落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ桐生 (51) 千両役者の夜(1)

2012-06-26 09:56:35 | 現代小説
にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ
にほんブログ村

アイラブ桐生
(51)第4章 千両役者の夜(1)




 祇園へ遊びにやって来たお客さんたちに、遊ぶ場所を提供する「貸し座敷」の
役割を果たしている場が、お茶屋です。

 お客の求めに応じてお酒を提供し、屋形(置屋)から芸妓や舞妓たちを呼びます。
仕出し屋から希望に応じた料理をとり、一夜の宴をサポートするための、
さまざまな手配などをこなします。
ここでの支払いは、すべて「ツケ」というのが基本です。
有名な「一見さんお断り」というしきたりは、馴染み客を大切にしている義理固さと、
その信頼関係を大切にしてきたことの、長年にわたる証です。




 屋形とは、芸妓と舞妓が所属をするプロダクションです。
芸妓を志す少女はここで「おかあさん」と呼ばれる経営者と寝食をともにしながら
言葉や立ち振る舞いなどをはじめとする、花街での基本的な躾(しつけ)を身につけます。
また舞いをはじめ、その他の広範囲にわたる芸事などを習得します。


 舞妓としてデビューしたあとも、
一人前の芸妓になるまでは、屋形での生活がつづきます。
ちなみにお茶屋の女将も、芸妓や舞妓たちからは「おかあさん」と呼ばれています。
親子のようなこうした関係が、花街の女性たちをやさしく厳しく包み込みます。
ひとりの少女が一人前の芸妓として磨きあがるまで、祇園ではこうした人間関係が
連綿と長い時間をかけて、続いていくのです。




 この年の、舞妓のデビューは、「春玉」の一人きりです。
それも、祇園では数年ぶりと言う快挙です。
あちこちにあるお茶屋の女将さんや、馴染のお客さん達に、ひと通りの挨拶がすむと
もう「おちょぼ」も、立派な「舞妓はん」として扱われはじめます。
ましてや、久し振りの舞妓の誕生とあって、祇園の町では、ちょっとした
時の人として「おちょぼ』には、連日の声がかかります。
小春お姉さんについて回っていた春玉も、ようやく一本立ちとなり
指名されての主役の席も、徐々に増えてきました。



 同級生の女将さんがやっている「小桃」へ春玉を呼び、
身内だけの「内祝いの宴」を開くことを、お千代さんが準備しました。
宴に呼ばれているのは、一人娘とその交際相手の青年です。
どのようにして説得をしたのかは解りませんが、源平さんも同席を承知したようです。




 「ひと月あまりも、あたしが手塩にかけた手料理を食べさせたんどす。
 そろそろ、年貢の納め時だと、当の本人も覚悟をきめたようです。
 オヤジの我がままを言い過ぎて、引っ込みがつかないだけの立ち場です。
 なんとか縁談もまとまりそうですので、ぼうやも忘れずに顔をだしてくださいね。
 あんたの場合は、内祝いに付き合うと言うよりは、
 本当は、会ってみたいでしょう?
 舞妓になって、一人前になった晴れ姿の、
 あんたの、半玉ちゃんにも 」




 お千代さんはそう言うと、悪戯っぽく目を細めて、楽しそうに笑っています。
忙しくなってきたために、最近は「おちょぼ」と合うことは有りません。
お千代さんのところへも月に1度くらいしか、顔を見せない状態になりました。
それほどにデビューしたばかりの、「出たて」の舞妓は祇園で
ひっぱりだこの評判になっています。
久し振りだという舞妓の誕生に、祇園の町は、数年ぶりに賑わっています。




 もうひとつの恋の行方も、佳境にさしかかりました。
お千代さんの一人娘のロマンスは、もう最後の詰めともいえる段階です。
お相手の青年は、秋田県の出身で、自動車部品関係で働く営業マンです。
一言で簡潔に言ってしまえば、まさに好青年の一人です。




 結婚を妨げている最大の理由は、彼が農家の一人息子であることです。
年老いた両親が田舎で農業を続けながら、彼の帰りを待っていることにありました。
お千代さんも、最初は猛烈に反対をしました。
やがては秋田で農業を継ぐと言う青年のその言葉に、不安を感じたからに他なりません。
しかし娘さんは、「其れでも良い」と、頑として折れません。
どこまでも彼に着いていきたいという、一途な娘の気持ちに、まずは
お千代さんのほうが折れてしまいます。
しかし源平さんは、交際相手の顔すらも見たくないと言って、
話も聞かず、最初から強烈に突っぱねました。
「俺は、絶対に賛成はしない」と宣言をして、やがて際限もなく、駄々をこねはじめました。



 どちらも一人っ子という者同士が、結婚を熱望した場合、多くのケースが
決着まで難産をするというのが、常に一般的です。
行く末を決める時にも、本人たちの意思や希望よりも、お互いの家族や両親の
老後の世話や面倒ををどうするかで、きわめて複雑な配慮が必要となってしまいます。
それゆえに、明快な決断が出しにくくなるという、やっかいな事態にたちいってしまいます。




 「しかし、もうこの二人は、何が有っても、後戻りをしない」



 それだけの決意を、この二人の姿勢からはっきりと読み取ったお千代さんは、
母親として、今度は源平さんの説得に乗り出しました。
三度のご飯作りも、実は少しばかり面倒ですが・・・・といつも
愚痴のようにこぼしていたお千代さんが、何故かせっせと三度の食事を作り始めました。
一か月もの間にわたって、何処にも出かけずに、ひたすら源平さんのために、
その手料理を作り続けました。
これには当の源平さんもまた、口には出しませんが、何かを感じていたようです。
源平さんもこれ以降は釣りにも出かけず、こちらも部屋にこもって、
金箔貼りに精を出しはじめました。


 そしておちょぼ、いえ、・・・
「春玉」へのご祝儀も兼ねた、お茶屋さんでの「内祝い」の日がやってきました。




 祇園のある先斗町(ぽんとちょう)は、
三条と四条の間で、加茂川と木屋町通りの間に位置している花街です。
細い路に、飲食店がぎっしりと立ち並らんでいます。
夜になると打ち水にぬれた路地は、ネオンが美しく映える大人の街に変わります。
所々に、きわめて狭い路地が有ります。
観光客が入り込むのを防ぐために、どんずまりの路地には、
「通り抜けできません」という、表示が掲げられています。
石畳がしっとりと濡れてくるころには、夜の帳もおりてきて、花街は一層艶めきます。



 同級生のお茶屋さん・「小挑」は、その中ほどで、
どっしりと構える名の通った老舗です。
黒塀がぐるりと続いています。
見越しの松が懸かる入口には、盛り塩が置かれています。
格子戸の手前には、玉砂利の中に小さな植えこみが有り、と飛び石が
わざと不揃いに、かつ綺麗に並んでいます。




「おこしやす」



 玄関先で出迎えてくれたのは、女将のやわらかい笑顔と京ことばです。
エンジ色の地に、白い桃が染めねかれた暖簾が待っていました。
それをくぐり抜けると、奥へ向かって黒々と輝く廊下が見えました。
京の町屋は、間口の狭い様子からは想像ができないほど、奥に向かって深く連なっていく造りです。
皺一つない真っ白の障子と、良く手入れされた中庭の間を廊下がどこまでも続きます。
突き当たりの階段からは、宴席のある二階へ登れます。
手入れがほどよくどこまでも行き届いていて、小綺麗ばかりが際立っている空間です。
普段の生活の匂いなどは、まったく微塵も見えません。
京都のど真ん中だというのに喧騒は聞こえず、どこか異次元に入り込んできたという
気配が、どこまで行っても濃厚に漂っています。




 「お足元がくろうおす、お気をつけて」



 黒色の重厚な手すりを持つ階段を、登りおえます。
そこに現れたのは、畳が敷き詰められた廊下と、美しい赤壁の日本間の空間でした。
通された赤壁の12畳の部屋は、黒塗りの柱と梁が強いアクセントとなり、
きわめてモダンな和風といえる雰囲気が漂っていました。



 用意されいる配膳は、5つです。
横一列に綺麗に並んだその脇に、すでに若い二人の姿が有りました。
前髪をあげて明るい額をみせている笑顔のお嬢さんとは対照的に、
スーツ姿の青年は、膝をそろえたまま見るからに緊張をしてかたまっています。
源平さんと青年は、今日がまったくの初対面になります。
床の間を正面に見据える位置に、源平さんが無言のままに、まず座りました。
お千代さんと若い二人がその横に並びます。
私は、当然のこととして末席へ着こうとしたら・・・




 「今日はお前さんも、春玉の、大事なお客さんのひとりだ。
 女将。すまないが、その膳をこちらに。」



 そういうと、末席の膳を源平さんの隣に運ばせてしまいます。
想いがけず、源平さんと並んで座る形になってしまいました。
それぞれに居場所は定まったものの、会話が始まる気配などは一切ありません。
階段から人の気配がしました。
舞妓と芸妓が到着をしたようです。
相変らず重苦しい空気と緊張感が漂う中、小春お姉さんと春玉が挨拶に現れました。
少し遅れて、置屋のおかあさんと小桃の女将も登場しました。
挨拶代わりに、小春姉さんがまず最初の踊り始めます。
丁寧にひとつ畳にすわつてお辞儀をした後、すくっと立ちあがった小春さんが、
凛とした流し目のまま、静かに地方の三味線を待っています。




 簡略化された所作のなかで、最大限の表現を演じる「京舞」は、
「踊り」とは言わずに「舞」と呼びます。


 小春姉さんが一つ舞を披露した後、今度は座って地方(じかた)に加わりました。
おかあさんと二人で、三味線の準備をはじめています。
「地方」とは、唄や三味線を得意とする芸妓たちをさしています。
舞を専門とする舞妓や芸妓は「立方(たちかた)」と呼んでいます
小春おねえさんのように、両方こなせる芸妓さんもいますが、唄や三味線の習得には
かなりの年月を要するので、必然的に年配者などが多くなるようです




 緊張そのものの春玉が、座敷の中央へ歩み出てきました。
ここから先は春玉だけの、ひとり舞台にかわります。
まずは、親しみのある舞から始まりました。



  「月はおぼろに東山、霞む夜毎のかがり日に、
   夢もいざよう紅桜、 
   しのぶ思いを振り袖に、祇園恋しや、
   だらりの帯よ」



 長田幹彦の作で、「祇園小唄」です。
簪(かんざし)を揺らして、一人で舞いはじめた春玉ですが、
はた目から見ていても、どうにも頼りなく、いかにも心細く、触れたら落ちそうなほど
痛々しいかぎりの様子で舞い始めています・・・・
やっとの立ち振る舞いと、所作がつづきます。



 恥ずかしさを精一杯に隠し、未熟な舞いに少女は心をドキドキさせながら、
それでも必死になって舞い続けました。
そのあまりもの危うげな様子に、見ていて、思わずこちらのほうがハラハラとします。
細くしなやかな春玉の指から、舞扇が危うく落ちそうになった時などは、
心臓を「わしずかみ」にされたかと思うほど、
思わず、こちらの息も止まりました。


 ようやくのことで舞い終わり、春玉が居ずまいを直して正座をした時には
全員から、大きな安堵のため息が、まずそれぞれの最初にもれました。





 「いやいや上出来、上出来。春玉ちゃん。
 最初は緊張をするさかい、誰でもそんなものだ~ 良くぞ舞切りました。
 いやいや、・・・小春の時から見れば、上出来だ。」



 恥ずかしさで今にも消えて無くなりそうな春玉に、源平さんが
やさしく声をかけています。
お千代さんも、春玉を呼び寄せて小声で褒めています。



 「春玉ちゃん。出来はともかくとして、まずは舞い終わることが肝心です。
 あとは場数を踏めば、すぐに上手にならはります。
 小春お姉さんの舞は、これはもう祇園でも超一流で、まずは別格です。
 精進次第で、そのうちには、追いつきます。
 でも、ここに居る、屋形のおかあさんや小桃の女将さんくらいには
 あっという間に、追いつけると思います」



 「お千代はん。それはまたあんまりやわ。
 それでは私たちが、たいした舞も、芸もできないように聞こえます。
 まぁ、しかし結果はおっしゃる通りどすが。
 舞いが上手なら、いまだに祇園を代表する現役の芸妓どす。
 もうご覧の通りの年寄りで、女まで引退をしてしまった、ただの姥桜どす。
 あたしも。ここにいはる小桃の女将も! 。あっ、はっは」



 笑い声の中で、部屋の空気が少しだけなごみはじめました。
次の舞にたちあがった春玉は、先ほどよりもなめらかに、かつ艶やかに舞い始めました。
・・・・何かが自分の中で吹っ切れたようです。



 しかし、肝心の「内祝い」の方はどうなったのでしょうか・・・・
今夜の大事な用件は、源平さんに結婚を承諾させることが、その一番の狙いです。
源平さんは、いまだに一人娘の結婚どころか、交際相手の存在すらも認めていません。
お千代さんは、とっておきの秘策を、すでに用意をしたと言っていましたが
今のところ、まだその気配は見えません。
本当に、大丈夫なのでしょうか・・・






■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
   http://saradakann.xsrv.jp/