アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(49)
第二幕・第二章 「土林夜市(シーリン・イエシー)」
台北の市内に5、6カ所ある夜市の中でも、
土林夜市(シーリン・イエシー)は、最大級の規模をほこっています。
食べ物屋台をはじめ、洋服、靴、アクセサリーなどの店も集まり、
夕方から毎夜遅くまで大勢の人で賑わっています。
機嫌の悪い貞園に引きずられて、そんな屋台の間をあちらこちらと、ずいぶん歩き回りました。
もうこの辺でいいだろうということで目の前の鉄板焼きの店に決めてカウンター席に座りこみました。
座るとほどなくして、ライスとスープが出てきました。
台湾の言葉はわからないために、オーダーの全ては貞園に任せました。
オーダー票を手にした貞園は、凄い勢いでなにやら書きこんでから、目の前に置いてあった私のビールを、
一気にあおって飲み干してしまいました。
黙ったまま二杯目のビールを注いでやると、やっと貞園がこちらに目線を向けてくれました。
運ばれてきた食材を鉄板に広げると、器用に箸を使って焼き始めます。
鉄板からの放射熱があるために、昼間見たときよりも、貞園の頬には、
しっかりとした紅がさしていました。
焼けたばかりの魚介をつまみあげた貞園が、口を開けろと、目を細めて大きくゼスチャーをしています。
この屋台には取り皿の用意がありません。
小さく口を開けた瞬間に、エビを無理やり突っ込まれてしまいました。
「日本人が、みんな悪いわけではないけれど、
いくら売春婦とはいえ、人格も有るし誇りもある。
あなたは亀田社長たちとは別の人種だとは思うけど・・・・
それでもやっぱり、エコノミック・アニマルの日本人の一人だわ。
ねぇ、あなたもやっぱり
女を人間ではなく『物』として扱うの?」
「働き過ぎると言う意味ならば、
私も、そういう部類の日本人の一人かな。
でもさっき、君が使っていたエコノミック・アニマルという言葉は
働き過ぎと言う意味とは、まったく別の意味に聞こえたよ。
どんな意味で君が言ったのか、興味が有るな。
良かったら教えてよ」
「目的のためには、手段を選ばない卑劣な人種たち、という意味。
そう言う意味で、人らしい理性が欠けた人たちのことを
私は、アニマルと呼ぶの。
自分の女を、商取引の営利のために差し出すなんて
私には、到底理解ができない世界だわ。
日本人というのはもっと教養があって、『いさぎ』も良くて
義理や情にも厚いと思っていたのに、
情婦を、物のように扱う日本人なんて、最低だ。
軽蔑にもあたいする」
「なるほどね。
それでさっきから、貞園が腹を立てたわけだ 」
はい、と貞園がまた魚介を目の前に突き出します。
今度は大きく口を開けて、しっかりと受け止めることにしました。
「ねえ、答えて。
あなたもやっぱり、女を道具や物として扱う?」
「ストレートな質問だね。
日本人は、そういう事がらを面と向かって質問されてしまうと、
答えに困ってしまうナイ―ブな民族だ。
気恥ずかしいと言うか、答えにくい質問でもある。
少なくとも私は、女性の人格をちゃんと認めているつもりだし、
大切にすべきだと思ってる」
「うん、順平なら、そうなるか。
だからこそ、昨夜も何も起らなかったんだ。
本物のエコノミック・アニマルなら、さっきの農協さん達みたいに、
『値段はいくらだ!』って言いながら、札束をちらつかせて、
私のことを、血眼になって口説くもの。
よかった、あなたが紳士で」
「今日は解らないぜ。
昨日は呑みすぎて正体不明で寝てしまったが、
今日はそれほど酔ってない。
試してみるかい?」
「あら、
今日は本気で口説いてくれると言う意味なの。
それなら私も本気で考えてみる。
ねぇ、それよりもさぁ、
台北の公娼制度に興味はないの?
すぐ近くに有る歓楽街の北投温泉には、
公娼の置屋が、とても古くから存在をしたの。
公娼制度の歴史が、いまでも色濃く残っている町なのよ。
79年に廃止されてしまったけど
公娼制度の100年近い歴史を、
目の当たりに、見ることのできる貴重な資料が眠っているの。
是非一度、行ってみたいと思っているんだけど、
私ひとりでは心細いんだ」
「いいよ、
明日の午前中は、金型工場の見学が有るけど、
午後からなら空いてるよ。
100年も続いた公娼制度か・・・・
明日が楽しみだ」
「あら、今夜の楽しみは?」
「まだ、口説くとは言ってないぜ」
「でも泊りには行くわよ、今夜も。
かまわないでしよ、別に
それでも・・・・」
「ああ、一向にかまわないよ。
でもさぁ、人間行動学を専攻している学生の君が
売春婦の巣窟で仕事しているのは、どう考えても不自然だ。
君には他の女性たちのように、
いかにも売春婦ですと言う雰囲気が見当たらないもの。
そのあたリにも、何か訳が有りそうだね
よかったら、その理由を教えてくれないか。
実は・・・・
本気で売春なんか
するつもりはないんだろう、君は」
踏み込んだ質問をした瞬間に、貞園がチロリと長い舌を出しました。
悪戯を見つけられた時の子供のように、目を大きく見開いた後、あっさりと白状をします。
「ああ、ついにばれたか・・・・ごめんね。
実は只の学生で、
売春婦のふりをしているだけなの。
それも潜入してきて、あなたが最初のお客様。
現場での取材のつもりで、潜り込んだのはいいけれど、
もう、毎日毎日ドキドキのしっぱなし。
ほんとに迫ってこられたら、どうやって逃げ出そうかと
そればっかりを考えてるの。
でも、どうしてわかったの?
私はまだ、何も言っていないわよ・・・・」
「簡単さ。
君からは、亀田社長に寄り添っている
あのパートナーのような『娼婦』特有の匂いがしないもの、
違和感なら、最初から感じていたさ。
ということは、
自分の研究のために、あえて歓楽街に身を置いて、
公娼制度の実態をレポート中というところかな。
そうすると君は、将来においては
台湾における女性問題の研究家にでもなるわけだ。
ということは、君の研究において、
私は、男の見本として研究対象の一人目にされたということになる。
危ないところだった・・・・
と、言うべきかな?」
「ごめんなさい。
そんなつもりではなかったけど、
でも、今私がやっていることは、
おおむね今あなたが指摘をした通りだわ。
あらぁ・・・・
でも、もしかしたら、
順平が台湾に来た目的のひとつを、
私が邪魔をしてしまったかもしれないわねぇ。
いいわよ、責任なら取ってあげる。
よろこんで」
貞園が悪戯っぽく笑いながら
タイトスカートからのぞく長い脚を、ゆっくりと組み換えました。
その姿を真近に見せられては、こちらもただ苦笑する他はありません。
「貞園には、
けっこう悪女の素質もありそうだね。
そういうことなら、北投温泉に私も是非行ってみたい。
公娼制度は日本軍が持ち込んだという歴史もあるし
他にも従軍慰安婦の問題などもある。
女性を描くうえで、避けて通れない問題の一つが「性のモラル」だ。
今書いている私の作品にも、なんかの役に立ちそうだ。
よろこんで同行をしましょう」
「あら、あなたは物書きなの?
女性を書いているなんて、随分と物好きな金型屋さんね。
どんな作品かしら、気になる」
「じゃあそれも、今夜ゆっくりと話題にしましょう。
ところで一つだけ、君に聞いてもいいかな。
お店に出ていて、もしも指名されたらどうするつもりだったの。
貞園は見た目も悪くないし、若いんだもの、
けっこう引く手あまたかもしれないよ。
そうなると、乙女にピンチが訪れると思うけど、
そういうときはどうするつもりだったの?」
「う~ん、実はそのことなんだけど・・・
潜りこむのは簡単だったけど、どうやって断るのか悪戦苦闘をしているの。
農協の団体ツアーなんかは、もう女と見ればやることしか
考えていないんだもの。
隣に座っただけで、もうべたべたと触り始めるし、
エッチだけがしたくてお金を見せびらかすんだもの、もう最低。
なんでもお金で買えると思っているんだ。
日本人って順平以外は、みんなエコノミック・アニマルだ」
■公娼制度とは
公娼制度とは、簡単に言えば、娼妓として稼ぐことを望む者に対して、
国家が許可を与える制度のことです。
間違えてはならない点は、あくまでも公認された売春が存在したのであって、
売春そのものが公認されたわけではないということです。
そのために、『私娼』は摘発の対象となりました。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
第二幕・第二章 「土林夜市(シーリン・イエシー)」
台北の市内に5、6カ所ある夜市の中でも、
土林夜市(シーリン・イエシー)は、最大級の規模をほこっています。
食べ物屋台をはじめ、洋服、靴、アクセサリーなどの店も集まり、
夕方から毎夜遅くまで大勢の人で賑わっています。
機嫌の悪い貞園に引きずられて、そんな屋台の間をあちらこちらと、ずいぶん歩き回りました。
もうこの辺でいいだろうということで目の前の鉄板焼きの店に決めてカウンター席に座りこみました。
座るとほどなくして、ライスとスープが出てきました。
台湾の言葉はわからないために、オーダーの全ては貞園に任せました。
オーダー票を手にした貞園は、凄い勢いでなにやら書きこんでから、目の前に置いてあった私のビールを、
一気にあおって飲み干してしまいました。
黙ったまま二杯目のビールを注いでやると、やっと貞園がこちらに目線を向けてくれました。
運ばれてきた食材を鉄板に広げると、器用に箸を使って焼き始めます。
鉄板からの放射熱があるために、昼間見たときよりも、貞園の頬には、
しっかりとした紅がさしていました。
焼けたばかりの魚介をつまみあげた貞園が、口を開けろと、目を細めて大きくゼスチャーをしています。
この屋台には取り皿の用意がありません。
小さく口を開けた瞬間に、エビを無理やり突っ込まれてしまいました。
「日本人が、みんな悪いわけではないけれど、
いくら売春婦とはいえ、人格も有るし誇りもある。
あなたは亀田社長たちとは別の人種だとは思うけど・・・・
それでもやっぱり、エコノミック・アニマルの日本人の一人だわ。
ねぇ、あなたもやっぱり
女を人間ではなく『物』として扱うの?」
「働き過ぎると言う意味ならば、
私も、そういう部類の日本人の一人かな。
でもさっき、君が使っていたエコノミック・アニマルという言葉は
働き過ぎと言う意味とは、まったく別の意味に聞こえたよ。
どんな意味で君が言ったのか、興味が有るな。
良かったら教えてよ」
「目的のためには、手段を選ばない卑劣な人種たち、という意味。
そう言う意味で、人らしい理性が欠けた人たちのことを
私は、アニマルと呼ぶの。
自分の女を、商取引の営利のために差し出すなんて
私には、到底理解ができない世界だわ。
日本人というのはもっと教養があって、『いさぎ』も良くて
義理や情にも厚いと思っていたのに、
情婦を、物のように扱う日本人なんて、最低だ。
軽蔑にもあたいする」
「なるほどね。
それでさっきから、貞園が腹を立てたわけだ 」
はい、と貞園がまた魚介を目の前に突き出します。
今度は大きく口を開けて、しっかりと受け止めることにしました。
「ねえ、答えて。
あなたもやっぱり、女を道具や物として扱う?」
「ストレートな質問だね。
日本人は、そういう事がらを面と向かって質問されてしまうと、
答えに困ってしまうナイ―ブな民族だ。
気恥ずかしいと言うか、答えにくい質問でもある。
少なくとも私は、女性の人格をちゃんと認めているつもりだし、
大切にすべきだと思ってる」
「うん、順平なら、そうなるか。
だからこそ、昨夜も何も起らなかったんだ。
本物のエコノミック・アニマルなら、さっきの農協さん達みたいに、
『値段はいくらだ!』って言いながら、札束をちらつかせて、
私のことを、血眼になって口説くもの。
よかった、あなたが紳士で」
「今日は解らないぜ。
昨日は呑みすぎて正体不明で寝てしまったが、
今日はそれほど酔ってない。
試してみるかい?」
「あら、
今日は本気で口説いてくれると言う意味なの。
それなら私も本気で考えてみる。
ねぇ、それよりもさぁ、
台北の公娼制度に興味はないの?
すぐ近くに有る歓楽街の北投温泉には、
公娼の置屋が、とても古くから存在をしたの。
公娼制度の歴史が、いまでも色濃く残っている町なのよ。
79年に廃止されてしまったけど
公娼制度の100年近い歴史を、
目の当たりに、見ることのできる貴重な資料が眠っているの。
是非一度、行ってみたいと思っているんだけど、
私ひとりでは心細いんだ」
「いいよ、
明日の午前中は、金型工場の見学が有るけど、
午後からなら空いてるよ。
100年も続いた公娼制度か・・・・
明日が楽しみだ」
「あら、今夜の楽しみは?」
「まだ、口説くとは言ってないぜ」
「でも泊りには行くわよ、今夜も。
かまわないでしよ、別に
それでも・・・・」
「ああ、一向にかまわないよ。
でもさぁ、人間行動学を専攻している学生の君が
売春婦の巣窟で仕事しているのは、どう考えても不自然だ。
君には他の女性たちのように、
いかにも売春婦ですと言う雰囲気が見当たらないもの。
そのあたリにも、何か訳が有りそうだね
よかったら、その理由を教えてくれないか。
実は・・・・
本気で売春なんか
するつもりはないんだろう、君は」
踏み込んだ質問をした瞬間に、貞園がチロリと長い舌を出しました。
悪戯を見つけられた時の子供のように、目を大きく見開いた後、あっさりと白状をします。
「ああ、ついにばれたか・・・・ごめんね。
実は只の学生で、
売春婦のふりをしているだけなの。
それも潜入してきて、あなたが最初のお客様。
現場での取材のつもりで、潜り込んだのはいいけれど、
もう、毎日毎日ドキドキのしっぱなし。
ほんとに迫ってこられたら、どうやって逃げ出そうかと
そればっかりを考えてるの。
でも、どうしてわかったの?
私はまだ、何も言っていないわよ・・・・」
「簡単さ。
君からは、亀田社長に寄り添っている
あのパートナーのような『娼婦』特有の匂いがしないもの、
違和感なら、最初から感じていたさ。
ということは、
自分の研究のために、あえて歓楽街に身を置いて、
公娼制度の実態をレポート中というところかな。
そうすると君は、将来においては
台湾における女性問題の研究家にでもなるわけだ。
ということは、君の研究において、
私は、男の見本として研究対象の一人目にされたということになる。
危ないところだった・・・・
と、言うべきかな?」
「ごめんなさい。
そんなつもりではなかったけど、
でも、今私がやっていることは、
おおむね今あなたが指摘をした通りだわ。
あらぁ・・・・
でも、もしかしたら、
順平が台湾に来た目的のひとつを、
私が邪魔をしてしまったかもしれないわねぇ。
いいわよ、責任なら取ってあげる。
よろこんで」
貞園が悪戯っぽく笑いながら
タイトスカートからのぞく長い脚を、ゆっくりと組み換えました。
その姿を真近に見せられては、こちらもただ苦笑する他はありません。
「貞園には、
けっこう悪女の素質もありそうだね。
そういうことなら、北投温泉に私も是非行ってみたい。
公娼制度は日本軍が持ち込んだという歴史もあるし
他にも従軍慰安婦の問題などもある。
女性を描くうえで、避けて通れない問題の一つが「性のモラル」だ。
今書いている私の作品にも、なんかの役に立ちそうだ。
よろこんで同行をしましょう」
「あら、あなたは物書きなの?
女性を書いているなんて、随分と物好きな金型屋さんね。
どんな作品かしら、気になる」
「じゃあそれも、今夜ゆっくりと話題にしましょう。
ところで一つだけ、君に聞いてもいいかな。
お店に出ていて、もしも指名されたらどうするつもりだったの。
貞園は見た目も悪くないし、若いんだもの、
けっこう引く手あまたかもしれないよ。
そうなると、乙女にピンチが訪れると思うけど、
そういうときはどうするつもりだったの?」
「う~ん、実はそのことなんだけど・・・
潜りこむのは簡単だったけど、どうやって断るのか悪戦苦闘をしているの。
農協の団体ツアーなんかは、もう女と見ればやることしか
考えていないんだもの。
隣に座っただけで、もうべたべたと触り始めるし、
エッチだけがしたくてお金を見せびらかすんだもの、もう最低。
なんでもお金で買えると思っているんだ。
日本人って順平以外は、みんなエコノミック・アニマルだ」
■公娼制度とは
公娼制度とは、簡単に言えば、娼妓として稼ぐことを望む者に対して、
国家が許可を与える制度のことです。
間違えてはならない点は、あくまでも公認された売春が存在したのであって、
売春そのものが公認されたわけではないということです。
そのために、『私娼』は摘発の対象となりました。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/