落合順平 作品集

現代小説の部屋。

「舞台裏の仲間たち」(55) 第二幕・第二章 「故宮博物院」

2012-10-18 07:51:35 | 現代小説
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(55)
第二幕・第二章 「故宮博物院」





 世界一の中国美術工芸コレクションを擁する台湾の故宮博物院は
フランスのルーブル、アメリカのメトロポリタン、ロシアのエルミタージュ、
イギリスの大英博物館と並んで、世界五大博物館の
一つに数えられています。


 敷地はおよそ12000坪。
67万点余りが収められていて、青銅器や書画、陶磁器、玉器、七宝などの古文物、
経典などの図書、及び文献などが此処でのコレクションの根幹となっています。
67万点余の収蔵品は、6000~8000点ずつ、特に有名な宝物数百点を除いて、
3~6カ月おきに展示品を入れ替えていますが、67万点のすべてを観終えるには
10年以上はかかるともいわれています。



 「それにしても、すごい宝石と財宝たちだ。
 よくぞ、これだけの文化財を持ちだしてきたもんだなぁ、
 スケールが違うね」



 「中国4000年の財宝がぎっしると集められているんだもの、
 ひとつずつ鑑賞をしていたら、館内を回るだけでもたっぷり2~3日はかかるわ。
 小物たちはざっと眺めるだけにしておいて、とっとと、本命の
 白菜と豚の角煮を見にいきましょう」
 
 今日も薄いTシャツに、ホットパンツという格好の貞園は、
周囲の目を気にしながらも、それでもお上品に私の右腕にぶら下がっています。
さすがに、中国4000年の歴史の前ではいつものように
イチャイチャしている場合ではないわ、などと貞園が笑っています。



 たしかに此処に展示してあるものは、
中国4000年にわたる、貴重な歴史的遺物たちばかりです。
それらの貴重な品々が、本来の中国ではなく台湾にあるというのは、かつての
中国と台湾の歴史に深く関係をしていました。


 1949年、国共内戦で蒋介石が率いる国民政府が
敗れて、この台湾の地に逃れてきました。
そのときに、北京の故宮博物院から約60万点におよぶ
所蔵品を台湾へ運び出し、それらを一時的に台湾の各地で保管をしました。
1965年、各地に散らばっていたこれらの所蔵品を台北の士林に集め、
国立故宮博物院を建設し所蔵したものです。


 現在中国にも故宮博物院がありますが、
こちらに所蔵されていた多くの所蔵物は、文化大革命の時にほとんど失われてしまいました。
ゆえに「故宮博物院」という名の博物館は中国と台湾に2つあるのです。



 貞園が途中から、各部屋の見学をパスしはじめました。
一目散に、白菜と豚の角煮が展示されている部屋を目指し始めます。
この二つは、故宮博物院を代表する宝石の彫刻でした。



 【翠玉白菜】は、白菜の形をした宝石で、
眺めれば眺めるほどその白さに圧倒をされてしまいます。
白菜の上にとまっている虫は、かつては二匹のキリギリスだと思われていたそうですが
故宮が有名な昆虫学者に鑑定依頼して研究を行った結果、
一匹がキリギリスで、もう 一匹はイナゴだと最近になってから判明をしました。
お嫁入り時の願いをこめて作られた白菜は、清廉潔白(お嬢さんの純潔)を象徴し、
キリギリスは、子孫繁栄(多産)を象徴しています。
全長19cmの翡翠の原石で作られた、この素晴らしいグラデーションと
透明感には、言葉を失なってしまいました。



 もうひとつ、豚の角煮という別称をもつ、【肉形石】(にくがたいし)は、
豚の三枚肉の形をした宝石で「玉髄(ぎょくずい)」という原石で出来ています。
色は後から着色をしたものですが、皮の表面には毛穴まであるという瑪瑙類(石英)を利用して、
色の変化する特性を生かした作品になっていました。




 「ねぇ順平。
 私おなかがすいちゃったぁ。
 よく考えたら、昨夜から何も食べていないんだもの・・・・
 屋台へ、何か食べに行こう」




 貞園が空腹のあまりに、悲鳴をあげました。
そう言えば貞園は、昨日の聞き取り調査以降は何も食べずに時を過ごしました。
ホテルに戻ってからも、何もいらないからとさっさとベッドにもぐりこみ、
寝返りばかりを繰り返していたのです。



 「白菜と豚の角煮が効いたかな。
 いくら見ても宝石や彫刻では、お腹は満たされないしね。
 そのへんで、なにか美味しいものでも探そうか。
 それでは再びスクーターにまたがって、
 ローマの休日といくか」



 「屋台街へ行こうよ。
 もうペコペコだもの、何でもいいから片っ端から食べたいわ。
 円環(ロータリー)を越えて
 屋台で賑わう寧夏路まで行こう」



 当然ともいうべき顔で、貞園はスクーターの後部座席に座ります。
ヘルメットを阿弥陀に被るともう両手を拡げ、私がハンドルを握るのを待っています。
昨日、今日と貞園が「ローマの恋人乗り」と名づけたこの相乗りスタイルで、
私たちは台北の町中を、ずっと移動しつづけています。



 「食欲が戻ってきたのは、貞園がすこぶる健康な証拠だ。
 たった一日の間に、ローマの休日と従軍慰安婦の話題を往復したのでは
 いくら元気な貞園でも、精神的に耐えきれないさ。
 眠れなかったみたいだね」




 「順平が、慰めに来てくれるかと思って期待していたのに。
 ちょっぴり残念でした。
 ねぇ一晩中、書き物をしていたみたいだけど、
 黒光ってなぁに?
 ずいぶんメモにたくさん書いてあったけど・・・・」



 「相馬黒光は、明治時代に生きた素敵な日本の女性だよ。
 今その人の生き方をテーマ―に、演劇の脚本を書いているんだが、
 ちょっと最後の部分がいき詰まったままなんだ。
 退屈しのぎに、一晩中、あれこれと思案をめぐらして
 いただけさ」



 「私といると、退屈と言う意味?」




 「いや、君といるとそれだけで楽しい。
 貞園と一緒に居ると、
 妹と暮らしていた頃を思い出すし・・・・」



 「妹さんが居るの」



 「妹は、18歳のときに上京をして、
 その2年後に、ある人に見初められて結婚をした。
 昨日まで一緒に暮らしていた兄妹が、あっさりとあっというまに、
 別々の土地に離れて暮らすようになってしまったのさ。
 だから私の記憶に残っている妹は、いつまで経っても18歳の時のままなんだ。
 ちょうど貞園と、おなじくらいの年頃さ」



 「じゃあ私は妹さんと同じの、子供扱いなの?」



 「貞園は子供じゃないさ。
 女性としも魅力的だし、身体も心も充分に成長している18歳だとは思う。
 でもね・・・・
 妹以上であることは間違いないけど、
 正確に言えば、まだ恋人未満かな」



 「なにそれ、よく解らない!」



 貞園が後部座席で暴れ始めました。
早くなにか食べさせないと、もっと凶暴化をしてしまいそうな気配がしています・・・・





 
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