アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(38)
第二幕、第一章(12)相反するもの
「予想外に、小さな作品です。
作品の持っている存在感からして、実は、先ほどまで勝手な想像をしていました。
もっと大きな作品かと・・・・誤解していましたね」
石川さんに車いすを押してもらいながら、ようやく本館の『女』の前にやってきた順平の、それがまず最初の感想でした。
「順平くん、それって、想像をしていたのは、ロダンの考える人くらいの大きさですか、もしかしたら・・・」
背後に立った石川さんが、そう言いながら苦笑いをしています。
がそれもつかの間で、すぐに真顔に戻った石川さんが順平の耳元へ、一番聞きたかった質問を切り出しました。
「この『女』を見た瞬間から、茜が変わり始めました。
いいえ、正確に言えば、わさび田の老夫婦に一晩お世話になってから、
はっきりと茜の行動に変化が現れてきました。
この作品や安曇野での出来事が、茜に与えた影響とは一体なんでしょう、
僕はそれが一番知りたいのです。
順平くんは、どう思います・・・・」
「女心の話しなら、私に聞いても無駄ですよ。
なにしろ私は、最愛のレイコを、
25年近くもほったらかしにしてしまったくらいですから・・・・
いや失礼、茶化す話ではないですね。
この『女』には、
相反するものがいくつも同居をしていて
そのくせそれが、見事に渾然と一体化をしています。
たぶん碌山自身は、
混乱しきった自己矛盾の中でこれを完成させたのだと思います。
例えば、碌山の黒光への強い思慕は、
どんな時代であれ、到底世間では決して許されないはずの愛でした。
また黒光が置かれていた当時の境遇も、
どうにもならない、複雑に入り組んだものだったと思います。
碌山のひたむきな気持を知っていながらも、
現実には、パン屋を営む経営者の妻という立場であり、
妊娠をしつつも同時に子育て中の母であり、
また主人の浮気に翻弄され蹂躙されていた
哀れともいえる生身の女性です。
碌山はおそらく、そんな彼女のためにだけ、
全ての想いを込めてこの彫刻を作りあげたのだと思います。
発表するための作品ではなく、
黒光のためだけに製作をしたという部分に
『女』と言う作品の持つ、特別で独特な意味が有ります。
相反するものが、
見る角度によって現れてくるのもそのせいだと思います。
なによりも特筆すべきことは、
碌山自身が自分の命までもかけてこれを作りあげたことです。
若き芸術家がまさに苦悩の末に命をかけて作りあげた作品・・・
たぶん、この作品の魅力は、そこに有るのだと思います。
碌山の愛のすべても、この『女』に
凝縮しているのだと思います。
いずれにしても、これは相反するものの塊(かたまり)ですね」
「確かに、この作品を完成させた
その一ヵ月後に、萩原碌山は亡くなっています。
相反するものと言いましたが、
茜が見つけた相反するものとは、一体何でしょう・・・・」
「それは、茜さんにしか解りません。
例えば、陽がさせば影が出来て、物には表側が有れば裏側もあるように、
同じように人の情念の中にも、
自尊と屈辱、美と醜悪、強さと弱さなどの、
相反する感情が常に、心の中では同居をしています。
この作品には、たぶん女の性(さが)と呼ぶべきもののすべてが、
碌山によって封じ込められているのだと思います。
いつも引っ込み思案だったという茜さんが
この作品から見つけ出したものは、
自分自身をのりこえるための『勇気』かもしれません。
とにかく、
茜さんは自分自身の意思で歩き始めました。
黒光を演じることで、なにか自分のなかにあるものと、
決別をする決意が生まれたのだと思います。
はっきりと分かっている事は、
茜さんが歩き始めたことで、劇団員のみなさんが動き始めたし、
わたしやレイコも、この安曇野までやってきました・・・・
一体、茜さんのその行動の根源には、
何があるのでしょう。
石川さん、それは私の方が知りたいくらいです。」
中庭に続くドアからは、外の明るい日差しを瞬時に遮って仲良く手をつないだ
レイコと茜が、戻ってきました。
「順平。
茜さんが、碌山と黒光が初めて出会ったという
とてもロマンチックな場所へ案内などをしてくれるそうです。
石川さんたちもそこで、
永遠の愛を誓い合ったそうです・・・・
安曇野でも、見晴らしの良い一番の絶景で、
愛を育むのには、打ってつけの場所だそうです。
行きましょうよ、順平。
碌山と黒光や、石川さんたちにも負けないほど、
その記念すべきロマンチックな場所で、
私に、永遠の愛を誓ってほしいなぁ~
ねぇ、順平ったら。」
館内で他の作品に見入っていた人たちからも思わず失笑がもれてきました。
アッと自分の失態に気がついたレイコが、耳まで真っ赤に染めて身体をよじり、イヤイヤを始めてしまいました。
アイラブ桐生・第二幕・第一章(完)
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
第二幕、第一章(12)相反するもの
「予想外に、小さな作品です。
作品の持っている存在感からして、実は、先ほどまで勝手な想像をしていました。
もっと大きな作品かと・・・・誤解していましたね」
石川さんに車いすを押してもらいながら、ようやく本館の『女』の前にやってきた順平の、それがまず最初の感想でした。
「順平くん、それって、想像をしていたのは、ロダンの考える人くらいの大きさですか、もしかしたら・・・」
背後に立った石川さんが、そう言いながら苦笑いをしています。
がそれもつかの間で、すぐに真顔に戻った石川さんが順平の耳元へ、一番聞きたかった質問を切り出しました。
「この『女』を見た瞬間から、茜が変わり始めました。
いいえ、正確に言えば、わさび田の老夫婦に一晩お世話になってから、
はっきりと茜の行動に変化が現れてきました。
この作品や安曇野での出来事が、茜に与えた影響とは一体なんでしょう、
僕はそれが一番知りたいのです。
順平くんは、どう思います・・・・」
「女心の話しなら、私に聞いても無駄ですよ。
なにしろ私は、最愛のレイコを、
25年近くもほったらかしにしてしまったくらいですから・・・・
いや失礼、茶化す話ではないですね。
この『女』には、
相反するものがいくつも同居をしていて
そのくせそれが、見事に渾然と一体化をしています。
たぶん碌山自身は、
混乱しきった自己矛盾の中でこれを完成させたのだと思います。
例えば、碌山の黒光への強い思慕は、
どんな時代であれ、到底世間では決して許されないはずの愛でした。
また黒光が置かれていた当時の境遇も、
どうにもならない、複雑に入り組んだものだったと思います。
碌山のひたむきな気持を知っていながらも、
現実には、パン屋を営む経営者の妻という立場であり、
妊娠をしつつも同時に子育て中の母であり、
また主人の浮気に翻弄され蹂躙されていた
哀れともいえる生身の女性です。
碌山はおそらく、そんな彼女のためにだけ、
全ての想いを込めてこの彫刻を作りあげたのだと思います。
発表するための作品ではなく、
黒光のためだけに製作をしたという部分に
『女』と言う作品の持つ、特別で独特な意味が有ります。
相反するものが、
見る角度によって現れてくるのもそのせいだと思います。
なによりも特筆すべきことは、
碌山自身が自分の命までもかけてこれを作りあげたことです。
若き芸術家がまさに苦悩の末に命をかけて作りあげた作品・・・
たぶん、この作品の魅力は、そこに有るのだと思います。
碌山の愛のすべても、この『女』に
凝縮しているのだと思います。
いずれにしても、これは相反するものの塊(かたまり)ですね」
「確かに、この作品を完成させた
その一ヵ月後に、萩原碌山は亡くなっています。
相反するものと言いましたが、
茜が見つけた相反するものとは、一体何でしょう・・・・」
「それは、茜さんにしか解りません。
例えば、陽がさせば影が出来て、物には表側が有れば裏側もあるように、
同じように人の情念の中にも、
自尊と屈辱、美と醜悪、強さと弱さなどの、
相反する感情が常に、心の中では同居をしています。
この作品には、たぶん女の性(さが)と呼ぶべきもののすべてが、
碌山によって封じ込められているのだと思います。
いつも引っ込み思案だったという茜さんが
この作品から見つけ出したものは、
自分自身をのりこえるための『勇気』かもしれません。
とにかく、
茜さんは自分自身の意思で歩き始めました。
黒光を演じることで、なにか自分のなかにあるものと、
決別をする決意が生まれたのだと思います。
はっきりと分かっている事は、
茜さんが歩き始めたことで、劇団員のみなさんが動き始めたし、
わたしやレイコも、この安曇野までやってきました・・・・
一体、茜さんのその行動の根源には、
何があるのでしょう。
石川さん、それは私の方が知りたいくらいです。」
中庭に続くドアからは、外の明るい日差しを瞬時に遮って仲良く手をつないだ
レイコと茜が、戻ってきました。
「順平。
茜さんが、碌山と黒光が初めて出会ったという
とてもロマンチックな場所へ案内などをしてくれるそうです。
石川さんたちもそこで、
永遠の愛を誓い合ったそうです・・・・
安曇野でも、見晴らしの良い一番の絶景で、
愛を育むのには、打ってつけの場所だそうです。
行きましょうよ、順平。
碌山と黒光や、石川さんたちにも負けないほど、
その記念すべきロマンチックな場所で、
私に、永遠の愛を誓ってほしいなぁ~
ねぇ、順平ったら。」
館内で他の作品に見入っていた人たちからも思わず失笑がもれてきました。
アッと自分の失態に気がついたレイコが、耳まで真っ赤に染めて身体をよじり、イヤイヤを始めてしまいました。
アイラブ桐生・第二幕・第一章(完)
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/