落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ桐生 (36) 同郷のトラック野郎たち(1)

2012-06-09 09:36:06 | 現代小説
アイラブ桐生 第三章
(36)第3章 同郷のトラック野郎たち(1)


(琉球人形と呼ばれる、沖縄のお土産用の人形たち)




沖縄へ施政権が返還された翌日、
優花が那覇空港まで見送りに来てくれました。
いつもの、白いストローハットに短パンというスタイルです。



 少し時間があったので、送迎デッキで時間を潰すことにしました。
途中の売店で、15センチほどの可愛い琉球人形を
「私だと思って、大切に持って行って頂戴」と買ってくれました。
優花とは兄妹のようにして、一年近くをコザで一緒に暮らしたことになります。
その優花が、もうすこし働いたら学校に戻ると言い始めました。



 「ちゃんとダンスを覚える。
 ブロードウェイにも行って踊ってみたい。
 そのために、ちゃんと英語ができないと大変だもの。
 だから学校へ戻る。
 もう、そう決めた!」



 そうなると、お母さんに会えるかもしれないねと言った瞬間、
優花は、ほんのすこしだけ表情を曇らせてしまいました。
「うん」と言ったきりで、寂しそうにうつむいてしまいます。
この子は生まれた時からおばあと二人きりでいた。
母親の顔を全く知らずに、いままで育てられてきたのです・・・・




 「会えるかなぁ、お母さんに。
 たった一枚しか残っていない、その写真でしか見たことないのに。
 優花だってわかってくれるのかなぁ、
 私のことを、お母さんは」



 優花は生まれた瞬間からその全身に、沖縄の運命を背負って生きてきました。
日本の総面積の、0,6%しかない沖縄には、在日米軍基地の75%が集中をしています。
朝鮮動乱からベトナム戦争へと続いた極東でのアメリカ軍は存在は、
沖縄における基地の強化と、兵力の大増員をもたらしました。




 同時に、最前線への中継基地としての機能を持たされた沖縄は、
戦争に動員されたてきた兵士たちのための、つかの間の休暇と歓楽のための
休養地として、多くの犠牲を伴いながら、そしした役割も求められてきました。
占領支配と相まって、この軍事基地の存在自体がアメリカ兵たちによる、
幾多の事故と、凶悪な犯罪を生み出し続けてきたのです。
沖縄にアメリカの軍事基地がある限り、この負の連鎖に終点はありません。



 優花には、不注意でつらいことを言ってしまいました。
いいつくろうための適当な言葉がみつからず、背中あわせにすわったまま
気まずい時間だけが流れました。
やがて、搭乗案内のアナウンスが流れてきました。




 「沖縄のたたかいは、まだまだこれからだし、
 わたし自身の生き方も、またここからはじまります。
 群馬の兄貴のおかげで、学校に戻る気にも、ようやくとなりました。
 私が笑って見送ってあげないと、罰があたるもんね・・・・
 さぁ、元気に行きましょう」

 優花が、きわめて明るく立ちあがります。
いつものように腕を組んで、搭乗ゲートまで歩きました。




 「また・・・・私のために、来てくれるよね?」



 この子は、とても賢い16歳です。
本土へ復帰したことで、環境が変わることを期待するのではなく、
自らが変革していく意思を持つことのほうが、はるかに大切なことを、
自らの体験とその本能ですでに理解をしています。
自分にあたえられた運命に、真正面から取り組もうとしています。
最後の最後になってまで、優花に沖縄のたくましさを見せてもらいました。
笑顔で手を握りしめている優花が、今日はとてもまぶしい女性のように見えました。



 別れる寸前になってから、握りしめていた指先に、さらに力が伝わってきました。
真っ白のストローハットを傾けながら、私の顔へ優花の顔が寄ってきます。
「本当はさ、妹よりも、恋人のほうがよかったのに。
でもさ・・・・今となっては、あとのまつりですね・・・・」
すこしだけ躊躇ってから、頬に音をたてて可愛いキスをくれました。
驚いて見つめると、優花の目じりには、キラリと光るものが有ります。
「君はいまでも可愛い。でも、もっといい女になるんだよ。
いつまでも君は、沖縄の俺の妹だ」そう伝えると、『
『うん、解っている!』と、とびっきりの笑顔を見せてくれました。





 一年前に、まる一昼夜にわたって木の葉のように揺られた海も
今日の飛行機は、鹿児島空港までをわずか1時間足らずで飛び越えてしまいました。
見上げながら出航した桜島を、今日は、機内から見下ろしての帰路になりました。
遅い昼食を空港で済ませてから、すこし途方にくれました。
旅の次のプランが曖昧すぎたためです・・・・




 沖縄からの帰路は飛行機で鹿児島まで飛んで
あとは陸路をのんびりと戻り、めざすは京都・・・そんな大雑把すぎる予定です。
鹿児島に一泊するのか、それともすぐに汽車に乗るのか、それすらも決めていません。
まァ、急ぐ旅でもないだろう・・・・


 思えば、2年前に家を出てから、東京の暮らしも、沖縄での滞在も、
常に周りには、いろんな繋がりと多くの人々が存在をしました。
知らない土地で知り合って、その日のうちの縁(えにし)が生まれ
いつのまにか当たり前のように一緒に暮らしはじめ、関わりあってきました。
それが、鹿児島空港に降り立った瞬間からは、まったくの一人ぽっちになってしまいました。
見知らぬ土地での、まったく初めての一人ぽっちです。
それは、この旅で初めて味わう、孤独感でもありました。
・・・さぁて、どうする?


 行きがけに、優子や恵美子たちと飲み明かした天文館まで足を延ばして、
一杯呑んでから、その先を考えることに決めました。
こういうところが適当で、実に大雑把で、かつ優柔不断です。
元来が、(お袋ゆずりともいえる)「なんとかなるだろう」主義の生き方です。




 *「天文館」の名前は、江戸時代に、
第25代薩摩藩主・島津重豪が、この界隈に天体観測や
暦を研究する施設の明時館、別名「天文館」を建設したことに由来をしています。

 明治期まではススキの生える寂しい場所でした。
大正の後半から昭和初期のかけて路面電車が開通し、同時に多くの
映画館や劇場などが開館をしました。
鹿児島各地から昼夜の別なく人々が押し寄せるようになり
まもなく周辺には、映画客を目当てにした飲み屋や赤線、食堂などが
自然発生的にあらわれました。
今日の商店街とともに、歓楽街の原型もその当時に造りだされました。



 鹿児島県最大の繁華街として知られる天文館は、
街並みを貫く大きな通りとともに、アーケードに覆われ放射状に走る
たくさんの路地があることでも知られています。



 アーケードの通りには、古くからの個人商店や
洋服やカフェなどの洒落たお店が肩を寄せ合うようにして立ち並んでいます。
あちこちにアーケード街が多いのは、桜島の降灰や、真夏の強い日差しを避けるためです。
「天文館」という固有の地名は、どこにもありません。
商工業の多くの支店や商店街と歓楽街、そのすべてが集まる一帯をのことを
総称して天文館と呼んでいます。



 古い町並みのひとつで、飲食店と飲み屋さんが特に多いという、
天文館の『文化通り』を歩いてみることにしました。
ここは露天で、通りにアーケードはありません。
こじんまりとしたお店も多く、どこかに遊郭を思わせるような、
古い木造の家屋なども混じっています。
故郷の桐生とよく似ていて、路地裏通りの歓楽街にも似た雰囲気が漂っています。



 打ち水がされて、引戸の前には盛り塩の置いてある
こざっぱりとした格子のお店が、すこし粋で気になりました。
店先に掲げられた青い暖簾には、白字で「またぎ」と書いてあります。
しかしお店の看板には、徳之島産地直送とも書いて有ります。





 「またぎ」といえば普通に連想するのは、東北地方における猟師たちです。
雪の深山を猟犬たちを引き連れて、銃を肩に熊を撃ちにいく姿を連想してしまいます。
しかし徳之島といえばまったく正反対の、南海の浮かぶ孤島です。



しかも看板のわきには、「いのしし」と「いのぶた」の文字も躍っています。
南海の徳之島にも、「またぎ」やといのしし」がいるのでしょうか・・・
考えている暇も無く、好奇心にかられて、もう格子戸を開けていました。
珍しいものには、即反応をしてしまうタイプです。


 悦子さんと名乗るママさんが、
カウンター越しにビールを注ぎながら、解説をしてくれました。



 「いますよ。
 本土のいのししよりは、だいぶ小ぶりですが
 ちゃんといます。」

 またぎも、ちゃんといますと笑っています。



 「みなさんは、誤解をしてます。
 小さな島の徳之島にも、山はちゃんとあります。
 それゃぁ、本土から見ればまことに小さなものですが・・」


 一杯どうですかと勧めると大きいのでいいかしらと、
小ぶりのグラスを、ちょこんと持ち上げました。
機転がききそうで、なかなか楽しいママさんです。




 いのししの肉質は小ぶりな分、よくしまって淡泊でした。
毎年罠を仕掛けて、いのししを捕えるそうです。
もちろん鉄砲で仕留めることもありますが、年間に腕の良い猟師さんは
30頭以上も捕るそうです。
捕えて肉にさばくだけではなく、島豚とかけあわせて「いのぶた」を
生産し始めたともいいます。

 「旦那さまは、徳之島で猟師と漁師をしています」


 
 と、嬉しそうに笑います。




 「わたしのわがままで、こちらにお店をだしたんですが、
 そろそろ亭主も歳なので、可哀想だから島に戻ろうかとも考えています。
 お店の「山くじら」(いのししのことを九州ではこう呼びます)も、
 お魚も、みんな亭主が、せっせとこちらへ送ってきます。
 わたしも、単身赴任に疲れましたし、
 そろそろ、潮時ですかねぇ~」


 と、目を細めてまた笑っています。
その笑い方と笑顔が(年齢に似合わずに、)とてもチャーミングです。
もう一杯、いかがですか、とビール瓶を持ち上げたら


 「そう?  じゃあそろそろ本気で呑もうかしら!」



 と、今度は大きなグラスを持ち上げました。
記念すべき本土上陸の最初の夜は、マタギのママとの愉快な出会いです。
しかし今夜はそれだけでは終わりません、ここからがまた別の出会いの夜になりました。
そのはなしは、また次回で詳しく・・・・


(沖縄の花と言えばこれ。ハイビスカス)




■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
   http://saradakann.xsrv.jp/