落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ桐生 (54) 「放浪の果てに」(1)その2

2012-06-30 10:15:12 | 現代小説
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アイラブ桐生 第4部
(54)最終章 「放浪の果てに」(1)その2






 春玉と出かけるときの大きな帽子は、すっかりと必需品になりました。
小春姐さんも愛用したと言う、いわれの深い魔法の帽子です。
舞妓の肌を日焼けから守り、顔かくして人目も忍び、そのうえ涙も隠してくれました。
舞妓の日本髪「われしのぶ」も、らくらくと覆ってくれます。



 舞妓の期間中は、自分の髪で日本髪を結います。
出たての頃が「われしのぶ」という髪型です。
1~2年もすると「おふく」に変わり、少しふっくりとした日本髪になります。
髪を切り鬘(かつら)が使えるようになるのは、舞妓を卒業して
無事に芸妓になってからのことです。



 この頃は春玉とでかけるたびに、
いつでも大きなツバを持った、この魔法の帽子がついて回ります。





 「板前はんになるんどすか」



 今日は久し振りに、鞍馬の山中にある川床へ向かっています。
加茂川に造られている川床は見た目には、たいへんに優雅そのものですが、
舞妓にはすこぶる過酷な環境になります。
地毛で結った日本髪は一週間ちかくも洗えません。
そのうえ白粉を用いたお化粧と着飾った着物姿では暑すぎて、
とても一時間どころか30分ですら、川床の暑さに我慢ができません。
祇園で、舞妓を加茂川の川床に誘う野暮だけはいけませんと、
『ここだけの話どす。内緒どす・・・』と、春玉がにこやかに笑っています。



 山合いの鞍馬は市内より5度近くも涼しく、水面も手を出せば届くほどに真近です。
この夏のデートは、ほとんどがこの鞍馬の山中で過ごしました。
川床の女将さんとも、すっかり顔なじみです。
それとなく、人目を引かない場所に席をつくってくれるようになりました。
長年ここで仕事をしていると、普段の顔を造られて花街のお方がお見えになられても、
どことなく、白粉の匂いなどで、それとなく解りますと、優しく笑っています。
東男に京女は似合いどす、あんじょういくとよろしおす・・・・
と、お茶だけを出して、早々に下がっていきます。




 おちよぼは、どうするのと聞くと
「おちょぼは、一生芸妓どす」と、迷いもなく即座に答えます。



 「好きな人が出来ても、一生、おちょぼは芸妓で過ごすの?」

 「・・・・・」



 じっと涼しい目のままのおちょぼに、真正面から見つめられてしまいました。
沈黙したまま伏せられたおちょぼの目が、私の顔を離れます。
足元を流れる清らかな水面に移り、淵を渦巻いて流れていく様を静かに目で追っています。
しばらくするとその目が、対岸へ移ります。
すっかりと言葉を封印してしまったおちょぼは、私が気がついたときには、
もうはるかに彼方の、遠い景色などを見はじめていました。
鞍馬の山は、午後の早い時間から、夕暮れを呼ぶセミたちが鳴きはじめます。
盛夏もとうに過ぎているために、この時期になると山合いには
人の姿もまばらになりはじめます。



 おちょぼが私に向かって、「静かに」と、唇に指を一本立てました。
何かを見つけたばかりのその視線が、無言のまま、私を眼を川下の彼方へ案内をします。
川下の濃い緑の水辺に、ひと組の男女が見えました。
背広姿の青年に寄り添う、短い髪にすらりとした女性の洋服姿が見えました。
女性が誰かに呼ばれたような素ぶりで、くるりとこちらを振り返ります。
遠くに見えたその横顔には、明らかに見覚えが有りました。
おちょぼが、静かに頷きます。


 えっ、小春姉さん・・・・
その横顔が、さらにこちらを振り返ります。
緑の木陰に隠れているために、座敷の私たちは見えていないような気もしましたが、
こちらを向いた小春さんと、なぜか、目線が合ったような気がしました。




 次の瞬間、そのまま小春さんが、くるりと背中を見せました。
水辺をまた、何事もなかったかのように、男性の背中へ手を置いて再び歩き始めます。
水辺を歩いて、小さな橋を一つ渡り、やがて小春さんの姿が対岸へ消え始めます。
おちょぼは、黙ったままその後ろ姿を見送り続けています。

 一度だけ木蔭に消えた人影が、もうすこし先の水辺にもう一度現れました。
今度は小春さんが、男性の腰にしっかりと手をまわしています。
和やかに何かを語り合いながら、仲の良い男女が水辺を楽しく散策をしている・・・・
まさにそんな光景、そのものでした。



(小春姉さんにも、そんな人が、居たんだぁ・・・)


 なぜか安心をして、おちょぼへ視線を戻そうとした、まさにその瞬間の出来事です。
再び水辺から二人の姿が木蔭に消える寸前に、その仕草は始まりました。
小春姉さんが空いている左手を、連れの男性には気づかれないように用心をしながら、
2度、3度と軽く振り、さらに、これ見よがしに指先で、V字のサインなどを、
嬉しそうに作りました!。


 やっぱり・・・・すべてを、しっかりと見られてしまいました。