された竹林が現われてきました。
嵯峨野に良く似た雰囲気を持ち、天王山のもうひとつの「顔」としても名高い竹林です。
しかし嵯峨野のような人々の賑わいは、ここにはありません。
山道を行きかう人が、あまりにも少ないことにも、ここでも驚きました。
ここまで歩いてきた道のりで、行き会ったのは、おおくても5~6組のハイカー達だけです。
竹林の中を歩く人影のすくない登山道は、さらに奥へ向かって
細く曲がりくねりながら伸びていきます。
ひと組のハイカ―をやり過ごした「おちょぼ」が、
「ええですかぁ」と、クスリと笑ってから、また私の右腕にぶら下がってきました。



 歩き始めてから一時間あまりで、天王山の頂きへ着きました。
山頂広場と頂きを示す標識と、それを示す看板がありましたが、木々が
大きく茂りすぎているために、ここからは、まったく下界を眺望することができません。
しかし天王山ハイキングコースの本当の美しさは、実はこの先に待っています。
尾根伝いに小倉神社へ向かうその下り道で、美しさに満ちた竹林が
私たちの到着を、待っていてくれました。
あらためて私たちの目の前に現れた、大きな竹林の様子は、
今度こそ、まちがいなく嵯峨野そのもの景色でした。




 風が通りぬけるたびに、さやさやと竹の葉がささやきます。
木漏れ日が、あくまでも柔らかく、静かに足元の地面できらめいていました。
「おちょぼ」が、大きな帽子を脱いで、長い髪をなびかせながら楽しそうに歩き始めました。
見ている目の前で、最高級の笑顔を見せた「おちょぼ」が、
これ以上はないだろうというほど身体を翻すと、しなやかに、見事に、
くるりと一回転を見って見せました。
(竹林の・・・・妖精だ。)


 しなやかすぎる『おちょぼ』の身のこなしは、その先も続いていきました。
それはまるで竹林の中で楽しく踊っているミニスカートの妖精、そのものにも見えました。








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