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アイラブ桐生 第4部
(44)第2章 お千代さんと友禅染(1)
(加茂川・三条大橋付近)
蒸し暑い夏が通り過ぎると京都は、一気に観光の季節をむかえます。
修学旅行の動きもまたその波にのって上昇し、ホテルも最大の稼ぎ時を迎えます。
しかし驚いたことにこの時期になると、今までホールを担当してきたアルバイト学生たちが
一斉に仕事を辞めてしまいます。
いつものことさ・・・大丈夫だよ。と、マネージャーは平然と笑っています。
「この時期定例の、秋の総入れ替えだよ。
今までいた連中は、忙しくなるこの時期を避けて、
また冬になると戻ってくるのさ。
4年間もそれを、延々と繰り返しているつわものの学生さんもいるよ。
なあに、心配などにはおよびません
あふれるほどの、新規の学生バイトたちが
明日から、わんさかと押しかけてきますから・・・」
なるほど、まかないのおばさんが言っていた通りでした。
この日から連日、求人広告を見た学生たちが続々とホテルへ面接にやってきました。
実は、忙しくなるこの時期になると、ホテル側も通常の2割増しの時給で
学生たちを優遇するのです。確かに群がってくるはずです。
人事課から、呼びだされました。
用件はふたつです。
ひとつは時給のアップで、あとは主任手当も支給されることになったそうです。
ついでに3階に一部屋があいたので、そこを個室として使えとして当てがわれました。
この間までの待遇から見れば、まったくもって破格といえる処遇です。
別に仕事ぶりを、ホテル側に評価されたわけではありません。
これには裏がありました。つい先日のことです。
マネージャーとフロント係の女の子が、ラブホテルと思われる場所から、
(日中だと言うのに)連れだって出てくるところへ、偶然にも遭遇をしてしまいました。
いつもの木屋町通りから、一本だけ裏路地へ入った通りです。
フロントの女の子は顔をそむけてしまいましたが、マネージャーの驚いた顔とは
ま正面から、ものの見事に鉢合わせをしてしまいました。
誤魔化し様がありませんので、こちらもおもわず会釈をしてしまいました。
あとはご想像の通りです・・・
部屋を引っ越して、のんびり過ごせる環境になったとたんに、
夏が過ぎ去り、修学旅行が押しかけてくるホテルの「掻き入れ時期」に入りました。
本館とともにすぐ近くにある西館まで使って、連日の満員御礼が続くようになりました。
大広間や宴会場にも、『いざという時のために』大量の布団が準備されるようになりました。
いったい日本には、どのくらいの修学旅行生がいるのでしょう、
そのすべてが、否が応でも京都に集まってくる勢いです・・・・
相変わらずのスケッチ行脚の合間に、
お千代さんのところにも、顔をだすようになりました。
初めて訪ねた時には、たしかに煩雑すぎる道筋でした。
碁盤の目のように整理された京都の路地裏が、こんなに煩雑だとは思いもよりません。
ようやく辿りついた路地の奥に、お千代さんのその『工房』はありました。
裏の障子を開けみると驚いたことにその先はもう、悠然と流れる加茂川の河原です。
「おや、よく来たね、迷わずに来られたかい?
遠慮しないで上がっておくれ、
明治生まれの古い家だけど。」
手入れがしっかりと行き届いている、古い日本家屋です。
中廊下は黒々と磨き込まれていて、木目が日差しに気持ちよく輝いていました。
柱は充分すぎるほどの太さがあり、細かい模様が丁寧に刻みこまれている欄間は、
建てた当時の職人さんの心意気を実に、雄弁に語っています。
案内されたお千代さんのアトリエは、
どこにでもあるような、普通の和室の8畳間です。
中央に、大きな作業台が置いてあり、その上には染料の入った小皿が10個ほど、
使用中の筆とともに綺麗に並んでいます。
それ以外に、机の上にはなにひとつ余計なものは見あたりません。
座っていたと思われる座布団の膝のわきに、書き込み中のような友禅染めが見えました。
友禅染の大きさも、やっと風呂敷の半分くらいです。
「意外かい?
大きいものばかりじゃなくて、小物用も仕立てるんだよ。
ひとつだけ絵柄を足すこともあれば、全部を書き換えることもある。
そん時によって、仕事の中身はいろいろさ」
もちろん友禅の着物も仕上げていますが、呉服屋さんのように、
お店を持っているわけではありません。
京友禅の着物作りには、二つの系統がありました。
ひとつは「仕入れ」といって、主に問屋へ納める着物地などを仕上げます。
これらは最終的に、有名デパートや呉服店などでは、
何十万から数百万円でならぶ製品たちのことをさしています。
もうひとつが、「誂え」といわれています。
直接お客さんと顔を合わせて、注文された品物たちを仕上げる仕事です。
ほかにも、古くなったものの『染め替え』や、好みに応じた『柄足し』などがあり、
着物に新しい命を吹き込むためのお手伝いなどもあります。
今回のような、和装の小物用の仕事などもそのひとつの例のようです。
いろいろと説明を聴いている最中に、
開け放した障子の向こう側に、釣竿を担いだ人影が立ち止まりました。
浅黒い顔にちょび髭を伸ばして、浅葱色の作務衣を着ています。
麦わら帽子をちょこんと持ち上げました。
「ん、客人か? 。すこし河原を歩いてくる」
そう声をかけたきりで、そのまま返事も待たず立ち去っていきます。
ご主人で、金箔師の源平さんでした。
「釣りに行くのはいつもの日常です。
時には、そのまま河原町のお茶屋さんまで行ってしまいます。
夜中に平然と釣竿を担いで帰ってくる困った酔っ払いです。
もう、慣れっこですけどね。」
うちの亭主ですと紹介をしてから、笑ってそう付け足しています。
なるほど、ご亭主もなかなか楽しそうで、風流なお人のようです。
午後の3時過ぎてから、ホテルの本館へ戻りました。
正面入口から入ってフロントを横切った時、「主任さん、ちょっと」と、
呼び止められてしまいました。
この時間の前後がホテルでは、もっとも人が不在となる時間帯です。
すっと傍に寄ってきたのは、(マネージャーと)不倫関係のフロントの女の子です。
香水の甘い匂いも一緒になって近寄ってきました。
「ちょっと」と言って袖をひかれ、ロビーの片隅に引っぱり込まれました。
「相談したいことがありますので、
三条京阪駅裏の『串焼き屋』さんまでお願いできますか。
知っての通り、私とマネージャーの一件です。
9時過ぎで申し訳ないけど、都合をつけて来てくださる?
マネージャーからも、是非にといわれています」
「串焼き屋」は、ホテルからは、ひと駅先にある呑み屋さんです。
大人数が座れるカウンター席のほかに、奥まったところには小部屋が作られています。
しかしその小部屋の様子が、一風変わった作りです。
表から連れだって小部屋に入ったお客さんが、会計が済むと
そのまま裏口から帰れるようになっています。
内緒の待ち合わせや、密談などでも使えそうな雰囲気があります。
実際に裏口から小部屋に入る水商売風のお姉さんたちも、何度もそこで見かけました。
そこでの相談ごとになります・・・込み入った話になると厄介だなとは思いましたが、
とりあえず行くということで、その場で承諾をしました。
フロントの女の子(悦子さん)は最近、北陸から出てきたばかりです。
明るい笑顔とは裏腹に、実は離婚していたばかりだという噂で、ホテル内はもちきりでした。
口うるさい(人生経験が豊富な)賄いさんや仲居さんたちの間では、
美貌への嫉妬も含めて、早くもそんな風に日ごろから勘ぐられていました。
約束の時間を見計らいながら、電車を使わずに一駅分を歩きました。
「串焼き屋」の縄暖簾をくぐったのは、夜の8時半を少し回ったばかりです。
入るとすぐ、目につきやすいカウンター席に悦子さんの姿が有りました。
ほほ笑んでくれたその目は、次の瞬間にはもう奥の小部屋を促しました。
約束の時間のだいぶ前なのに、(マネージャーは)もう来ているんだ・・・・
奥の小部屋を開けると、マネージャーはもうビールを片手に呑み始めていました。
「悪いね、わざわざ呼びつけて。とりあえず、一杯いこうか」
なみなみと注がれたビールを飲み終わらないうちに、悦子さんも入ってきました。
後ろ手に、しっかりと隙間を確認をしながら障子を閉めきりました。
マネージャーのとなりに正座をした悦子さんが、二杯目となるビールを注いでくれます。
「君の口が固いことに、俺たちはおおいに感謝をしている。
だが、事態はもっと深刻になった。」
そう言うと今度はマネージャーが、3杯目のビールを注いでくれました。
「そこで・・・・俺もこいつもようやく、お互いの腹を決めた。
ものは相談というのは、実はその件だ」
マネージャーのたじろがないまっすぐの目が、真正面からやってきました。
正座をしていた悦子さんも、瞳を閉じてからいっそう背筋をのばします。
「考えた末のことだ。
こうなった以上、俺はホテルの仕事も、家族も捨てる。
こいつと二人で、駆け落ちをする。
出来る事なら、こいつと二人で、もう一度人生をやり直してみたい。
そのくらい、こいつを一目見た瞬間から、俺はこいつに惚れちまった。
簡単に許されないことくらいは俺も充分に承知をしている。
充分とは言わないが、今まで貯わえててきたものはすべて家族のために置いていく。
それがせめてもの、今の俺にできる罪滅ぼしだ。
この身ひとつでの、無一文での裸の再出発をする、
それでもいいからと、こいつも承知をしてくれた。
俺には過ぎた女だと改めて思うくらい、俺はもうこいつにぞっこんだ。
落ちのびる先を、東日本の関東あたりと決めた。
誰も知り合いの居ない、新しい土地で、こいつと再出発をするつもりだ。
そこで、おりいって、君に相談したい。
温泉地が多い、群馬方面の伝手(つて)がほしい。
だれか紹介をしてくれる、適当な人を知らないか。」
単刀直入に、マネージャーから切り込まれてしまいました。
ある程度は想定はしていたものの、これははるかに私の想定を超えていました。
修学旅行生相手のホテルとはいえ、本館と西館を合わせれば100人以上の従業員がいます。
マネージャーといえば、その最頂点に立つひとりです。
当然、妻子持ちで二人のお嬢さんがいるとも、聞いていました。
またマネージャーと悦子さんとでは、一回り以上も年齢が違います。
しかし今夜のマネージャーは、きわめての真顔です。
大人と言うものは、こんな風に火が点いて、時として、
突然として道ならぬ生き方への暴走を始めることもあるのでしょうか・・・・
それが何であるのかは、私には察することはできません。
ただ、家庭を捨てると言い切るマネージャからも、
それを黙ったまま熱く見守っている悦子さんからも、ただならぬ決意ぶりだけは、
此処へ着いた瞬間から、なぜかひしひしと感じていました。
手にしたコップをテーブルへ置くこともできず、
まとまらない考えだけが、頭のなかで忙しく掛け巡りました。
しかし、いくら考えても何も答えが見つからず、ただただ、
真っ白になるばかりでした・・・・
(加茂川の夏の風物詩・川床の様子です)