落合順平 作品集

現代小説の部屋。

「舞台裏の仲間たち」(52) 第二幕・第二章 「金 美齢(きん びれい)」

2012-10-15 15:25:32 | 現代小説
アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(52)
第二幕・第二章 「金 美齢(きん びれい)」




 「性の問題と言う意味では、根幹は一緒だけど、
 従軍慰安婦は、人権を蹂躙したという意味でまた別の問題を含んでいる。
 日本における公娼たちの売春の記録は古く、
 日本の公娼制度は、おおむね江戸時代に確立していたようだ。


  農村では、夜這いなどの風習があって、
 それらが、日露戦争のころまでは続いたらしい。
 だから特に地方などでは遊郭は必要なかっただろうが、
 都市部には数多くの遊郭が存在をしていた。



  一番有名なのは吉原で、京都や大阪などの地方にも
 幕府や藩公認の遊郭が多くあり、現在でもその名残は残っている。
 公認の遊郭以外にも、
 私娼も多く、様々な形式での売春が行われていた。
 特に江戸は、男女の比率が異常に偏っており、
 男が多かったために、
 どうしてもそういった場所が必要だったのだろう。



  また江戸時代の遊郭では、基本的に人身売買が横行していた。
 ただし人身売買は禁止されていたために、
 形式上は年季奉公という形をとっていた。
 つまり、貧しい家から娘を買うのではなく、
 娘の労働成果を買うという形式だ。
 だから年季が明ければ家に帰れる、というのが建前だった。
 あくまでも建前であって、実質は人身売買であったし、
 単なる人身売買であれば、
 買われた娘が自殺・逃亡しても売った側は金を返す必要がないが、
 年季奉公であれば、娘が自殺・逃亡すれば売った側から
 金を取り戻す根拠となってしまうという点でより悲惨な状況で
 あったともいえるだろうなぁ」


 「凄い、順平。
 あんた、女の研究にかけては超一流だ。
 遊郭とか、遊女や芸妓には、やけに詳しいわねぇ・・・・
 ははん、実は
 ウサギの皮を被った、狼だな」

 「あのなぁ・・・
 この程度の知識なら、日本男子の一般教養の範囲だ」



 「ははぁ・・・なるほどね。
 だから日本から来るエコノミック・アニマルは
 おしなべてみんな、どスケベなんだ。
 よく、わかりました」



 まったくの藪蛇である。





 川に沿って細長く伸びるこの温泉街には
いたるところに日本風の建築が残されていて、なぜか日本の田舎でよく見かけるような
古びた温泉街のような情緒さえも感じさせてくれました。
風呂上がりの貞園は源泉の一つ、地獄谷まで歩こうと言い始めました。
当初の目的からはすっかりと逸脱をして、今はただバカンスを楽しんでいる
普通の少女にと変わりきっています。


 温泉街の小道に沿って、小川が流れています。
小川といって流れているのは源泉から湧き出ている温泉です。
それも足湯くらいなら充分に楽しめそうなほどの湯温を充分に保ったまま、
かなりの水量で、ゆうゆうと流れていきます。
貞園がまた、至近距離に身体を寄せてきました。
風呂上がりの良い匂いのする髪が、リズミカルに私の鼻さきで右に左に揺れています。
長い腕は、さっきから腰に巻かれたままでした。



 そんな歩きにくい密着のまま、温泉が流れる川を上流まで上っていくと、
「熱海」という名前のホテルが見えてきました。
温泉といえば「熱海」というのは、どうやら日本でも台湾でも同じようです。



 ほどなくして「地熱谷」と呼ばれる源泉地に到着をしました。
ここは湯量をほこる北投温泉の源泉地のひとつです。
硫黄交じりの水蒸気が辺り一帯を覆っていて、いたるところから
源泉が噴出する様子が見て取れました。



 日傘をさした瀟洒なご婦人とすれ違った瞬間に、
あれほど密着をしていた貞園がはじかれた様に、私から離れていってしまいました。
悪戯を見つけられてた幼子のような反応ぶりで、当の本人も顔を赤らめています。
すれ違ったご婦人も、その貞園の動揺に気がついたのか、
数歩行きすぎた処で立ち止まりました。



 「あら、やっぱり。
 先ほどお風呂でお会いをした、可愛いお嬢ちゃんですか。
 またお会いしましたね、
 あら・・・・こちらは、お嬢ちゃんのお連れ様?
 地元の方には見えません。
 もしかしたら、日本のお方でしょうか」



 流暢な日本語でそう声をかけてきたのは、
貞園がお風呂場で行き会ったという例の”おばあちゃん”と呼んだ女性でした。
おばあちゃんというので、勝手に60過ぎだろうと想像をしていたら、
目の前に現れたのは、50歳そこそこので妙齢といえるとても美しいご婦人でした。



 「はい、日本人です。
 技術関係の仕事で台湾に滞在中ですが、
 今日はこの子に案内をされて、北投温泉をのんびりと探索中です」





 「そうなの?
 この子は、虐げられた女性問題の研究のために、
 歓楽街と日本統治の歴史と遺跡がたくさん残っているここへ
 わざわざやってきたと言っていましたが。
 面白そうなので、私も知っている当時のお話などを
 いくつか語ってしまいました。
 貞園と言いましたね
 あなたとは、よくよくの縁がありそうです。
 よかったら私と、その従軍慰安婦さんの話を聞きに行きませんか。
 この近くに昔から住んでいる人なので
 今日は、これから伺うところです」



 貞園の目が、すでに輝いています。
願ってもない幸運が舞い込んできたときのように、頬まで紅潮をさせていました。
女性は、金 美齢(きん びれい)と名乗り1934年に、ここ台湾で生まれたそうです。
おばあちゃんは自ら、日本の国籍をもつ評論家だと自己紹介をしてくれました。




 ■ 金 美齢(きん びれい)1934年(昭和9年)2月7日生まれ
 台湾出身で日本国籍の評論家。




   早大在学中には、台湾独立建国連盟が発行する英語版の機関紙の編集長を務め、
  他の台湾人留学生らと大学同窓会「台湾稲門会」を結成。
  そのため、金と夫の周は反政府活動家として政府のブラックリスト(黒名単)に掲載され、
  旅券は剥奪され、日本で事実上の亡命生活を余儀なくされた。


   1987年(昭和62年)7月15日、
  台湾で1949年(昭和24年)5月20日以来38年間続いた戒厳が解除。
  翌年、李登輝が台湾人初の中華民国総統に就任。
  急速な台湾民主化の流れの中でブラックリストも解除となり、
  金は31年ぶりに帰国。





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